Bedside gift

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「白状しなよ」 「だから、してないですって」  じ、と恋人の目を見つめる。ソファに座り、足を組んでタブレットを見つめる志月の虹彩は、少しだけ色が薄い。  ラグのうえに座り込み、座面にあごを乗せたまま焦がした水飴みたいなその目につい見入っていると、一瞬こちらを向いた目は、すぐにふいと逸らされた。 「あ、逸らした」 「見すぎです」 「図星なんでしょ」 「言ってること、むちゃくちゃですよ。だいたい、課金の何が悪いんですか。いい大人なんだし、別に問題ないでしょ」 「ってことは、してたんだ」 「だから、してないって」  そんなに言うなら購入履歴でも何でも見ればいい、とスマホを投げて寄越される。語るに落ちた、と喜び勇んで課金履歴をさかのぼってみるも、結論としては真っ白だった。がっくりとうなだれる陽に、志月は呆れたように鼻を鳴らす。 「そんなに必死になるようなことでもないでしょ」 「だって、俺の方が先に始めたのに」  唇を尖らせながらアプリを見つめる。画面のなかでは、陽が見たこともないモンスターたちが、強奪してきたのかと思うほどの木の実をぼとぼと落としている。  以前、陽が衝動買いしてきたゲームがスマホアプリになる。しかもそれが、睡眠の質改善アプリとなれば、やらない訳がなかった。 「俺、まだ新ステージにも行けてないのに……」  強い仲間を集めて、モンスターたちの寝顔をたくさん発見すると、また新しいステージに行ける。かわいいキャラクターに意外と精密な睡眠記録機能。単純そうに見えて意外と奥が深くて、すっかりはまった陽は、志月にも勧めてむりやりダウンロードさせた。  だから少しリードしていたはずなのに、いつの間にか彼のパーティーはいかつい面々が揃っていて、陽の知らないモンスターが平気で出てくる。 「ただでさえ睡眠パーフェクト人間なのに、課金までしたら追いつけないじゃん」 「争うようなもんじゃないでしょう」 「そうだけどさ」  たくさん寝たからランキングに乗るとか、そういう競わせる要素はまったくない。そもそも課金(していないらしいが)をずるいと糾弾するなら、自分だってやればいい。  ダル絡みをしているという自覚はある。それが、味のなくなったガムを捨てられないような気持ちから来ていることも、わかっている。  すばらしい睡眠成績をもって、クエストを爆速でクリアしていった志月はもう、ほとんどの要素を遊びつくしてしまった。陽ですら、新しい寝顔はほとんど出なくなってきて、正直マンネリ化は否めない。自然、このゲームについての会話も少なくなる。  貴重な話題だったのにな。  お互い、いい歳の社会人で、そして仕事でのかかわりはほぼなく、共通の趣味もない。マシにはなったものの、陽は依然、繁忙期に睡眠を削ることもあるし、志月は志月で定休日という概念がないものだから、生活リズムもバラバラだった。  こうしてたまに会っても、近況報告とセックスばかり。デートらしいデートもしていないのは、休みは寝ていたい陽の怠慢かもしれないけど、だから同じもので楽しめるって、結構新鮮で嬉しかったのに。そう思っていたのは自分だけらしい。  俺って、いる意味あんのかな。  最近ふと頭をよぎる思春期みたいな弱音に、うつむくことで蓋をする。座面に顔を埋めてため息を吐くと、頭に手を置かれた。子どもをあやすような優しい往復に、あっさり上向きかける機嫌と、そんな単純な自分への呆れが混じって複雑な気分でいると、長い指は徐々に髪を分け入り、後頭部から首筋にまで降りてくる。 「っ、ちょっ、と」  うなじの辺りをさわさわ撫でられ、たまりかねて顔を上げると、思ったよりずっと近くに恋人の顔があった。驚いて固まった陽の額に唇を押し付けた不埒な恋人は、「寝ますよ」と言って立ち上がる。 「うん」  週に一回、睡眠計測が途切れる日。これをやめればもっと記録は伸びるのに、志月も、陽も言い出すことはなかった。  彼はいつから、「寝ませんか」じゃなくて「寝ますよ」って言うようになったんだっけ。  アプリを切って(寝言を自動で記録するので、そういうときにつけていたら大変なことになる)、なんとか充電ケーブルだけ差し込むと、サイドテーブルに投げるように置いて彼のベッドに潜り込む。伸びてきた手に指を絡めると、あとはもう、互いの身体のことしか考えられなくなる。  