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45話 妹を思ってのことだったんだ。ほんとに。
「今、リリーの悲鳴が聞こえた気が……」
リリーが侍女に囲まれた同時刻、浴場から離れた位置にあるイクス達の部屋で、ロジェは耳をそばだてきょろりと辺りを見回した。
ロジェは早々に風呂を済ませた後、イクス達の部屋で今後の動きの相談をしていたのだ。立場上特務の任務の話は出来ないので、主に星祭りでの警護やフェーンでの警護について話し合っていた。
「気のせいですよ。お嬢は今入浴中なんでしょう? ここまで聞こえやしませんよ」
話の途中で突然悲鳴がどうのと言い出すロジェに、イクスはやれやれと窘める。長年フェデーレに仕えているイクスはロジェのシスコンを理解しているので、こんなことでは動じない。
「……気になる。ちょっと行って来ます」
けれどロジェはイクスの言葉を聞かず立ち上がった。イクスもこれには慌ててロジェの腕を掴んで止める。
「ちょっ、坊! 止めてください、風呂に突撃する気ですか!? お嬢に怒られますよっ」
「けど、リリーに何かあったら……!」
「大丈夫ですよ、何があるって言うんです!」
ロジェはそのイクスの言葉に歯噛みした。やはり任務のことも伝えておくべきだったかと。
ロジェはアリオスを暗殺犯の容疑者から外してはいない。けれどイクスは暗殺のことを知らないので、この安全な領主館でリリーが危険な目に会うとは思っていないのだ。
が、ここでいちいち話をしている暇はない。ロジェは腕にぐっと力を込めてイクスを引き剥がしにかかった。
「いいから離してください! 行かなくては!」
「駄目だこりゃ、力強ぇ! おい、お前らも抑えろ!」
「よしきた!」
「はい!」
イクスの加勢を求める声に、部下の二人もロジェの体を抑えにかかる。
「はぁなぁせええええ!」
それでもロジェは体全体に力を込め、一歩、二歩と、ドアに向かって歩みを進める。自分達が引き摺られているのが信じられず、イクス達は驚きの声を出した。
「三人がかりを引き摺ってるぞ!」
「猪かよっ!」
「もっ……無理……!」
そしてとうとう、部下の一人が力負けして手を離したことで、バランスが崩れイクスと部下は尻餅をつく。けれどロジェだけは、その勢いのまま部屋を飛び出した。
「リリー!!!!!」
叫びながらばたばたと駆けていく様は正しく獣の如しである。イクスはため息をついてその背を見送った。
「駄目だ、お嬢のことになると見境ねぇ……」
「リリー様に怒られるに煙草一箱……」
「俺は二箱……」
「賭けにならねぇからやめろ」
煙草の箱を取り出す部下二人に突っ込みをいれつつ、イクスは自身の煙草に火をつけるのだった。
***
「リリー!!!」
ばたん、と大きな音を立てて浴場の扉が開かれる。中に駆け込んだロジェは、けれどはたと動きを止めた。
風呂場に突撃したロジェの目に映ったのは、湯から体を出し、侍女によってマッサージをされたり、香油を塗られているリリーの姿だった。
その姿を見た瞬間、ロジェはリリーが突然の侍女達からの施しに驚いて叫んでしまったとわかる。完全なロジェの取り越し苦労だった。
「きゃあっ!」
真っ赤な顔のリリーが、ロジェの姿を見てばしゃんと湯に肩まで浸かる。その一瞬前まで晒されていた白い肌は湯の温かさのためか、はたまたロジェのせいか、見える肩口はみるみる赤く染まっていく。
「えっと……リリー、ごめ……」
ロジェもすぐに視線を逸らす。けれど動揺しているせいで、すぐに出ていくということに思考が回らなかった。もごもごとする兄にリリーの罵声がぶつけられる。
「お兄ちゃんの変態っ! ばかっ! 早く出てって!」
リリーは罵声だけでなく、手近にあった石鹸を鷲掴むと兄に向かって投げつけた。すこーん、と綺麗にロジェの頭にあたったそれは、放物線を描いて湯の中にぱしゃんと落ちる。
ロジェは涙目でリリーを見る。真っ赤に染まったリリーのその顔は、羞恥で瞳が潤んでいて。
「お兄ちゃんなんてきらいっ!!」
浴場に木霊したその言葉に、侍女があらまぁ……、となんとも言えない声で悲嘆を顕にした。
***
「お帰りなさい、坊」
しょんぼりと肩を落として部屋に戻ってきたロジェにイクスは声をかける。
「ただいま……」
ロジェは力無く返事をすると、椅子に腰掛け大きなため息とともに頭を抱えた。その様子に何があったか聞かなくとも察したイクス達は、そっとロジェの肩に手を置く。
ほらだから言ったでしょう、とは、落ち込むロジェにイクスは言えなかったのだった。
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