人は見た目で、そうではないと、男が知った色々な現実

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 女はパソコンに向かってキーボードを必死に打っていた、あまり根を詰めてはよくないのだが、集中すると数時間、ぶっ続けでモニターに向かってしまうのはいつものことだ。  以前はコンタクトを使う事もあったが、パソコン仕事の最中は眼鏡になってしまった。  昔なら無理だったが、今では眼鏡も店に行けばすぐに作ってもらえる、しかも値段もリーズナブルだ。  不意にキーボードを打っていた指が止まった。  お腹、空いたなあ、壁の時計を見ると昼を過ぎている、作るのは面倒だと思い近所のコンビニに出かけた。    ドリンクの棚からコーラを取り、何かお腹を足しになるものをと思ったが、殆どの棚が空だ。  だが、メロンパンを見つけた、それも期間限定のクリームたっぷりというやつだ、これはおやつにしようと思い、レジに向かう。  ホットスナックのコーナーをちらりと見た後、店員にカレーパンを一つと頼んだ。  「今、揚げたてですよ、普通のと辛いのがありますが」  「あっ、普通ので」  女性店員は、こっちは激辛、かなり辛いですとにっこりと笑った。  自分の好みかを把握されているなあ、ここ数日、通っているから無理もないと思ってしまい、女は店を出た。    家に帰るまで我慢できない、建物の壁に体を預けるようにして、カレーパンを袋から取り出し、かぶりついた。  ついでにコーラの蓋も気をつけながら開けて一口、飲み込むと、ああっ生き返ったと思ってしまう。  これであと少し頑張れると思ってしまう、今日は残りを書き上げたら風呂に入って寝よう、入浴剤は最近、買った、とっておきのやつだ。  自転車に乗った学生が次々と店に入ってくる、それに混じってスーツ姿の男性が一人、自分の前を通り過ぎようとした瞬間、女はあっと声をもらした。  男が足を止めて振り返る、やはりと思った女は思わず声をかけた。  「猫は元気ですか」 一瞬、不思議そうな表情になった相手だが、じっと女の顔を見てああと頷いた。    数日前、男はコンビニの前で一匹の猫と会った。  いや、その言い方は正しくないだろう。  店から出たとき、足下にすり寄ってきたのだ、何かくれると思ったのかもしれない。  痩せて毛並みもよくない、思わずあんパンの皮の部分だけを少しちぎって差し出すと躊躇うことなく食べる。  よほど空腹だったのかもしれない。  「あんた、連れて帰るのかい」  そのとき店から出てきた老婆が声をかけてきた。  「そんなことするから居着くんだよ」  まるで、自分が悪いことをしているような気がして男は立ち去ろうとした。  それなのに猫はついてきた、追い払おう、ついて来られたら面倒だと思った。  だが、大声を出したり、蹴飛ばしたり、そんなことはしたくない、今の自分にはできなかった。    そうか、あのとき、この女性もいたのかもしれない。  男はコンビニに入るとパンと飲み物を手に取り、どうするかなあと頭の中で考えた。  女性に言われて猫の事を思い出したのだ。  いつまでもも部屋の中に閉じ込めておくわけにはいかない、それに今朝、大家から言われてしまったのだ。  もしかしたら薄々、感づいているのではないかもしれない、このまま内緒というわけにはいかないだろう。  猫がいるとわかったら飼うのはやめてほしい、もしくは自分が出て行ってくれと言われるかもしれない。  鳥、魚、ハムスターぐらいなら大家も許してくれるだろう、だが、猫や犬ともなると簡単にはいかないだろう。  余裕があればペット可のアパート、マンションとかに住んで猫の一匹ぐらい飼えるだろう。  だが、今は自分も余裕はないのだ。  それなのに野良猫を自分の部屋に連れてきてしまった。  だが、問題はそれだけではない。  パンとコーヒーを買い店に出る、先ほど声をかけてきた女性は食べ終わったのかパンの入った袋をバッグに入れてコーラを飲み終わったようだ。  男は意を決して声をかけた、駄目で元々だと。  「猫を飼う気はないかい」  ふかふかのベッドで丸くなっている猫の姿を見ると男は、ほっとした、良かったと心の底から思ってしまう。  あのときは、断られても不思議はないと思っていた。  猫を飼わないかと声をかけても少ない知り合いからは皆、断られてしまった。  仕事をやめたばかりの自分では、たかが猫一匹という問題ではない  部屋までついてきた、その日の夜中になって吐き戻したことに驚いて翌朝、動物病院に連れて行ったのだ。  そのとき、妊娠していますよと言われたのだ。  大事なことを黙っているわけにはいかなかった。  自分のアパートでは飼えない、それで引き取り手を探しているんだか、猫は妊娠していると、断られても仕方ないと思いながらも言ってしまった。  