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二日目 アリバイ 日谷視点
二日目 アリバイ 日谷視点
現場に残っていた土井の持ち物は、新しい着替えと部屋から持参したと思われるタオルしかなかった。
また、凶器と思われる物や避妊具の包装袋以外の変わった物も見つからなかった。
「結局見つかった不審物は避妊具の包装袋ぐらいか」
月野は腕を組みながらウンウン唸っている。
「ねぇ、日谷さん。”ゴム”があるってことは、犯人は男なのかな?」
火狩が私に寄り添いながら小声で囁いた。
「その可能性は高いけれど断言は出来ない。偽装工作の可能性がある」
使用済みの避妊具が残っていれば男が犯人だと考えられる。だが、肝心の中身が見つかっていない以上、誰でも同じ状況を再現出来てしまう。
私でも火狩でも、状況の再現だけは可能ということだ。
「偽装工作?」
火狩がピンと来ていない顔をしている。
こんな簡単な言葉も知らないの?
それとも、意図が分からないという意味なの?
後者なら気持ちは分かるけれど、前者だとしたら教養の無さに呆れてモノも言えない。
「自分が犯人だとバレないように、偽物の証拠を残すってこと」
「あぁ、なるほど」
表情を見るに、彼女がしっかりと理解しているとは思えなかった。
これも演技なのだろうか。
「質問いいかしら? 注文すれば青酸カリみたいな毒物も取り寄せられるの?」
近くのメイドに訊ねると、メイドは頭を下げてから言った。
「そういった危険な物はご用意出来ません」
「そう。じゃあ毒殺の線は薄いということね。あと、もう一つ質問。土井さんは頭をナニかで殴られているわけだけど、凶器になり得る物は注文出来るの? ハンマーでもバールでもバットでも、硬くてそれなりに重くて振り回せるような物なら何でも良いんだけど」
「そういった危険な物はご用意出来ません」
同じ返事が返ってきた。
「危険な物は用意出来ないというのは建前で、犯人にだけ融通するとか無いよね?」
「そのようなことは決してございません。我々は全員に平等に接しております」
つまり、犯人は凶器と避妊具を注文したということになる。
「注文履歴って見ることは出来るの?」
無理だろうなと思いながら聞いてみたが、返ってきた答えに驚いた。
「はい。本人様の同意があれば可能です」
横で聞いていた月野が「マジか」と呟いた。
「だったら、アリバイの確認ついでに全員の注文履歴を確認するというのはどう? 凶器か避妊具を注文した人が限りなく黒ということになる。実に分かりやすいと思うけど」
月野が皆の方を向きながら提案すると、水嶋と木村があからさまに嫌そうな顔をした。
隠せば隠すだけ疑われることを理解していないのか?
でも、これで土井を殺した犯人を追い詰めることが出来るかもしれない。
現場の調査が終わったため、全員で三階のホールに移動した。
こんな事を考えることすら不謹慎なのだけれど、死臭が段々強くなってきたために脱衣所に長居することは困難になったからだ。
自室で隠蔽工作をしないようにするためにも、タブレットはメイドが取ってくるように月野が指示をした。
メイドがタブレットを皆の部屋から持ち出して、持ち主に渡した。
「じゃあ、夕食後の行動と注文履歴を順番に教え合おうじゃないか。自己紹介は自分からだったから今回も自分から言わせて貰おう」
月野はコホンと咳払いをした。
「自分は夕食後、ずっと部屋で本を読んでいた。読んでいたのは『葛城埋蔵金殺人事件』。あの大音量の放送が流れるまで自室に一人でいたから、アリバイは無いと言われてもしょうがない」
