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「――っ」
世界に一瞬ノイズが走る。
電波が混在した音が鼓膜を刺激して脳内に届くのがはっきりとわかる、同時に鈍器で頭を殴られたような痛みに襲われる。
立ち止まったのは痛みの所為じゃない、ノイズが走ったからじゃない。
僕は、これを知っている。
そうだ、潔や曽根と話している時から感じていた妙な違和感の正体がコレだ。
全く同じ出来事を体験していた、一字一句同じ事を話し、同じタイミングで海を見て、同じタイミングで空を見上げていた。
混在する記憶と記憶が一致していく。
「だとしたら……」
ポケットから携帯電話を取り出して時刻を確認する、アナログ表記の時計は十七時半を回ったところだった。
「っ!」
ディスプレイに見知った着信が入ってきた、この後の通話を僕は知っている。まさかそんな事が起こるはずはないと通話ボタンを押す。
「テストお疲れ! 三馬鹿の背中が見えたから声掛けなかったんだけど、どうだった?」
思考が纏まらない、軽いパニック状態のまま電話に出ると再び世界にノイズが走った。
「――おーい、聞こえてるー? 電波悪いはず無いよね?」
鼓動が早くなっているのが分かる、耳元で脈打つ音が煩くて電話越しの声が少し遠く聞こえる。妙な胸騒ぎが止まらない、目の前の十字路に目線を向けて信じたくないイメージを思い出の中から重ねてしまう。
コレは預言でも何でもない、僕の中の思い出がそう告げている。ブロック塀からひょっこりと顔を覗かせてこちらを心配そうに見る姿が、イメージと重なった。
「七海?」
「そうだよ七海さんだよってどうしたの、怖い顔して」
思い出と現実が初めてブレた。
心配そうに駆け寄ってくる七海に笑顔で歩いてくるイメージがブレて重なる、今見えているのはどっちだ。どっちが本当でどっちが幻想だ。考えれば考える程分からなくなってくる、そして三度世界にノイズが走った。
「ちょっと昨日見た夢と今が混在しちゃってて。まだ寝ぼけてるのかな僕は」
「寝ぼけてるって何言ってるの君は、そんな調子じゃテスト散々だったでしょ」
「そうでもないよ、今回も上出来だったと思う。でも、また七海には負けるかもね」
信じてもらえるとは思えない話だ、きっとテスト勉強で疲れが溜まっていたんだ。心配そうにしていた七海の表情も次第に平常へと戻っていく。そして。
「へっへーん、今回も負けないよ!」
思い出と現実が再び重なった。
見慣れた笑顔がブレずにぴったりと重なっている、それを見て安堵する。頭痛もいつの間にか消えていてノイズは聞こえなくなっていた。
脈打つ鼓動は煩いまま。
「それで、潔はどうなの?」
「今回ばかりは本当に駄目じゃないかな、気楽に考えてるみたいだけど間違いなく赤点」
「でしょうね」
三馬鹿改め四馬鹿、三年になってからはクラスも変わってしまって七海だけが違うクラスへと分かれてしまった。それまでは常に四人で下校し、遊ぶ時も常に一緒だった。
僕達の誰かと恋仲になる事も無く、友情とはこういうものだと言い張る七海の明るい性格に僕達三人は気を許していた。
きっとこれを青春と言うのだろう。
そう思っていたんだ。
この関係を僕は崩したくなかっただけかも知れない、気の良い仲間として共に過ごした学生時代を振り返ると常に七海の姿があった。
彼女だけじゃない、潔も曽根も常に居た。この関係が心地よくてココが僕の居場所なのだと思わせてくれる場所だと思っていた。そう感じていた。
間違ってはいない。
気を許した仲間が居る、それがどれだけ難しい事なのかと時々考えるんだ。馬鹿やって、騒いで泣いて笑って。それが無性に楽しくて仕方なかったんだと思えた。
だから彼女に恋心を持つことは無かった。
いや。
持てなかった。
あの二人もきっとそうだ。
常に一緒に居るあの関係性が僕達を繫ぎ止めていたのは間違いない、そう考えるのは僕だけじゃない。そんな考えを持つ僕は勝手だろうか?
それは一種の願いなのかもしれない。だけど七海だけが特別な訳じゃない、潔も曽根も同じ位大事な友達なんだ。
だからこそ、あのイメージが拭い切れない。
互いに何気ない会話をしながら歩く中、僕の表情は七海にどう映っていたのだろうか。平常心を装ってるつもりでも何処か不自然な表情をしているのではないか。疑う気持ちが更に表情を曇らせているのではないかと、一人自問自答する。
証拠に七海との会話が中々頭に入ってこない。
既にパンク寸前なこの状況で平常を保っていられる自信なんて何処にもなかった。だからこそ七海は気が付いたのだろう。
僕は一体どんな顔をしていた?