だが、今、その猫はふかふかのベッドで眠っている。  いや、猫だけではない、男も一緒に住んでいるのだ。    この古いアパートに男が引っ越してきたのは最近だ。  大家である人間が高齢で維持と管理が大変になっていたのを女性が買い取った、だが古いといっても一棟のアパートだ一人で、ではない  住人は皆顔見知り、中には訳ありの人間もいる。  二階建てで全部で十二室もあるが、部屋の壁をぶち抜いて縦横無限に行き来できるようにしている。  そして男は住人たちの食事、頼まれごと、雑務などをしているのだ。   「市役所と警察に行かなければいけないんだけど、一緒に来てくれると、うっ、嬉しいんだけど」  おずおずとした口調で、その日の朝、住人の男性に声をかけられて男は頷いた。  この若者は人と接するのが苦手らしく、緊張が激しく、ピークに達すると失神、時には過呼吸を起こすことがあるらしい。  その為、家族は疲弊した、二十歳を過ぎたばかりだか、新社会人として会社勤めを始めた若者は社内でいじめに遭い、家出同然でふらふらとしているときに学生時代の友人に会い、このアパートのことを知ったらしい。  「たまこちゃん、具合どう、もうすぐ、生まれっ、るよね」  男が連れてきた猫は、たまこと名前をつけられた。    役所から出ると若者はほっとした表情になる、緊張していたのだろう。  「ありがとう、そ、その、ついてきてもらって、あの」  青年は下げていたショルダーバッグから封筒を取り出した。  「駄目です」  男は慌てた首を振った、頼まれごとをするたびにわずかだが千円札を数枚、出してくるのだ。  お礼だからというが、こんなことぐらいでと男は思ってしまう。  大人だが、人付き合いが困難で、緊張してうまくしゃべれない、そんな社会不適格だと自虐的になっている若者の姿に男はなんともいえない気分になった。  「じゃあ、このお金は貯金だ、子猫が生まれたときの為に」  一瞬、若者はあっけにとられた顔になったが、次の瞬間、表情がぱあっと明るくなった。  アパートに着くまで、にこにこと笑っている、もしかしたら子猫が生まれたときのことを想像しているのかもしれない。  「もらい手とか探しているんでしょうか」  若者の言葉に男は頷いた、だが思い出したように。  「二階の人が自分の部屋で飼いたいと」  「えっっ、誰ですか」  「ええっと、名前は、すみません、覚えてなくて、でも写真を撮るみたいです」  住人たちとは会えば挨拶もするし、会話もするが何をしているのか、仕事のことなどは知らないのだ。  最近の風潮かもしれない、個人情報の漏洩、詮索しすぎるのはよくないと思ってしまうのだ。  アパートの近くまで来たときだ、まるで、喧嘩、言い合いをしているような声が聞こえてきた。    「ですからあっっ、猫を返してほしいんです」  中年の男女が、大声で喚くような声を上げている。  男と青年は何事かと足を止め、躊躇したのは無理もなかかった。  「今はくっっいていますが、前足を骨折していたようですね、前足を」  獣医の言葉を男は思い出した。  だからだろうか、あの日、自分のアパートについてくる途中、猫は何度か立ち止まっていた。  見かねて抱き上げてしまった、猫は部屋の中でも歩き回る事はしなかった。  「不自然です」  獣医の言葉の意味が、すぐにはわからなかった。  「でも、すり寄ってきて」  「頼らなければ駄目だと、限界だと思ったのかもしれません」      下品な男女でしたね、夫婦だといってましたが。  鍋から豚の薄切りをすくいタレもつけずに女は口の中に放り込んだ。   「自分たちの猫だから返せですか」  「たまこさんは今」  「二階の河水(かすい)さんのとこ、静かだし、日あたりいいからって、あの人、トイレ、ベッド、おもちゃも買ってるよ、今日なんてね、一階の土方さんと一緒にバンでホームセンターに行って、木材やロープ、とにかく色々と買ってきて、作るんだって猫タワー」  皆の手が一瞬、止まった。  住人は皆、普段は食事は自分の部屋で食べることが多いのだが、今夜だけは違っていた。  「はあっ、何、それ、大工にでもなったつもり、いや」  「河水さん、カメラで、たまこさんを撮ってた」  「女優から変更かよ」  「でも、どうすんのたまこさん、返さなきゃ駄目とか」  「そのことでね、ちょっと」  箸を止めた女性が台所から肉と野菜のおかわりを持ってきた男を見て話していいと尋ねた。  「何、それ、わざとってこと」  「嘘、でしょ」  「なんで、あの二人」    鍋の肉と野菜に手を出す者はいなかった。  「怪我や骨折だとしても折れる場所が明らかに変だと獣医さん、言ってたんですよね」  女の言葉に男は頷いた。  