そう言ってから月野はタブレットを操作した。そして、操作を終えると皆に画面が見えるように掲げた。
注文履歴
栞 一点
ヘッドライト 一点
「ヘッドライト?」
金原が質問をした。それは私も気になった。
月野は何かを思い出したように頷いた。
「あぁ、自分は本を読む時は座ったり寝たり色々姿勢を変えるんだ。姿勢によっては天井の明かりが上手く届かなくて少し暗く感じるだろう? 明るさがコロコロ変わるとストレスだからね。そういうことが無いようにヘッドライトを頭に巻いて明るさを維持しているんだ」
変わってはいるが、ヘッドライトが今回の事件と関係あるとは考えにくい。
「何か不審なモノを見聞きしなかった?」
念の為聞いてみると月野はヘラヘラと笑った。
「ホールで大騒ぎすれば何か聞こえるのかもしれないけど、基本的に自室にいると外の物音なんて聞こえないじゃないか。皆もそうじゃないの?」
「そんなの分かってる。念の為聞いただけ」
分かってはいたが、私の部屋だけが防音性能に優れているわけではない。
余程の大騒ぎにでもならない限り、部屋の中にいたら何も聞こえないだろう。
土井が八時半よりも早く自室を出た音すらも。
「じゃあ、次は火狩さん」
「ウチか」
火狩は「んんん」と斜め上を見ながら呟き、少し考え込んだ。
「ウチは部屋でダラダラ過ごしてたかな。土井さんが、八時半から日谷さんと三人で大浴場に行こうって誘ってくれたから、それまでの時間は特に何もせずに部屋にいたよ」
月野が私を見た。
「そうなの?」
月野は火狩を疑っているというわけではなく、単に確認を取りたかったのだろう。
隠すことでもないので正直に話すことにした。
「えぇ、そうよ。後で言おうと思っていたのだけれど、八時頃に一度土井さんに電話したけど繋がらなかった。八時半になっても電話が繋がらなかった。だから、部屋の扉をノックしてみたのだけど、それでも反応が無かった。
きっと寝ているのだろうと思って、火狩さんと二人で大浴場に向かうことにした。そうしたら土井さんが倒れていた。そういう流れ」
火狩はウンウンと頷いている。
「ふぅん。じゃあ、第一発見者は火狩さんと日谷さんという事か。第一発見者が火狩さんと日谷さんであるということをメイドは認めるのかな?」
月野がメイドに訊ねたが、メイドは「我々に最初に報告をしたのは日谷様ですが、それより前に誰かが発見したかどうかは教えることは出来ません」と言った。
つまり、第一発見者の保証はしないというわけか。
「ウチから言えるのはそのぐらいかな」
「ちょっと待って」
月野の言葉に火狩はあからさまに動揺した。
「え!? ちょ、何!? 第一発見者だから怪しいってこと!? そ、それなら日谷さんも第一発見者だよね!?」
「いやいや。注文履歴を見せて貰わないと」
月野は火狩の動揺を気にする素振りも見せずに、火狩の持つタブレットを指さしながら言った。
火狩は頬を真っ赤にしながら言った。
「あ、何だ。タハハ。勘違いしちゃった」
火狩はタブレットの側面や裏面を眺め始めた。
「ウチ、こういう機械が良く分からなくて。まず電源ボタンがどれかもよく分からないし。なんか『備品の注文はタブレットで』って案内があったけど、そもそもタブレットの使い方すら分からないから、お風呂入ってる時に日谷さんに聞こうと思ってて」
火狩がチラッと私を見た。
私に助けを求めている目だった。
仕方がない。
「とりあえず貸して」
私が手を差し出すと火狩はタブレットを渡してきた。渡されたタブレットの電源を入れて、注文履歴のページを開いた。
注文履歴
無
「火狩さんの言う通り、注文はしてないみたい」
私は全員に見えるようにタブレットの画面を相手に向けた。
