男の空間で

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男の空間で

 その時の夜、警察庁祓魔課のA級祓魔官にして私立狐魂堂学園高校2年F組風間静也は、男子寮の談話室で1人、ベースにファズをかけていた。  ファズというのは、エレキベースの音を、エフェクターで歪ませる行為のことをいう。  汗と童貞の発する匂いを凝縮させた、およそ人の生存を不可能たらしめている空間に、静也の浮遊感強めのベース音が響いていた。  静也は、勘解由小路に救われてから、ヒーローの言葉をコーランを残したムハンマドが如く渉猟し続けていたのだが、そのお言葉の中に、「ジャズを聴こうぜ。初心者はマイルスから」という一文があった。  それで、小学生なのにマイルスの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」を聴き続け、結局、静也はこうなっていた。  とりあえず、色々あって理想はスコット・ラファロだろうと思っている。  ミンガスは――ちょっと品がない気がした。  別に、ウォルター・ビショップ・ジュニアやパーシー・ヒースも嫌いではないんだが、静也が求めるサウンドは、もっと広かったように思えた。  そこで、静也は何故かフュージョンに行ってしまったのだった。  フュージョンとは何か。リターン・トゥ・フォーエバーをエンドレス再生しながら、静也は考えた。  ビートが違う、というのにはすぐ気付いたし、明らかに、出てくる楽器が違っていた。  え?フュージョンって、ジャズロック、だよな?  パソコンで調べてみたが、どうやらそれほど間違ってはいないようだった。  要するに、アメリカの電化ジャズがフュージョン、その他の国の電化ジャズがジャズロックだった。  それで、ジャズロックの歴史を紐解いてみた。  ジャズロックは、1960年代後半から70年代にかけて起こった、ジャズ的演奏法における、新たな試みだった。  恐らく当時、恐ろしく先鋭的であったジャズも、年並みと世代交代を越え、遂にオールドスクールと呼ばれかけてしまったという、不遇な時代があったようだった。  そこで、ハービー・ハンコックやチック・コリア、帝王マイルス・デイビスといったジャズマン達は、従来の奏法に加えて、最近興ってきていたエレキ楽器に着目したのだった。  まんま、マイルスの歩んだ道を追いかけるだけでよかったようだ。  赤マイルス青マイルスなどのビバップ的奏法から、電化マイルスのビッチェズブリューまでの道のりがフュージョンまでの道のりでよかったらしい。  それで、ロン・カーターに憧れた静也は、エレキベースを手に取ったのが、小学校4年の頃のことだった。  今、静也が奏でているのはディアルモンドのフレットレスベースだった。  ウクレレか何かのような小さいボディーに、太いゴム製の弦があしらわれ、エレキであるのに、まるで当時のウッドベースそのもののような、温かい音を奏でる、往年の名機だった。  静也は、今はウクレレの弦を使用していた。  ゴム弦て、結構高いんだもんな。  小4の誕生日に買い、次の誕生日までもたなかった思い出があった。  ウクレレ弦なら、ピッキングにも対応出来た。  それで、エフェクターを買ったのが、中学1年の頃だった。  ああ。ファズベースの意味が、ヒュー・ホッパーのサウンドが、ようやく理解出来た。  ベースであるのに、殆どエレキギターのようにも聞こえるあれも、ホッパーの仕業だったのか。シドバレットのマッドキャップ・ラフィング(帽子は嗤う不気味に)のトラック2とかは。  あとは、ケイブマン・シュースコアのディディケイデッド(お前に捧げる歌。でも聞いてないしお前)もそうだ。  その辺で、思考を一時中断させた。  ファズベースには、ファズオルガンがついて回る。  それすなわち、カンタベリー系ということになり、多分カンタベリーを考え出したら、朝になってしまうからだ。  いや、カンタベリーというより、ソフト・マシーンについて考えるだけで朝になってしまう。  キャラバンについて考えると、今度は2日かかっても終わらない。  リチャード・シンクレアで1日、従兄弟のデイブ・シンクレアで1日かかってしまう。  カンタベリー系はホントに底なし沼だ。  どうでもいいが、カンタベリー系についてつらつら考えていると、自然とベースリフがフェイスリフトになってしまっていた。  3作目のアルバム、サード収録の大曲だった。  元々が、スリーピースバンド構成にリン・ドブソンやマーク・チャリグ、ニック・エバンス、そしてエルトン・ディーンと言った、往年の大御所メンバーを加入させてセプテット編成でやらかしたものだったが、メンバーへの報酬が支払われなかった問題作でもあった。  まさに、電化ジャズなんだよなあ。この曲。  それと、サードに話をすると、ロバート・ワイアットは外せないし。  サードからフォースに行き、ワイアットクビにされるしな。  静也のとりとめない思考は、不意に割り込んできた、ライルのギターサウンドでかき消されていた。  
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