「あのとき、たまこさん、変だったよ」  アパートの中で一番若い女子高生が呟いた。  「ねぇっ、たまこさんは、ここに、アパートにいてもいいでしょ、もうすぐ、生まれるんだよ」  「難しいなあ、生き物だからね、本当の飼い主なら」  「あたし、バイトする、キャットフードとか、病院代とか、新しい飼い主なんて」  ここで飼っても、最後の言葉が出てこないのは現実を知っているからかもしれない。  そのとき、おずおずと一人の女性が、あのーと手を上げた。  「誰か、電話を貸してもらえますか」  「じょうさん、どうしたの」  「頼もうと思います、夫に」  部屋の中が、しんと静かになった。        「ねえっ、本当に大丈夫なの、今月の支払いまでに入金しないとカードを止められるわ」  「大丈夫だ、あの猫さえ手に入れば、金には困らない」  男の言葉に女は安心したように頷きながらほっとした笑顔になる。  もし、今月の引き落としが滞ればバッグ、服、いやアクセサリーを預けなければいけないかもしれない。  バッグだけではない、アクセサリーや服など、全てブランド商品で大事なものだ、どれ一つとして手放したくない、いや、失いたくない。 そのくせ、何度か着てしまうと服などは興味を失ってしまい、衣装ケースに放り込んでクリーニングにも出さずにそのままだ。  アルバイトも短期ではたいした金にならない、夜のバイトならと思って働き始めた、最初の頃はうまくいったと思っていた。  客の話を聞いて優しくすれば年上の男は自分に都合良く何でもいうことを聞いてくれる。  バイト生活で困っていると告げれば、これを生活費の足しにしてほしいと数枚の万札を渡してくれる。  軽い気持ちで付き合い、寝たこともあった、だが、それで失敗した。 病気を移されたのだ、水商売といえど昔と違って、その点は厳しくなった。  秘密、内緒にしていたのに性病になっていたことを店のオーナーだけではない従業員、全員が知っていた。  店を辞めてくれと言われたときには驚いた。  後から知ったのだが、ばらしたのは客の男だった。  自分が店外デートをして複数の男から金をもらっていたことを知って、店の女の子に告げ口したらしい。  病気の自分のことが可愛そうで、どうしても慰めたいと思っている抱かれてもいいと言われて、拒む事ができなかった。  それを知ったとき、女は腹が立って仕方がなかった。  数ヶ月かかって、ようやく完治した後、再び、夜のバイトで働こうとすると自分の事が知られていた。  店外デート、複数の男と関係を持ち、病気を客に移して平気な顔で店で働いていた厚顔無恥な女、ひどい人間だと、    嘘ですと、自分は被害者なんですと言っても無駄だった。  夜の店、バイトは手っ取り早く金を稼ぐのは自分にとって都合がよかった、どうしようかと迷っているとき、男と出会ったのだ。  男は顔はいい、着ているものも、金のあるいい男だと思ったが、そうではなかった。  自分より若く顔のいい男はどこからネタを仕入れてくるのか、夜の繁華街で女をナンパし、寄生して生活しているような住所不定の男だった。  頼りになるのはスマホのようで、それで金になりそうなネタを見つけては小遣い稼ぎのようなことをしているらしかった。  そして見つけたのが、今度の件だ、行方不明の猫を探していますというネットの広告を見たのだという。  以前にも行方不明の犬を探しているという広告を見て見つけて連れて行ったら、かなりの謝礼を受け取ったという。  「まあ、ちょっとした、こつがあるんだけどな」  男は、そのそのときのことを詳しくは話さないし、女も聞こうとはしなかった。  金が十分すぎるほとあって、贅沢な生活できれば、好きなものを買うことができたら満足だと思っていたのだ。  「よし、行くぞ、金が手に入ったら焼き肉でも食いに行くか」    アパートを訪ねた男女はすぐに猫を引き渡してもらえると思っていた、だが、インターホンを鳴らして出てきたのは男性だ。  ぱりっとした着こなしのいいスーツは一目で仕立てのいいものだとわかる。  「ああ、猫を探していたという方ですね」  「ええ、そうです、先日は事情があって引き渡せないと言われたんですが」  「戸籍は、出生証明書はお持ちいただけましたか」  男は頷きながらバックから取り出した紙を男に渡した。  今では犬猫の売買、準血、mixを問わず、ブリーダーやペットショップで犬猫の譲渡の証明する為に書類は必要だ。  男はスマホで検索して色々な証明を調べて、それを繋ぎ、貼り合わせてコンビニのネットプリントで作成した。  つまりは偽造書類ということになる、だが、万が一の為に友人に頼んで見てもらったのだ。  これなら大丈夫だと思った。    拝見しますと受け取った男性は書類を見ると、わずかに顔を上げた、そしてどういうことですと尋ねた。  