「なるほど。メイドに聞きたいのだけど、注文履歴を消すことは出来る?」
月野がメイドに訊ねると、メイドは即答した。
「サービス向上のため、そしてトラブル防止のため、注文履歴の削除も商品名も個数も改ざんすることは出来ません」
ということは、火狩が注文していないことは確定された。
「良かった。ウチが犯人じゃないことが証明されたんだね」
火狩が胸を撫で下ろすように言ったが、月野は「犯人じゃないことが確定したわけじゃない」と冷たく言い放った。
「な、何で!?」
月野は「何でってそりゃ」と呟いてからしばらく口を開けたまま呆然とし、何かに気が付いたように「あぁ」と呟いた。
「話すと長くなりそうだからその辺の話は全員分確認してからしようか」
このタイミングで説明しないことについては私も賛成だ。
犯人に嘘の付き方のヒントを与えることになるかもしれないから。
「じゃあ、次は」
月野は水嶋を見た。それに合わせて、私を含む他の人も水嶋を見た。
「チッ。俺は犯人じゃない」
水嶋は舌打ちをしながら明後日の方向を見た。
「犯人じゃないのなら、夕食から事件発覚までの自分の行動を話せると思うんだが」
「俺に命令するなッ!」
「何も説明しないということは、誰にも言えないことをしていたと疑われることになるけれど、それで良いということかい?」
月野は挑発するようにニヤニヤと笑みを浮かべながら言った。
「ゴチャゴチャと勝手なことを抜かすなッッッ!!」
「まぁまぁまぁまぁ」
水嶋が月野に掴み掛かろうとしたところを、金原が仲裁に入った。
「夕食の後、何処に行ってたか教えてくれれば良いから」
水嶋は数秒間金原を睨み付けてから「時計見て過ごしてねぇよ」と言った。
「それは僕も同じだよ」
金原が宥めるように話しかけると、水嶋はチッと一際大きな舌打ちをした後に溜息をついた。
「自分の部屋で一眠りした後に大浴場で風呂に入ってたら放送が聞こえたんだよ。時間も知らんしそこで死んでる女がどうこうも何も知らん」
「そういう言い方は無いんじゃないの?」
限界まで怒りを抑え込んだつもりだったが、息を吐くために開けた口から不満が漏れ出た。
当然のことながら、水嶋は私を睨みつけた。
「うるせぇな。本当に何も知らねぇんだよ」
「まぁまぁまぁ。とりあえず話を聞かないとお互い何も分からないでしょ?」
私まで宥められる側になってしまった。
恥ずかしさと共に怒りが込み上げてきたが、今度は何とか呑み込む事が出来た。
「そうね。悪かったわ。続きをどうぞ」
「チッ。続きも何もねぇよ。部屋で仮眠して風呂行ったら放送が流れた。それだけだ」
「注文履歴が残っているでしょう?」
「は、はぁ? いや、それは」
この時、共同生活二日目にして初めて水嶋が狼狽える姿を見た。
何だ?
何か隠しているのか?
「頼んだのは電子タバコだけだ」
水嶋はそう言うと、ポケットに手を突っ込んで何かを取り出した。
「コレだけだ。俺が頼んだのは。紙煙草もライターもねぇから仕方なくコレを頼んだ」
水嶋が握っていたのは電子タバコ、と呼ばれる物らしい。
私は煙草を吸わないので、電子タバコと加熱式煙草の違いが良く分からないが、月野や金原が何も口出ししないということは嘘ではないということだろう。
「頼んだのが本当に電子タバコだけだったら、別に注文履歴を見せても良いじゃない」
私がそう言うと水嶋は舌打ちをした。
「だから現物見せてんだろうが。何でいちいち履歴まで見せる必要があるんだ」
水嶋が何かを隠している。
明らかに履歴を見られると困るという態度だ。
そこに犯人に繋がるナニかがあるに違いない。
だが、どうやって履歴を公開させる?
