30人が本棚に入れています
本棚に追加
/54ページ
52話 星が嫌いになりそうだ。
「…………わかった」
「お兄ちゃん……! ありがとうっ」
長い沈黙の後、ロジェは頷く。リリーは嬉しそうに兄の手を握った。ロジェはリリーの手を握り返してほほ笑むと、ぎゅっとその小さな体を腕に収める。
「リリー、気を付けて。危険があったら立ち向かわずに、助けを呼ぶんだ。いいね?」
「わかった。お兄ちゃんも、何かあったらイクスさん達を頼ってね」
「あぁ。わかった」
お互いが名残り惜しげに抱きしめ合って、そっと離れる。ロジェは眉を下げると、リリーの目尻を優しく撫でた。
「……泣いたの?」
先程からずっと、気にはなっていたのだ。最初は星詠みに何かされたのかと思ったが、リリーの様子でそれはなさそうだと考えた。泣くほどのことをされたのなら、ここまで普通に接するとは思えない。
リリーは慌てたように首を振って否定した。
「う、ううん! これは何でもないの! さっき目にゴミが入って、それで強くこすっちゃったから……」
「そうだっけかぁ?」
横槍を入れたイディアをリリーがキッと睨み付ける。イディアはぴゅうと口笛を吹いて素知らぬ顔をした。
その様子をロジェは少し眉間に皺を寄せて見る。けれどリリーがロジェに向き直るとすぐにその皺は消えた。
「本当に、泣いてないの?」
リリーの顔を覗き込むようにしながら、ロジェはまたリリーの目尻を撫でる。リリーは瞳を泳がせながらも頷いた。
「ほ、本当だよ……」
「……そっか。分かった」
ロジェはリリーの頭をぽんと撫でた。いつも通りリリーはそれを受けるが、けれどほんの少し、兄から悲しげな雰囲気を感じた。一体何故なのか。リリーは不思議に思うが、理由に至ることなく、ロジェはリリーからイディアに向き直った。
「星詠み殿」
「あん?」
「リリーのこと、よろしく頼みます。――けれど、」
言葉を区切ったロジェはイディアに近付く。そしてリリーに聞こえない小さな声で耳打ちした。
「リリーに何かしてみろ。俺がお前を殺す」
暗殺犯から守りに来ているはずなのにこの台詞である。イディアを見る視線も声も氷のように冷たい。きっと脅しではないことはイディアにも十分にわかった。
「ふぅん……」
けれどイディアは逆に面白そうに笑みを深めると、リリーに声をかけた。
「リリー。俺の家はそう遠くないところにある。このまま歩こうぜ」
「え、でも、領主館にある荷物とかは……」
「大丈夫だよ。後で誰かに届けさせる」
「わかった。それじゃあ……またね、お兄ちゃん」
「うん……またね、リリー」
お互い別れの挨拶をして、リリーはイディアに連れられてロジェに背を向ける。
イディアは背を向けながら軽く片手を上げた。
「ま、安心しろよ、オニイチャン。リリーの嫌がることはしねぇよ」
ロジェはそれに何も答えぬまま、二人の背を見送る。いつか考えた、知らない男と一緒にリリーが自分から離れていく姿と重なった。
――暫くロジェがそうしていると、もうすっかり夜になった暗闇から声がかけられる。
「――追いますか」
ロジェはその声に驚くことなく返す。
「頼みます。リリーから目を離さないように」
「御意」
返答とともにすっと相手の気配が消える。
ロジェがため息を付いて振り返ると、そこにはいつの間に来ていたのか、イクスが煙草に火を付けているところだった。
「行かせて良かったんですか?」
「……リリーが決めたことですから」
ロジェはそれだけ答えると、イクスとすれ違って来た道を戻っていく。
「……ったく、しょうがないお二人だ」
はーっと深く吐いた紫煙は、星の瞬く夜空に溶けていった。
最初のコメントを投稿しよう!