「これは、どういうことです」  何を言われた、いや、聞かれたのか、男は言葉の意味がわからず、あっけにとられた。  「元の飼い主である方は不慣れで譲渡や全ての書類に使うのはやめてほしいと仰ったはずです、何故、この書類は日本語なんです」  「えっ、ああ、いや、このアパートの住人は日本人でしょう、この間、応対してくれた人も、それで」  「では、○○○語の書類、元本はお持ちなのですね」  日本語以外、英語ならわかる、だが、男が口にしたのは聞いたことのない言葉だ。  このとき男は目の前の男性の服装、スー値の襟元に光る小さなボタンを見た、いや、バッジかもしれない。  ふと、昔の出来事を思い出した、この男、弁護士だと。      そのとき、足音がした。  振り返ると着物姿の長身の男が立っていた、だが、その顔は日本人ではない。  「実は完治こそしているが、前足を両方、怪我、骨折していたということがわかりましてね」  にっこりと笑いながら男が、若い男と隣にいる女性を見た。  「不自然だというんですよ、医師は、もしかしたら、故意に怪我をさせられた可能性がと言いまして、本来の飼い主で有る」  このとき、ごほんと咳払いをしたのは和服姿の男だ。      コンビニから出ようとしたと、ぶつかりそうになった男は相手を怒鳴りつけた。  ひゃあと声を上げた老婆は驚いたのか足を滑らし、その場に尻餅をついた。  レジの店員が大丈夫ですかと慌てたように駆け寄る。  「なんだい、年寄りにまで乱暴かい」  「な、なんだと」  「ああ、怖い、何するかわからないね、知ってるよ、あんた、犬、猫にわざと怪我させて金をせしめていたんだろ」  老婆の言葉に男は一瞬、言葉を失った。    「ねえっ、あの人でしょ」  「奥さん、万引きで掴まったじゃない」  「えっ、掴まりそうになって刃物を振り回してた人」  「ちょっと、危なくない」  このとき男は気づいた、周りの視線に。  まるで、異常な、犯罪者を見るような目で見られている事にだ、自分が。  慌てて、その場を立ち去る、背後から追い立てられているような気持ちが拭えない。  どうして、こんなことになった。  あの日、猫を手に入れる事はできなかった。    そのことに女は怒って、自分にものを投げつけてきた、カードを止められるとヒステリックに半泣きになってだ。  それから数日後、ブランドショップで女は万引きをした。  咎められた女は定員に向かってカッターナイフで切りつけようとしたのだ、小型のカッターだったが、店員は怪我をした。  逃げようと女が店の外に出たとき、子供とぶつかった。  泣き出す子供の声で騒ぎは一層、大きくなった。    男は思った自分は、もうここには居られないと、女と暮らす事も無理だ、自分は異常者のレッテルを貼られたといってもいいだろう。  逃げようと思ったとき、肩を叩かれた。  振り返ると男が立っていた、誰だと思ったとき、いきなり顔面に拳が叩きこまれた。  「じょうさんの旦那さん、来ないの」  「仕事が忙しいらしいです」  「ああ、ほら」  床の上では子猫が這い回るように動き回っている。  「そういえば、青年、バイトを始めたんだって」  「自分の部屋に猫ベッドを置くからって」  「あらあら、で小説家は」  「あの人、今、恋してるは」  「それって、猫と一緒に来た」    キーボードを叩いていた女は、一休みしようかと手を止めた。  コーヒーよりも甘いものが欲しいと思い、椅子から立ち上がり冷蔵庫に向かう。  冷蔵庫の前にたまこがいた。  何か食べると声をかける。  子猫が無事に生まれて子育てで大変だと思う、ミルクの量が足りない時は住人たちが数時間ごとに交代してミルクをあげている。  最初は難産かもしれないと言われていたが、無事に生まれた、それも六匹もだ。  自分の今月の書いたものはどうだろう、もし駄目ならネットにあげよう、どこかの投稿サイトにupするのもいいだろう。  「写真集、だすのかな」  二階の住人の事を思い出した。  最近はペットの写真集なんて珍しくない、商業誌よりも個人出版、同人として出巣のもいいんじゃないという話が出ている。  住人、デザイナーの提案だ。  子猫が生まれたら里親をと思っていたのに、住人たちは、その話になると無言になる。  「まあ、バイト、職探ししているしね、皆」  冷蔵庫のドアを開けると、コーラが入っていることに気づいた。  五百ミリのペットボトルだ、買ってきたのはあの人だろう。  今度は、あんパンを買っておこうと思いながら、足下を見るといつの間にか猫はいない。  子供たちのところに行ったのかもしれない。  「よし、もうひと頑張りしよう」
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