第一部 ステラ・バイ・ステラ

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「こんな夜中なのにどうしたんだろう。眠れないのかな、もしくはお腹が空いてるとか……ああ、きみに話があって来たんだ」 「そんなの、ありえないっ」  間髪入れず否定するディアナ。冷たく響きわたるその声に、かのじょの頭はまっ白になる。夢のような景色は一変し、ばつが悪い、気疎い沈黙のとばりが落ちる。満ち潮のように押し寄せてくる後悔の念。 (どうしよう……ついさっきまで、かれとこころが繋がったような気がしていたのに。いつもそう。わたしはすべて台無しにしてしまう。ああ、どうして何もかも平穏無事のままでいられないのだろう、その場にふさわしい立ち振る舞いを、少し考えたらわかるはずなのに……ああ、どうして、どうして――)  取り返しのつかない、切ないもどかしいきもちに囚われ、身動きがとれないでいるディアナを、ヴラドは毅然としたようすでみつめていた。ふと、辺りが暗くなった。地上の凪とうらはらに天上は風が強いらしく、怪しい雲がしなやかに腕を伸ばし、月の在り処を掩蔽(えんぺい)する。それに伴い、ヴラドの瞳はかがやきを増していった。まるで月の明るさと相互作用が働いているように。神妙な、深みのある琥珀色の瞳。 「ディアナ……寒いかい? 風邪をひいてしまうよ」  ちいさく震える肩に、ヴラドは自身のマントをそっと掛ける。かれの鉤爪の指先はかのじょを抱きしめようと何度か逡巡し、けっきょくおずおずと引っ込めてしまった。かわりに一歩だけ近づいた。ふれなくても、体温を感じていられる距離。  かれもディアナとおなじくもどかしさを感じていた。 (どうして今ごろ、ぼくはディアナと出逢ったのだろう。もっと早く運命がはたらいてくれたら。かのじょの孤独なかなしみを晴らしてあげられたはずなのに……)  たとえば。ことばを巧みに駆使し、あいてのきもちと似通わせることはできるかもしれない。けれど、こころに影をさす過去の記憶までさかのぼり、ぜんぶ幸福な思い出に塗り変えてあげることはかなわなくて。 「あの子は夜行性なの。月の甘い吐息を吸うために、ときどきああして姿をあらわすの」  きゅっと結ばれていた、ディアナの紅梅の花のような唇がひらく。 「だけど、わたしに気づいたらすぐに逃げてしまう。あそこから《ミーミル泉》に近づくことはないし、わたしに用事があるなんて……そんなの、ありえない」  あるはずがない。ディアナのこころ持ちはうつろで、それらのことばが果たして口を衝いて出ているものか、心中で巡らしているだけのことばなのか、ちゃんと判別する自信はついていなかった。 (だって、わたしは。妖精王さまによって直々に手がけられた、呪いのうつわ。《黒い森》のあまねく生類にとって忌み嫌われるさだめ……)  愛されないのは慣れっこだった。それはゆるぎない本音。昭然たる事実。みずからの出自について、いまさら苦言を呈するつもりも、ない。この森と、森にくらす動植物たちに疎まれることはしかたのない話なのだ。 (だけど。だけど……)  それをヴラドに知られるのが嫌だった。あたかもそんな事実がなかったように隠しつづけ生きていたかった。わたしにとって都合の良いわたしの側面だけをみて、わたしと関わってくれたらよかった。  
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