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亜伽里はお風呂掃除のついでに、夫の泰介のシャンプーのボトルにあるモノを混ぜた。匂いでバレないように、料理に例えるならほんのひとつまみの塩と同じくらい。
混ぜたモノは何かって?
除毛クリームと精製水を攪拌して混ぜたモノ。シャンプーのボトルの中でよく馴染むように、割り箸でかき回し、シャンプーのボトルの蓋を閉めた後にボトルをカクテルのシェイカーのように振る。
少しずつ、少しずつ、禿げればいい。30代後半でツルッ禿げになれば、妻にバレバレのくだらない寄り道も出来なくなる。ツルッ禿げならいいわよねぇ。毎週ほんのひとつまみの塩のように、定期的に足されていく除毛クリームのせいでまだら禿げになるかもねぇ。ウフフ…。
泰介は最近流行の男脱毛サロンに通い始めた。怪しまれないとでも思ったか、この抜け作が!つるつるすべすべの腕や脚を見せたい女がいるに違いない。亜伽里は泰介が寝ている隙にスマホの指紋認証ロックを解除して、動かぬ証拠を押さえた。夜のお店のお姉さんなら、禿げていようが太っていようが効き目はない。どんなにうだつの上がらない見た目がみすぼらしい男でも、誉めて褒めて、お金を吐き出させる。
泰介の浮気相手は高校の同級生だった。コロナ禍明けに同窓会にいそいそと行ってたから、ほらやっぱり。高校の同窓会から2ヶ月後に男脱毛サロンに通い始めて、休日出勤が増えた。飲み会を自重して、ダイエットまで始めた。言い訳もアリバイも下手、急に行動を変えすぎ。ここまであからさまなのに気がつかない妻がいたら、箱入り娘の深窓の令嬢か、妻の方も浮気をしていて夫に無関心かのどちらかだ。
泰介が使うメンズ用のボディソープには、薬剤師がいるドラッグストアでしか買えない、髪の毛用の発毛剤をこしょうのようにほんの少し混入した。頭は除毛剤入りのシャンプーでまだら禿げに、体毛は髪の毛用の発毛剤のせいでせっかく男脱毛しても毛深くなるはず。
「大丈夫よ…どんなに醜くなっても離さないから…フフフ…フフフ…」
亜伽里の魔女のような不気味な笑い声が柳川家の浴室にこだました。
おおざっぱな性格で近眼が酷い泰介は、お風呂でボディソープとシャンプーを逆に使っていることに全く気がつかなかった。亜伽里が除毛クリームや発毛剤を混入していることにも当然気がつかない。男脱毛のお陰でモジャモジャとした固い無駄毛も減り、妻に内緒の恋愛のお陰で後退してきた生え際が数ミリだけ前進した気もする。
亜伽里は混入したモノの効果が出ないので、思い切って量を増やした。ひとつまみで足りないなら大さじ3杯入れてみよう。
おかしい、泰介の頭髪はふさふさと前進、体毛はレーザー脱毛の効果を超越して抜けていく。名もなき家事を一つもやらない泰介は、シャンプーやボディソープの詰め替えすらしない。いっそのこと一対一で割ってシャンプーの半分を除毛剤、ボディソープの半分に発毛剤を入れてしまえ。亜伽里は臭いに気づいて怒る夫に浮気の証拠を突きつける腹積もりだった。
おおざっぱな泰介は、花粉症の鼻づまりで臭いがわからなくなっていた。職場の飲み会は三次会まであり、べろんべろんに酔っ払っていた。
(明日は彼女に会える、エヘヘ)
鼻の下を伸ばして湯船に浸かり、いつものようにボディソープとシャンプーが逆のまま使った。泰介の頭皮に発毛剤の成分のミノキシジルが染み渡る。
(今日の風呂は少し熱いな…。寒い日だからちょうどいい…)
鼻歌を歌っている途中、泰介は心臓発作に見舞われた。助けを呼ぼうにも妻は寝室で熟睡中。
(た…す…け…て…)
ブゴゴ、ブガッブガッ、ウッ…。
「嘘だろ?俺死んだ!?まだ38歳なのに」
ポックリ逝った泰介の霊は柳川家をさ迷い続ける。自分の葬式を他人事のように眺め、まだ死にたくないとさめざめと泣いた。
浴槽での溺死は念のため警察が入る。そこで思わぬ事態が発覚した。妻は俺のシャンプーに除毛剤を俺のボディソープに発毛剤を混入していたのだ。除毛剤の方はそこまで問題にはならなかった。しかし、薬剤師がいないと買えない発毛剤の方は、ボディソープの半分の量まで足されていて、警察は不審がった。発毛剤のミノキシジルには心臓への副作用があるから。しかし、司法解剖の結果、俺が日常的にボディソープとシャンプーを逆に使っていたことが判明して、妻は無罪放免。団信の住宅ローンはチャラ、埼玉県南部のそこそこ高い値で売れる一戸建てを手に入れた。
「結果オーライかしら、ウフフ…」
俺の遺影の前で亜伽里が薄ら笑いを浮かべる。線香の火を俺の位牌に押し当ててから呪詛のように呟く。
「つまらない火遊びなんかするから早死するのよ、あなたは」
その目には怒りさえ無かった。妻は悲しむそぶりすら見せず、イキイキと不動産査定の複数の会社の相見積もりを広げる。
「おしおきとして髪だけ消すつもりだったのに、旦那が消えて棚からぼた餅。日銀の利上げが来る前にさっさとこの家も売って、マンション買おうっと。悠々自適に一人で暮らせる、やったぁ」
(この人殺し!警察の前で顔色一つ変えない悪妻め!)
俺の念が届いたのか妻は仏壇を振り返った。妻の手は銃を打つポーズだった。
「裏切り者には死あるのみよ、あなた」
こんなにイイ女だったか?見返り美人を連想させる妻の喪服姿に、再会した同級生の女との火遊びを僅かばかり後悔した。
(後悔先に立たず…か…)
仕方なく俺は成仏した。地獄で不倫と妻に殺されたことを相殺してもらって天国に行けると信じて。
俺の体のムダ毛がないのは脱毛サロンのお陰だけじゃなかった、妻の陰湿な復讐の賜物。毛どころか命まで消されちまったぜ。
(了)
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