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第一章 ここに置かれちゃ迷惑です
ワイパーは要らなくなったが雲はまだ月を隠している。車のタイヤは至る所に出来た水溜りに飛び込んで行く。
「だいぶ遅くなりましたね」
シングル・マザーの信者が病気になったので見舞いに行ったのだ。小さな子供達に懐かれてしまい、いつしか日が暮れた。
キリスト教系の宗教団体であるキリハレル教団のシスター達は、常に慎ましい生活をしているのだが、時々御奇特な方から寄付を受ける時がある。今、シスター・アンジェラが運転している車もそうだ。頂いた時、既にかなりの走行距離であったのを騙し騙し大切に使っているものだ。助手席のシスター・ビアンカが赴任して来た時にはもう、この車はあったから、永い年月のお付き合いという事になる。エンジンはまだもつ。
曲がりくねった路の向こうに教団の建物がある。偶然だが、この路、鈴鹿のS字に似ている。コーナーを曲がって視界が開けたところで、
「あ」
「あっ」
門の前に置かれているのは段ボールの箱か。シスター・アンジェラは咄嗟にハンドルを。水溜りに突っ込み、ハネを上げながらも段ボールに触れる事無く車は停止した。
「何でしょう」
「嫌な予感がしますね」
降車した二人は箱の中を覗き込んだ。
「やっぱり」
段ボール箱の中では毛布にくるまれた赤ん坊がすやすやと眠っていた。平和な寝顔であった。
実はこういう事はシスター達にとっては初めてではない。だからといってもちろん平然としていられるものではない。
「赤ちゃんは雨に濡れてはないわね」
「じゃあ、ついさっき、ここに捨てられたってことですか」
「そうかもしれない」
「タッチの差だったのかも」
シスター・ビアンカは声を震わせた。
「手紙か何かないかしら」
「ないですね」
二人は箱の中を調べた。
「段ボールにも何か手掛かりは」
「『みか……』としか」
「本当は『みかん』と書いてあるんでしょうけど、泥にまみれて読めませんね」
「つまり、『(う)ん』を失くした赤ちゃん、ということですね」
と、シスター・ビアンカは下らない事を言った。言った本人もつまらぬ発言だという事はよく解っている。だが人間、ショックを受けた時には、そんな言葉が気を紛らわせる、気分を楽にする、などという事もある。下らない言葉だって役に立つという事もあるのだ。
そこを理解しているシスター・アンジェラは、年下のシスターの肩をやさしくポンと叩いてこう言った。
「隣の病院の先生を叩き起こしましょう。それから警察に」
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