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「ルタ! なぜ止めた! あのまま剣を握らせてくれていれば、あいつを叩っ斬れたのに!」
「お嬢様が、本気でヤる気だったからに決まってるじゃないですか」
図星を突かれたフェリチェは、わずかに口をつぐんだ。
「人間と揉めるのは勘弁してくださいよ。ただでさえ我らフェネットは、乱獲と迫害で数を減らした一族なんですから。我らを受け入れ、共生の道を歩んでくれたアンシア公国との二百年の絆に、ヒビを入れるのはやめてください」
「それをわたくしに言う? 先にフェネットを裏切り、辱めたのはあの破廉恥男じゃないの!」
「そもそも、あの大馬鹿息子がクズ野郎だと気付いていないのは、お嬢様くらいでしたよ」
「何ですって!」
ルタはやれやれと肩をすくめた。
「だからフェリクス様が俺に被毛を持たせたんですってば」
「だったらどうして、誰もわたくしに教えてくれなかったの? 知っていたら、こんな思いをせずに済んだのに」
「まあ、そのへんのお話もあるでしょうから、フェリクス様のもとへ帰りましょうね」
麓を渡る風に、微かにふくよかな果実の香りを感じて、フェリチェは目の端に涙を滲ませた。
甲斐性無しの浮気野郎と知っても、恋をしていた想いも時間もフェリチェにとっては本物だった。初めての恋は儚く散って、野アザミの棘を刺したように胸がちくちくと痛んだ。
「……本当に、本当に、憧れだったの」
「ええ、ええ、知っていますよ。俺はいつもお嬢様の影に潜んで、その眼差しを見てきたんですからね。今日くらい、わんわん泣いてもいいんじゃないですか」
「泣くものか。フェリチェは気高いフェネットで里長フェリクスの子。失恋くらい、蚊に刺されたようなものだわ……泣いたりなど……」
虚勢を張れたのもそこまでだ。言葉を募らせるほどに、語尾は滲み、フェリチェの短く丸っこい眉はいびつに歪む。
「ふっ、……ふえぇーん」
「はいはい。いいですよ、好きなだけ泣いて。落ち着いてから、帰りましょうね」
素敵な殿方と素敵な恋をして、フェネットの伝統衣装で結婚式を挙げる――それがフェリチェのささやかな願いだ。よりによってめでたい成人の日に、夢を砕かれるとは思いもしなかった。
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