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プロローグ
プロローグ
X日目 XX視点
凶器を握りしめる拳に力が入る。息苦しさを覚えたタイミングで自分が息を止めていたことに気が付いた。大きく息を吸うと鉄とアンモニアの臭いが鼻を刺激した。
その臭いの原因は分かっている。
自分の眼の前には、数秒前まで死ぬことなど遥か遠い未来の話だと思っていた若者が頭から血を流し、股から尿を垂れ流して倒れているからだ。
悲惨な現場に偶然出くわした訳では無い。
自分の意思で眼の前の若者を殺したのだ。
初めて生き物を殺した自覚があるのは幼稚園に入ってすぐの頃。
園庭でアリの行列を見つけた自分は、一心不乱にアリを踏んだ。
何度も踏んだ。
何度も何度も何度も踏んだ。
殺戮の限りを尽くした後に足を上げると、そこには黒い点の集合体が、踏み潰されたアリの行列がそこにあった。
そのうち周りの子達も自分の真似を始めたが、何をしているのかと様子を見に来た先生に叱られた。
「アリさんが可哀想でしょ」
先生が涙ながらに叱った。周りの子達は、叱られたからなのか罪悪感に駆られたのか泣き出した。
でも、自分は泣かなかった。
可哀想? 虫は虫なのに。
数日前、ゴキブリが現れてパニックを起こし、殺虫スプレーで動かなくなるまで噴射し続けたのは紛れもなく先生ではないか。
僅か三歳にして、そう思った記憶がある。
小学生になった自分は、テレビか何かで「昭和の子供達はカエルに爆竹を括り付けて遊んだ」という事を知った。
とても面白そうだと思った。
小学校の近くにあった駄菓子屋で爆竹を買い、クラスの男子達と共に、カエルがいるであろう公園に行った。
「いた! カエル!」
誰かがカエルを捕まえた。カエルの種類は知らない。どうでも良いから。
ところが、いざ爆竹を括り付けようというタイミングで、誰もが爆竹を括り付ける役を嫌がった。
くだらない。
誰かが捕まえたカエルを奪い取り、自分が爆竹を括り付けた。そして、煙草を吸う親がいる奴から借りたライターで火を付けた。
爆竹の紐に火が点くと、自分以外の全員が一斉に蜘蛛の子を散らすように走って逃げた。自分だけは走って逃げるようなことはせず、数歩後ろに下がって爆発するのを今か今かと待ち望んだ。
パパパパパン パパン。
「「うおおおおおおおッッッ」」
公園中に湧き上がった歓声。それはいけないモノを見た興奮からなのだろう。少年達が歓声を上げた通り、カエルは見事に爆発四散した。その拍子に飛んできたと思われるカエルの肉片が自分の服に着いていた。
気持ち悪い。
手の甲で雑に払うとカエルの肉片は地面に落ち、砂に塗れて何処に落ちたのか分からなくなった。
アリやダンゴムシを踏んだ時よりは楽しかったけれど、まだ何か足りない。
そう思ったが、小学生の馬鹿な自分にはそれ以上のナニかを思い付くことは無かった。
中学生になると、良い意味でも悪い意味でも知恵がついた。
快感を求めるには虫でも両生類でも足りない。もっと強い快感を得られそうなのは何なのか。
そうだ。哺乳類。哺乳類に手を出そう。
そう思ってはみたものの、アリやカエルを殺したぐらいでは警察がどうこうという話にはならないが、哺乳類を殺すとなると警察沙汰になるかもしれない。それは何としても避けなければならない。実行するにしてもそれ相応の準備が必要になるだろう。
何か良い手は無いかと試行錯誤を繰り返していたある日、近所の空き家の裏庭に子猫がいることを知った。ミャアミャアと弱々しい声で鳴く子猫。無断で侵入した際に見つけた弱った子猫。
コイツは丁度良い。
そう思った。
そこから何日間は毎日ミルクと缶詰を持って裏庭へと向かった。最初の内は子猫に警戒された。近付くと室外機の下の僅かな隙間へと逃げ込み、缶詰とミルクを置いて離れるとゆっくりと顔を出し、再度近付くとすぐに隙間に逃げ込んだ。
だが、次第に警戒されなくなったのか、近くにいても姿を現すようになり、つい先日には触れても逃げない程度には自分に慣れた。
