第二章 佳生

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 年が明け周囲のすべてが受験一色に染まる頃、俺の身に思わぬ事態がもちあがった。  母親の職場が変わるため、春から別の町で暮らすことになったのだ。アパレル販売店での仕事ぶりが認められ、処遇も良くなるらしい。反対する気持ちは微塵もなかった。だけど朋希とはこれまでのように会えなくなる。寂しさはどうにもごまかせなかった。 「朋希は高校を卒業したらどんな仕事をするか、なんかイメージある?」  俺自身にはまだ具体的な夢はない。朋希と離れて、学業とアルバイトの両立にくじけてしまいそうだ。 「学校の就職実績にはホテルとか大きなレストランチェーンもあったけど、僕は個人経営みたいなところがいいな」 「個人経営?」 「うん。僕がご飯食べてると、おじいちゃんたちがうれしそうにしてて。だから食べてる人の顔が見える距離で料理できるといいなって」 「それ、いいなぁ。でもそれだと接客も自分でやる感じになるんじゃない?」 「そっか、接客……」 「そうだ! 俺と一緒にやろう! 俺が接客担当で朋希が料理するの。どう?」  降って湧いた思いつきが、俺の鬱々とした気分を吹き飛ばした。隣にいる朋希も頷いてくれる。 「よし! 約束だ」  そこに至る道筋も想像できないのに、ふたりでならやれる気がして気分が高揚する。  この目標がこれからの自分を支えてくれる。確かな予感だけがあった。  だけど突然見つかった目標を前に、俺は途方に暮れた。あまりに漠然としていて、自分がどうすればいいのかさっぱりわからないのだ。 「夢物語みたいな約束を現実にする方法が知りたい」五里霧中な俺は助けを求めた。母親はありきたりだけどねと、珍しく真面目な顔をした。 「まずは勉強。直接役に立たなくても、物は知らないより知ってたほうがいい。先で何をするにも土台になると思う。許可や資格が必要になるだろうし、自営なら帳簿とか申告とかやらなきゃいけない。バイトも業種に関係なく、自分だったらどうするかなとか考えながらやったらどうかな。具体的なことはずっと先だろうけど、佳生は何をするにも対応できる常識と、あと、できるだけお金を持ってたらいいんじゃないかな」 「つまり勉強して、金を稼げばいいんだな」  子どもの自分にできることはほとんど無いようなものだが、反対に、とてつもなくあるようにも思える。道の先どころか、足もとさえおぼつかない。 「でも大切なひとのためなら、自分でも驚くくらい頑張れるよ」  料理などしたこともない俺の突拍子もない夢を、母親は応援してくれるようだ。  受験を終え高校が決まると朋希と一緒にスマートフォンを買った。引越し先の町は電車で二時間ほどの距離で、いざとなれば駆けつけられるが毎日は会えない。互いの連絡先を登録しあう。離れても声を聞けるその安心感がうれしかった。  夢を叶えるまで、励ましあいながら歩く。「絶対にひとりで悩まないこと!」そう言って指切りをした。また一つ約束が増え、俺は十五年暮らした町を離れた。
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