表情筋に力を入れろ、笑顔を絶やすな。常に一定を保て。混乱している事をこれ以上悟られるなと脳内で警鐘を鳴らしている。
脈打つ鼓動は相変わらず煩い、重低音となって内耳に直接響いてくる。それが煩わしくて僕を不快にさせる。気取られるなと三度警鐘を鳴らす。
「あ、降ってきた」
七海の声が鮮明に聞こえた。
星明りを隠す雪雲からゆっくりと落ちてきたソレは、本格的に季節の到来を僕達に伝えてきた。大粒な幾何学な結晶に心躍らせる七海が両腕を広げてクルクルと回る。
「予報より少し早いけど降ってきちゃったねぇ、どうりで寒い訳だよ」
「うん、そうだね」
内心ホッとしていた。
七海の視線が僕の顔から雪へと変わったのを見て少しだけ表情筋から力が抜けていた。それも自分でも気が付かない程に。
楽しそうに踊る七海を流し見つつ僕も空を見上げた。このまま降り続ければ朝にはかなりの積雪になっているだろうなと明日の事を考える位には心に余裕が出来ていた。
そうだ、きっと悪い夢だったんだ。疲れていたんだと自分に言い聞かせる。世界は簡単に終わりを迎えることなんてない、出来の悪い三流小説じゃあるまいし。この先も何も変わらない。
そう思えたからなのか、口元が緩んでいくのが分かった。
吐き出した息が白く登っていくのを見ながら視線を落としてまだ踊っている七海を見る。
「雪っていいよね、こっち全然降らないだもん」
「僕は苦手」
「どうして?」
「明日の事を考えたくないから」
コートのポケットに手を入れてゆっくりと歩きだす。あと少し歩けば七海の家に付く頃合いだ、そこまでもう一度平常を保てと頬に力を入れた。
「年寄みたいな事言っちゃって、らしくないぞ少年」
「残念だけど同い年だ」
二人揃って歩き始めた。端から見れば雪道を恋人が仲良く歩いていると思うような、甘酸っぱい映画のワンシーンにも見えるだろうか。
そんなくだらない事を考えながら七海の歩幅に合わせて進む、降り続く雪を時折見上げてはお互いに笑って夜道を歩く。
「それじゃまた来週ね、点数で勝負だ!」
気が付いたら七海の家迄来ていた、小走りに玄関へと向かう彼女の背中を見つめながら三度ポケットに手を入れる。思い返せば本当に疲れる一日だった。
夢か現か分からないこの世界、普通に考えれば疲れ切っている脳が見せる妄想なのだろう。我ながらとんでもない妄想を思い描くものだとゾッとする。
「あぁ、また来週――」
他愛のない会話に含まれる平穏と日常、夢か現かはっきりとしない僕の見ている世界に温かさをくれるのは間違いなくコレだ。深々と降り続ける雪が肩にうっすらと層を作り始めてきたのを横目で見ながら七海に手を振って背を向ける。
――大丈夫だ。そう自分に言い続けながらうっすらと積もった雪道を一歩一歩噛締める足取り、僕は此処に居る。今歩いている世界こそが本当の世界だと頭に語る様に歩いていく、その様はまるで何もかもを失った人の歩き方によく似ていた。
映画とかでもあるだろう。例えるのであればアレだ。そうでもしなければ今を耐えきれない、そう思った。まるで脅迫概念だ、世界が終わりを迎える妄想とはまた質が悪い。現状に何一つ不満はない、悩み事も厄介事も感じていないのだから。
ではあのノイズは一体何だったんだ?
あの現実がイメージと重なったりブレたりしてる現象は何だ?
一体何が僕にそうさせているのか、僕の中で何が起きているのか。考えても考えても思考はクリアにならず、出題される問題の線は絡まって団子を作っていく。
相変わらず耳元で聞こえる鼓動の音がうるさい。何をそんなに警告しているのか、何を怖がっているのか。
何を考えているのだろうな僕は。
三度僕は自分に言い聞かせる。
昨夜ゲームに夢中になっていただけだ、寝不足で脳が働いていないだけだ、そこに便乗した疲れと夢で見た事が現実と重なって見えているだけだ。それ以外に考えられることなんて何一つとしてない。今はそう考える事にした。
それじゃ一体、この顔は何だ。
見上げたカーブミラーに僕の姿が映る、瞳孔が開いて口元は引き攣っている。何が僕にこんな表情をさせているんだ、狂気に満ちた瞳に映る僕の姿、僕の表情。まるで別人に見えて――。
ちゃんと僕だ。
幾度か目のノイズが世界に走った、鮮明に音を立てて僕の視界を歪ませる。走るイメージの亀裂に今日一日の出来事がフラッシュバックする。繰り返し繰り返し流れるイメージは留まる事を知らない。世界は一体僕に何を見せているのか、僕は一体何を見せられているのか。
いや、きっとそうじゃ無い。
この世界が狂っているのではなく、きっと狂っているのは僕の方だ。精神疾患を疑う事も視野に入ってはいなかった。確実に僕の中で何かがズレていくのが分かった。それが僕の望む日常からかけ離れているものだと瞬時に理解させられる。
世界はこんなにも美しいのに、世界中で僕だけが狂っている。
笑い声が聞こえる。
この笑い声は――僕なのか?
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