一 二〇十一年十月

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 咲夜は窓に寄せていた顔を正面に戻す。運転手が「お得意さん?」と言った。 「いや、そ、そうじゃないんですよ。ちょっとなんていうか、まあ、その、出勤じゃないです。こんな朝早く……」  咲夜は咳払いをした。昼間だろうが夕方だろうが夜以外の時間を「朝」と言ってしまうのは、夜の職業についているものの癖だ。 「昼からは、仕事、しませんよ」  途切れ途切れに話す咲夜に、運転手は軽く笑った。 「じゃあデートだ。彼女を待たしているんだね?」 「彼女ぉ?」  少しばかり裏返った声をあげると、咲夜は助手席と運転席の間に上半身を割り込ませる。頬だけではなく、耳にまで熱が集まっているのがわかった。まったく、『彼女』と言われるだけで動揺しているなんて――それこそホスト失格だ。 「そういうのじゃないですよ。大切な友達です。まだ、そういうんじゃないっていうか、そういうの目指してるっていうか、その中間の関係です」  運転手が吹き出したので、咲夜は鼻の下を掻いた。  琴子を思うと、咲夜は典型的な中学生になってしまった気持ちになる。今まで女相手にこんな気持ちになることはなかったというのに。胸がどぎまぎして、ひとつひとつの動作にまでためらいが生じるのだ。琴子と出会って二か月がたつが、咲夜は琴子と手さえ繋いでいなかった。高鳴りすぎた心臓の音が琴子に聞こえてしまうのではないか、そもそも琴子は異性としての咲夜を必要としていないのではないか、そういったことで頭が支配され、何もできない。 「ホストがそんな初々しいこと言うなんて意外だな。ちゃんと仕事できているのかい?」  これでも咲夜はホストクラブでナンバーを張っている。売りにしているキャラもお笑い系ではない。女を虜にして貢がせ、王様のように振る舞う肉食系のキャラだ。  だからこそ、咲夜は自分が心底情けなくなってくる。 「運転手さん、おひとつ、相談っていうか、泣き言、いいですか? 多分、ひとつで終わらないと思うんですけど」 「なんだい?」  咲夜は両方の手を重ね親指をひねくりまわすと、深いため息をついた。 「その……これから会う子なんですけどね、すごくいい子なんですよ。今日だって、待ち合わせ時間を決めたのはその子なんですけど、「三時ちょっと過ぎに学校が終わるから、三時半に鶴見駅で待ち合わせをしよう。その時間だったらお互い待たなくていいでしょう?」って言ってたんですけどね」
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