9 こみ上げる不安

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9 こみ上げる不安

 その後も汽車は走り続け、日が暮れる頃にようやく目的地である終着駅、『ソルト』へ到着した。 「うわぁ……海! 海が見える!」 汽車をおりてホームに降り立つと、遠くの方に海が見えた。 その海に、太陽が沈んでいく姿はとても美しい。 「綺麗……」 「うん、綺麗だね」 私もアデルも生まれて始めてみる景色に思わず見惚れていた。そんな私達をアドニス様は黙って見守ってくれている。 やがて太陽がすっかり海に沈んでしまうと、アドニス様が声をかけてきた。 「二人共、もういいかな」 「あ、申し訳ございません。もう大丈夫です、アデルもいいわよね?」 「うん」 アデルは私の右手を握りしめてきた。 「これからは毎日、見ようと思えば今の光景を見ることが出来るよ。さて、それじゃ駅を出よう。多分迎えの馬車が来ている頃だと思うから」 「はい、アドニス様」 「うん」 私に続きアデルが小さく返事をし、ホームを後にした―― 「迎えの馬車はどこかな……」 アドニス様が辺りを見渡した時。 「アドニス様、お待ちしておりました!」 背後から声が聞こえて皆で振り向くと、父と同年代位の男性が立っていた。その背後には黒塗りの豪華な馬車が停められている。 「ただいま、ルイス」 「この方が、お嬢様がアデルさまですね? それで、あなたは……?」 ルイスと呼ばれた男性が私を怪訝そうに見る。 「はい。私はアデルお嬢様のシッターをさせていただいております、フローネ・シュゼットと申します。どうぞよろしくお願いいたします」 「そうですか、フローネさんですね。私はラインハルト家の御者をしておりますルイスといいます。よろしくお願いします。それでは、皆様どうぞ馬車にお乗り下さい」 ルイスさんが扉を開けてくれた。 「それじゃ、乗ろうか。おいで、アデル」 アドニス様がアデルに手を差し伸べる。 「うん」 アデルはためらうことなく、抱き上げられると馬車に乗せられた。2人の間には出会ったばかりのようなぎこちなさは無くなっていた。 私もアデルに続いて乗り込むと、すぐに馬車は走り始めた。 「ねぇ、お姉ちゃん」 隣に座るアデルが話しかけてきた。 「何? アデル」 「どうしてさっき、私のことアデル様って呼んだの?」 「うん、そうだね。俺も理由を知りたいな」 アドニス様まで尋ねてきた。 「えっ……あの、それはルイスさんがアデル様と呼んだからです。私もこれからはラインハルト家の使用人になりますから」 「使用人? お姉ちゃんは私のシッターでしょ? 今まで通りアデルって呼んでよ」 「そうだよ、フローネ。君は使用人じゃない。アデルのシッターなんだから、かしこまった言い方はしないで欲しい。何より、アデルがそれを望んでいるのだから」 「そうですか。なら……いいかしら? アデル」 「うん」 笑顔で頷くアデルの頭をそっと撫でた。 「そう言えば、まだ2人にはラインハルト家のことを説明していなかったな」 「ええ、そうですね」 「うん」 「ラインハルト家は『ソルト』の南部地方を治めている侯爵家なんだよ。俺は15第目に当たる領主になるんだ」 「え!?」 その言葉に驚き、思わず声をあげてしまった。 「どうかしたのかい?」 アドニス様が不思議そうに首を傾げる。 「い、いえ……まさかラインハルト家が侯爵家だとは思いもしなかったので……」 つまり、2人はクリフやリリスよりも身分が高い。ずっと近づき難い人たちだったのだ。そんなに身分の高い人のもとで、貧乏人の私が働くなんて……。 アデルは勿論、アドニス様は私の身分を知りながら温かく受け入れてくれている。 けれど、他の人たちはどうだろう? もし、バーデン家の人たちのように冷たい目を向けられたら? 私は今度こそ、何処にも行き場を失ってしまうだろう。 そう、考えると怖くてたまらなかった。私は……こんなにも不安定な立場にいるのだ。 「どうかしたのかい?」 「お姉ちゃん?」 アドニス様とアデルが不思議そうに尋ねてくる。 「い、いえ。何でもありません。これから新しい場所に行くということで、少し緊張しているだけですから」 「大丈夫、みんな良い人たちだから緊張することは無いよ。ただ……叔父は少し口うるさいところがあるけどね。叔父にはきちんと説明するから大丈夫だよ」 「ありがとうございます」 笑顔で返事をしつつも、私の胸中は不安だった――
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