どんな説得をしようとも、彼を納得させられるとは思えない。
だったら奪うしかない。
このタブレットは起動する際に本人確認が必要無い。前もってロックを掛けているのなら話は別だが、注文するだけのタブレットの起動に鍵を掛けるような神経質な男とは思えない。
水嶋のタブレットさえ手に入ればそれで良い。
一度でも失敗したら警戒されて奪う事は出来ないだろう。
どうすれば良い? どうすれば。
「まぁ、良いんじゃない。履歴を見せる気が無いって言うのならそれで」
私がどうにか水嶋の注文履歴を白日の下に晒そうと攻め方を考えていたというのに、あっさりと妥協案を示したのは月野だった。
何がしたいの?
さっきまで水嶋を挑発していたというのに。
月野の非常識な提案に、さすがに声を大にして反論した。
「い、良いわけないでしょ! 凶器を注文していたかもしれないのに」
「”履歴は見せられない”という態度そのものが収穫ということだよ。まだ半分しか確認が済んでいないのだから後回しにすれば良い」
「な、何でよ。ただ見せるだけでしょ?」
「だから、すぐには見せられないなら後回しにしようと言っているだけじゃないか。メイドは『注文履歴の改ざんは出来ない』と言ったんだ。後回しにした所で証拠が消えるわけじゃない」
「それは、そうだけど。でも」
「時間の無駄だ。はい、次」
一方的に場を進行しようとする月野を私と水嶋は睨みつけたが、何かしらの突破口が見つからない限り話は進展しないと思い、最後は私が妥協した。
月野がまともに調べるつもりがあるのかすら分からなくなってきた。
「ぼ、僕は犯人じゃないよ。だって映画を観ていたんだから」
自分の番が回ってきた木村は、開口一番ジェスチャーを交えながら無罪を主張した。
「夕食の時に話したゾンビハザードの『0』『1』『2』の『0』を観ていたら、いきなり大音量で放送が流れて映画が止まったんだ。『0』の終盤で場面も感情も盛り上がっていたというのに。それで仕方なく此処に来たら人が死んでたんだ。僕が犯人じゃない事はメイドが知っているはずだ」
木村はキョロキョロと見回したが、目当てのメイドがいなかったのか首を傾げた。
「映画館の入口でメイドに映画の予約をしてからスクリーンに入ったんだ。そのメイドが、僕が映画館にずっといたことを証言してくれるはずだ」
メイドの一人が一歩前に歩み出た。
「木村様が映画館にてずっと映画を観ていたという点は我々には証言出来ませんが、現時点で映画館の放映スケジュールに『ゾンビハザード0』『ゾンビハザード1』『ゾンビハザード2』が残っていることは保証致します」
「ホラ! 僕は犯人じゃない! 映画の予約が入っていたんだから」
メイドの言葉を聞いた木村は声を大きくしながら言った。
映画の予約をしただけで、見ていない可能性があるでしょ。
そう言おうと口を開いたが、先程の水嶋の件で私が話を掻き回していると思われるのも癪だったので黙っていることにした。
月野が何か思い付いたような素振りを見せたが、月野も何も言わなかった。
「映画館にいたってことは分かったわ。じゃあ注文履歴を見せて」
木村は自分のタブレットを両腕で抱きしめながら「べ、別に変なモノは頼んでないよ。凶器とかゴムとかさ。だから良いだろ?」と抵抗した。
「良いわけないじゃない。それともナニ? ”彼のように”見せられない理由があるの?」
私が水嶋をチラリと見ながら言うと、水嶋は舌打ちをした。
「こういうのは、えっと、そうだ! プ、プライバシーの侵害だッ! 僕は見せないぞ!」
ゴチャゴチャと好き勝手なことばかり言う。
これだから頭の悪い奴等は嫌い。
「犯人探しをするって話になったんだから見せなさい!」