志月の仕事のこともあって、身体を重ねるのは週に一回か二週に一回、下手をするとそれ以上空くこともあった。その分、というわけかは知らないけど、一回一回が、なんというか、長い。少なくとも陽にしてみれば、相当長い。  もう何度目かも分からない放出と弛緩を経て、ようやく志月は布団から出て行った。布団がまくられ、すべり込んでくる冷たい空気が心地いい。腕も脚も全身どこにも力が入らなくって、打ち上げられたワカメみたいにぐったりしていたら、水の入ったマグカップを差し出される。 「大丈夫ですか」  台所への往復だけで息を整えてしまう志月の表情は、すっかりいつもと変わらない。若さか、と悔しくないでもなかったけれど、腹を立てる気力もなかった。  なんとか身を起こして水を飲んでいると、髪を撫でられる。フットライトと枕元の間接照明も点いていて、シルエットくらいは見えているだろうに、形を確かめるように何度も何度も。  彼のくせだとは分かっているし、慈しみのにじむ手のひらは嫌いじゃないけれど、うっかりしていると下ってきた手がもう一回戦に突き落とそうとしてくるので油断ならない。 「あれ」  急いで水を飲み干し、マグカップをサイドテーブルに置こうとして、気づいた。 「ペンライト、また失くしちゃったの?」  暗いところが苦手な彼の命綱が見当たらない。からっぽのペン立てを見つめながら問うと、「ああ」と志月は手を止めた。 「さっき、棚の奥を整理するときにつかったんで、ダイニングに置きっぱなしかも」 「取ってこようか」 「別にいいですよ」  後ろから伸びてきた腕がマグカップをさらい、置いて、強制的に布団の中に引き戻される。人感センサー付きのフットライトが音もなく消え、枕元のスイッチで間接照明も消してしまうと、陽でも物の形が判別できないほど暗くなる。 「でも」  いまもし、災害が起きたら。停電になったら。背後から包み込む腕を叩いて身体をひねると、「いいって」と眠たそうな声が聞こえた。 「あなたがいる日は、あなたがいるから」  大丈夫です、という声は眠たさに満ちていて、好き放題しておいてさっさと寝るなよ、と思わないでもないのに、胸が詰まって文句のひとつも出やしない。  自分は彼にとって何だろうか。ペンライトの代わりでも、ロウソクでもマッチ棒でも、何でもよかった。暗く寂しい夜を生きる彼の、よすがになれるなら、何だって。  同じ布団で眠るとき、志月はどんなときでも、陽を抱き込むようにして眠る。まるで手を放したらそのまま闇に溶けていってしまうとでもいうように、ぎゅっと。  陽はそっと目の前にある胸に片耳をつける。肋骨を隔てた先、規則正しい心音が聞こえる。自分にしか聞こえない特別な信号を聞き漏らさないよう耳を傾けているうちに、いつしか陽も眠ってしまった。 「で、集まりましたか?」  翌朝、少し遅めの朝食を前に、志月はふと思い出した様に顔を上げた。 「なにが?」 「寝顔」 「あー……全然」  アプリの中では、お馴染みのモンスターがにこにこ元気に動き回っている。かわいいけれど、目新しい発見はない。 「そっちじゃなくて」  やっぱり課金か? けど一度始めたら沼りそうなんだよな……と躊躇している陽に、志月は目玉焼きを箸で割りながら首を振る。 「おれの寝顔ですよ」  盛大にむせた。 「なんのこと?」 「寝言記録、案外優秀なんですよ」 みっともなくコーヒーで口元を濡らした陽に構わず、志月は淡々と半熟卵を口に運ぶ。 「シャッター音もばっちり記録してくれるんです」 「……要求は?」 「何もないですよ。おれは別に、嫌じゃないですし」  めずらしく喜色を浮かべた志月に、陽は何も言えない。以前、逆の立場で怒った陽には、何も。 「……あまりにもバカップルすぎない?」 「大丈夫です。おれは寝顔だけじゃないんで」  何も大丈夫じゃない。  共寝して、志月より先に目が覚めた朝だけに見られるレアな光景に魔が差した自分が憎い。というか、寝顔以外ってなんだ。それは盗撮じゃないのか。  課金すべきは盗撮防止グッズなのかもしれないと本気で考えながら、差し向けられたフォークの先の目玉焼きに食らいつく。ゲームも現実も、まったく追いつける気がしないのに、いまはもう悔しくないことが、ほんの少しだけ悔しい。
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