猫の警戒心を解きたいという気持ちもあったが、自分が毎日あしげく通った一番の理由は曜日や時間帯による通行人の数を確認するためだ。
人目の事だけ気にするのであれば夜中が一番である。だが、夜中だと光源を用意する必要があるし、空き家の庭から光が漏れているとなったら近所の人に見つかるかもしれない。
さらには、中学生が夜中に出かけるとなると目立つ。犯行現場に向かう途中であっても見つかったら警察沙汰になるかもしれない。以上の点と、数日間通い続けた結果を踏まえて、夕方に決行することにした。
いつものように缶詰とミルクを持って裏庭に行き、しばらく待っていると子猫が隙間から出てきた。風呂に入れたわけではないので相変わらず汚いままだったが、出会った頃よりは肉付きや表情が良くなっている気がした。
これから殺す猫のために小遣いを使ったかいがあったというものだ。
空き家の庭に放置されたままの植木鉢の下に敷いてある皿をミルクを入れ代わりに使っている自分は、いつものように皿を子猫の前に置いた。
子猫はソワソワとミルクが注がれるのを待っていた。
ピチャピチャピチャ。
お腹が空いていたのだろう。一度食べ始めたら止まらない。
人間が餌を与えると自分で餌を取れなくなるとは聞いていたが、この子猫もそうなるのだろうか。
いや、そうはならない。
今から死ぬのだから。
ミルクを飲み終わり、缶詰に口をつけ始めたタイミングで首根っこを掴んだ。一瞬身体をブルッと震わせたが、一心不乱に缶詰の中身を食べている。
子猫を持ち上げ、胸の辺りに手を持ち替え。
思い切り握った。
骨が砕ける感触。内臓が潰れる感触。胃の中身を吐き出す感触。胃の中身だけでなく内臓も吐き出し、それらが手にかかった感触。命が途絶える感触。
絶頂した。
脳が失禁したかと思うほどに頭の内側に熱い液体がブワッと一気に滲み出た。鼻と口から脳汁が垂れたかと錯覚する程の快感。生まれて初めての強烈で禁忌的な快感。初めて自慰行為をした時などとは比べ物にならない程の快感。
あぁ、子猫でこれ程の快感だというのなら、哺乳類の頂点に君臨する人間を殺したらどうなってしまうのだろうか。
だが、それを試す機会は訪れることはないだろう。
そう思っていたのだが、まさかこんな環境に身を置くことが出来るだなんて。
『七泊八日。外部との交信手段が完全に閉ざされた密閉空間において、日本中の何処の誰かも分からない人が集められて行われる共同生活実験』
主催者はハッキリとこう言ったのだ。
「八日間の間に起きたありとあらゆる事象は内密にお願いします。我々は何が起きようとも警察にも病院にも家族にも友人にも一切連絡いたしません。たとえ暴力沙汰が起きようと人が死のうと、我々は積極的に関与しません。そうした事態に直面した人々の観察も含めた共同生活実験なのです」
主催者に質問する機会があった時にこう訊いた。
「人殺しが起きても構わないという意味?」
主催者はニコリと笑ってこう言った。
「はい。構いません。我々は犯人の助けをするわけでもなければ、残された人の助けをするわけでもありません。公平に接します。それがこの共同生活実験の目的ですので」
あぁ、今しかない。この八日間しかない。
だが、人間を殺してみて思った。
子猫の時程の快感は無かった。
何故か?
しばらく考えてから、快感が得られなかった理由を理解した。
命を摘み取る感触が無かった。
抵抗され助けを呼ばれることを恐れた自分は、一撃で殺すことにこだわってしまった。それでは駄目なのだ。
子猫の時のように、ゆっくりと、ジワジワと、自分の手で、相手の命を、途絶えさせる。それが重要なのだ。
カエルの時に何かが足りないと思ったのは感触が無かったからだ。やっと理解した。
人を一人殺しておいてこんな事を言うのはおかしいが、失敗してしまった。
いや、大丈夫だ。まだX日もあるし、X人残っている。
だったらやり直せば良い。自分が満足出来るまでやり直せば良い。
そうだ。やり残したことがあった。
懐から避妊具を取り出すと、息絶えた若者の股を開いた。
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