私が怒鳴ると木村の身体はビクッと震えたが、すかさず「僕は反対した! それに賛成と反対の差はたった一票じゃないか! 偉そうに言うなッ!」と吠えた。
「よっと」
私と木村が言い合っている最中に、月野は木村の後ろに回り込むと膝裏を蹴った。
「痛ッ! あッ!?」
バランスを崩した木村が倒れ込んだ拍子に、タブレットが木村の手から離れた。
「さてと」
月野は木村のタブレットを素早く拾うと慣れた手付きで履歴を開いた。
「痛た、あッ!? おいッ!!」
木村が慌てて立ち上がって月野からタブレットを奪おうとしたが、日頃の運動不足のせいなのか、肥えた身体のせいなのか、再びバランスを崩して倒れ込んだ。
月野は木村に一瞥もくれずに画面を皆に見せた。
注文履歴
ぷにぷに極上ホール 一点
ローション 一点
保湿ティッシュ 一点
成人動画視聴権(七日間) 一点
成人漫画視聴権(七日間) 一点
最悪。反吐が出る。
「なにコレ」
この場で唯一何を意味するのか理解していない火狩がポツリと呟くと、木村の顔はみるみるうちに真っ赤に染まった。
「最低だお前らッ!」
何とか立ち上がった木村が拳を振り上げて近付くと、そのまま月野の頬に向かって振り下ろした。
ゴッ。
あまり聞き慣れない鈍い音が響いた。
月野は金原の身体にぶつかりながら倒れ込んだ。
「ちょ、ちょっと、大丈夫?」
金原が心配そうに月野に手を差し伸べたが、月野はその手を断って自力で立ち上がった。
「良かったじゃないか。凶器も避妊具も無い。お前は犯人候補からほとんど外れたぞ」
月野はニヤニヤと木村を小馬鹿にするように笑った。
顔を真っ赤にした木村がもう一度振り下ろした拳を、月野は蝿を退けるように軽く手で払った。
「暴力は良くないなぁ暴力は。せっかく犯人候補からほとんど外れたというのに、何でもかんでも暴力で解決しようだなんて。まさか犯人だったりするのかい?」
「ち、違うッ! 僕は犯人じゃないッ!」
「だったらその拳を引っ込めろ」
この男は一体何を考えているのか?
履歴を見せない事を容認したかと思えば、奪い取って無理やり公開し、さらには煽り倒す。
自分の行動を賽の目で決めているのかと錯覚する程に一貫性が無い。
「えっと、次は僕か」
金原は気まずそうな笑みを浮かべながら話し始めた。
「僕は、あの放送が流れるまで部屋でゲームをしてたかな」
「ゲーム?」
つい先程まで激昂していた木村が反応を示した。
土井を殺した犯人を探している最中だというのに、趣味の話に興味を持つ。実に自分勝手な男だ。
「うぅん。注文履歴を見せた方が早いかな」
金原はタブレットの画面を皆に見せた。
注文履歴
ゲームキッズ 一点
ゲームキッズ充電器 一点
ゲームキッズ専用ソフト『マジックウォーズGK』 一点
「おぉ、懐かしい。小学生の頃流行ってたなぁ」
「マジックウォーズGKは新品だった? 未開封品なら軽く五万はするレアモノだけど」
月野と木村が反応を示した。
「あぁ、どうだろ。包装フィルムは無かったよ」
「ふーん。じゃあ高く見積もって五千円ぐらいかな。ロット番号とか状態にもよるけど」
木村がさらに話を進めようとしたが、金原が先に口を開いた。
「そんな感じかな。ずっと部屋でゲームをしていたけど、隣の土井さんの部屋から何か変な物音が聞こえたりとかは無かったよ」
本当に自室にいたかどうかは分からないが、それは全員に等しく言えることなので割愛する。そう考えると、金原の話に怪しい所は特に無い。
次は私の番だ。
私は少し乱れた呼吸を整えるように大きく深呼吸をした。
大丈夫だ。何も問題は無い。
「私はさっきも少し話したけれど、八時半まで一人で部屋にいたわ。八時半から土井さんと火狩さんの三人で大浴場に行く約束をしていたからね。変わった事といえば、八時頃と八時半頃に土井さんに電話したけど繋がらなかった事ぐらい。電話を二回掛けても出なかったから、八時半過ぎに土井さんの部屋のドアをノックしたけど反応が無くて。どうしようかと思っていたところに火狩さんが来たの」
「八時頃に電話したのは何故? 三十分後に会う約束をしていたというのに」
腕を組みながら質問をしたのは月野だった。
「何度も言うように、八時半に土井さんと火狩さんの三人で、二階の大浴場に行こうって話をしていたの。でも、現地集合なのか一緒に行くのか決めていなかった事を思い出したの。別にどっちでも良いけれど、現地集合だと思って一人で先に行ってたり、逆に、一緒に行くと思って部屋に残っている人がいたら嫌でしょ? だからその確認をしたくて電話をしたの」
「ウチも部屋を出ようかなってタイミングでそれを思い出したよ。そういえば聞いてなかったなぁって」
月野は、私と火狩の言葉に「なるほどね」と相槌を入れ、続けてメイドに向かって「通話履歴は確認出来るの?」と訊いた。
「少々お待ち下さい」
メイドは携帯電話を取り出して何やら操作を始めた。十秒ぐらい経過したところでメイドは顔を上げた。
「日谷様から土井様宛に『十九時四十一分』と『二十時二十四分』に発信記録が残っております。なお、土井様が電話に出られたかどうか、電話に出られた場合はそこで話した内容や通話時間についてはお伝えすることは出来ません」
「ん? あくまで発信記録というだけで、会話をしたかは保証しないということ?」
「その通りです」
「電話しても繋がらなかったけどね」
私はもう一度強調しながら言った。
「なるほどね。日谷さんの言った八時頃という証言と発信時間に随分ズレがあるような気がするけど、何か言いたいことはある?」
月野は何か含みのある視線を向けてきた。
挑発のつもりだろうか。
「時計を見ながら電話したわけじゃないからよ。ザックリとそのぐらいの時間だと思ってただけ」
月野は下唇を噛んで何やら考え込んでいたが、私の持つタブレットに視線を移した。
「まぁ、いいや。続きをどうぞ」
「あぁ、注文履歴ね」
私は注文履歴の画面を開いて皆に見せた。
注文履歴
滑らかタイツ 三点
アイマスク 一点
通信機能無携帯電話 一点
携帯電話用充電器 一点
皆の驚く顔が見て取れた。
「何? この通信機能無携帯電話って」
金原がメイドに訊ねると、メイドは淡々と答えた。
「言葉通り、通信機能の無い携帯電話です」
「そんなの何に使うんだよ。怪しいぞ。さては内通者はお前だったんだな」
木村が「このタイミングを逃すものか」と言わんばかりに捲し立てた。
「目覚まし時計とか日記帳の代わりに使ってるだけ。そもそも内通者って何のこと? それは”月野さんの推理ごっこの産物”でしょ? それに、本当に内通者だったら注文履歴なんか残さないようにコッソリ渡すもんでしょ」
月野が「”推理ごっこの産物”ねぇ。随分な言いようじゃないか。まぁ、否定する所は何処にも無いことは確かだ」と笑うと、木村は顔を真っ赤にして口をモゴモゴとさせた。
「日記の中身まで見せろとは言わないから、その携帯電話を見せて欲しいな」
たとえ気の合う友人であっても、私は自分の端末を他人に触られるのは嫌なのだが、この状況でそんな我儘を押し通すほどのこだわりでもない。
「そのぐらいなら、まぁ、別に良いけど」
私はメイドに指示をして携帯電話を持ってきて貰った。
火狩と金原は「へぇえ」と口をポカンと開けながら見ていたが、月野はすぐに「設定を見せて」と言った。
私はホーム画面にある設定画面を開いた。
「設定ってこの画面で良いの?」
「んんん、全部言葉で言うのは面倒だからちょっと貸してもらっても良い?」
月野はそう言いながら手の平を突き出した。私は「日記は見ないでよ」と念押ししてから携帯電話を渡した。
「他人の日記なんか興味無いよ。自分が見たいのは通信機能の方だから」
月野は慣れた手付きで操作を始めた。どうやらデータ通信に関する項目を開いたようだった。
「なるほどね。SIMは刺さって無い。Wi-Fiは、うぅん、飛んでいるがロックが掛かっていて繋げられないな。タブレットの設定から上手いことパスワードを、いや、それは後で良いか」
月野はブツブツと呟きながら別の項目も見ていたが「ありがとう。通信機能は無いし、通信した痕跡が無いことも確認した」と携帯電話を返してきた。
「まだ私のことを疑っているのなら、今此処で自分のタブレットで携帯電話を注文してみたら? 注文不可なら私のクロが確定するわけだし」
火狩と金原が驚いた様子で私を見た。月野は「それもそうだな」とタブレットで検索を始めた。
「あぁ、本当だ。確かにあるな」
水嶋を除く全員がタブレットで携帯電話を注文したようだ。
通信機能は無いというのに、全員揃って注文する光景に『スマホ依存症』という言葉が頭を過ぎった。
「ところで、タイツとアイマスクも説明が必要? 最初に貰ったタイツが肌に合わなくて痒くなったから違うのを頼んだ。少しでも明かりがあると眠れないからアイマスクを頼んだ。”これで満足”?」
「あぁ、”満足だ”」
お互いに含みを持ったやり取りは、恐らく他の人達には伝わっていないだろう。
「これで全員分確認が終わったんだよね? でも」
火狩が視線を皆に向けた。
「結局、凶器を注文した人はいなかったよね? コレってどういうこと?」
いや、可能性のある人間は残っているじゃないか。
もう忘れたとでも言うの?
「注文履歴を見せてない人が残っているけれど」
私が水嶋に視線を向けながら言うと、月野以外の皆が水嶋に視線を向けた。
「だからぁ、俺じゃねぇってッッッ!」
「あ、そうか。水嶋さんはまだ見せてなかったか」
火狩が口元に手を当てながら言った。
忘れていたのか?
どうも演技臭いような。
「このままだと貴方が疑われるけれど、それでも注文履歴を見せる気は無いの?」
「何で俺を疑うんだよッッッ! 大体あの女の注文履歴をまだ見てねぇだろうがッッッ!」
あの女?
水嶋の発した言葉の意味を、私は数秒遅れて理解した。
「その通り。彼の言う通り、土井さんが注文した可能性が残っている」
月野は淡々と述べた。
「ちょ、ちょっと待って! 土井さんが自殺したとでも言うの!?」
反射的に叫んだ。だが、月野は特に気にする様子もなく「そうは言ってない」と返した。
「土井さんの注文履歴が見たいのだけれど」
月野がメイドにそう言うと、メイドは首を左右に振った。
「本人様の許可なく見せることは出来ません」
「本人の許可も何も、彼女は既に死んでいるわけだが」
「本人様の許可なく見せることは出来ません」
土井の注文履歴は公開されない。
ということは、水嶋と土井のどちらかの注文履歴に凶器と現場に残されていた避妊具があるということなのか?
だが、土井が注文するとは到底思えない。
誰が注文したかは言葉にしなくてもハッキリと分かる。
その後も色々な可能性を出し合ったが、あまり有意義な情報は得られなかった。
初めての異常事態に心身共に疲れたのか、段々と皆の言葉数が減り、今日は解散しようという話になった。
私は自室に戻り、軽くシャワーを浴びるとベッドに倒れ込んだ。
現実のことだとは思えない。
数時間前まで一緒にいた人間が死んでいるだなんて。
死んだ彼女の冷たい身体、ニオイ、垂れた体液。あの時のニオイと光景が何度も何度も蘇り、とてもじゃないが寝付けなかった。
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