8人が本棚に入れています
本棚に追加
26、青い海と青い空
葵の往診を受け始めて3ヶ月くらいから、私は急速に回復し出した。
最初に、ご飯が食べられるようになった。ご飯が食べられるようになったら身体が動くようになった。子供達の相手ができるようになった。
光と海斗は私の枕元に来ては「お母さん、抱っこして。」と言うようになった。この子たちは、甘えることさえ我慢していたのだ。
初めての往診の日は電車で来た葵も2回目からはレンタカーで来るようになっていた。
お父さんは、私の顔を見るたび「好きにしていいんだよ。ここから出て行ってもいいんだ。」と言う。
葵は「子供二人と僕のところにおいで。結婚しよう。」と言う。
お父さんはお兄ちゃんに「あんなに酷い扱いをするなら別れろ。」と言ったらしい。それをお兄ちゃんは拒否した。
「俺と陽は二人で水川の後継者。それを言ったのは親父だろう?!
陽は逃げ出して、俺がこの『お化け屋敷』に閉じ込められるなんて納得がいかねぇ!俺はT大に合格するほど優秀なのに、陽と結婚して人生が狂った。陽と結婚しなければ、本来なら、一番ショボくても大企業のリーマンくらいにはなっていた。こんな山奥じゃなくて区内に住んでた!」
お兄ちゃんからしたら、そうなのだろうと思う。
2週間に1回の往診も半年後には月に1回になった。私の病気がよくなる兆しが見えてきたからだ。葵が来た日は離れで二人の愛情の確認をする。そして、将来の話をする。
どういう段取りで進めて行ったら、子供達を幸せにできるのだろう。
昔の私と葵は二人のことだけ考えていればよかった。今は違う。光と海斗も一緒に4人で幸せになるにはどうしたらいいのだろう。
光も海斗も葵に懐いている。
私は、正直に葵に「答えが出ない。」と伝えた。
葵も陽と同じことを考えていた。
もう直ぐ、往診の必要はなくなる。陽は自分一人で病院に行けるようになる。その病院は家から近い病院になる。
翔に僕と陽の関係と光のことを正直に話して別れてもらう。それが一番正しいのは分かっている。
でも、僕も神澤翔の性格をよく知っている。
それをしたら神澤は海斗を渡さない。自分の手元に置いて放置して虐待するかもしれない。晃さんが生きているうちは守ってくれても、晃さんは47歳。「田中家の宿命」の話を信じているわけではないが、神澤の母親や陽の母親のことを思うと嫌な不安が付きまとう。
陽は回復し始めている。考える時間は少ない。逢う度に陽と話し合った。
そして、陽と葵は「今を優先する」という結論に辿り着いた。
光は小学生になった。
僕が前と同じ僕だったら、お母さんが「何か酷いこと」をされるのが不安で学校に行けなかっただろう。
今は平気だ。
僕は護り珠をアイツに見せる。そして「分かってるよな。」と凄む。
アイツは単純だ。ビビってるのが分かる。今度やったら本当に殺す!
お母さんの病気は、家事が少しずつ出来るくらいまで良くなっている。。先生がウチに往診に来るようになってから、お母さんの病気は回復し出した。そして、僕も前とは違う僕になった。
「お母さんの色が元に戻った!煌めく白!綺麗だ!」と海斗が言った。
お母さんは治ったんだ。だから、もうすぐ先生は来なくなる。それは少し寂しいな…。
先生が来るようになって1年が経った。最後の往診は何故か日曜日。
お母さんは朝早くから、4人分のお弁当を作っていた。
お母さんは、お弁当を風呂敷に包んで袋にいれた。それを持って僕と海斗を連れて石段を降りた。
車が待っていた。お母さんが車の後部座席のドアを引いた。
「二人ともお乗りなさい。」と言って僕と海斗の背を押した。
運転席には先生。助手席にお母さんが座った。
「今日は家族面談だ。君たちが恐らく見ていない場所に行くよ!」と先生が明るく言った。
着いた場所は、海辺の砂浜だった。
山育ちの僕と海斗が本物の海に来たのは、この時が初めてだった。
海の匂い、潮風、寄せては返す波とその音。
僕と海斗は裸足になって波打ち際で波を追い、波に追われ、波と遊んだ。暫くするとお母さんが「お昼にしましょ。」と僕達に声をかけた。
振り返るとビーチパラソルの下にシートが敷いてあった。
お母さんが作ったお弁当は三段のお重だった。
一段目は、小さめの白いおにぎりとお漬物。二段目は、ハンバーグ、ウィンナー、卵焼きに唐揚げ。三段目は、野菜の煮物と青菜の胡麻和え、厚揚げとがんもどきの煮物。
全部の段を平たく並べ、プラコップ4つに先生がペットボトルのお茶を注いだ。
お母さんは右手の薬指に赤い石が真ん中に入った花の形の指輪をしていた。先生を見ると、先生は左手に結婚指輪をしていた。先生は結婚してるんだ……。
「今日はお別れ会」なんだ。きっと。
昼ごはんが終わると、海斗は砂山を作り出した。お母さんは笑ってそれを手伝っている。先生もそれを見て笑っている。
僕はやり切れなくて3人から離れて歩き出した。波打ち際を遠くへ遠くへ……。
「ひかる!」と後ろから先生の声がした。
振り向くと少し心配そうに先生が僕を見ている。
「今日はお別れ会なんでしょ。」と僕が言うと「そうだね。私は水川にはもう行かないよ。これからは、毎週日曜日にあの大鳥居の下に車を停めて光と海斗を待っている。いろんな所に行こうよ。」と先生は答えた。
先生が僕に近づいて、僕の両肩に手をかけて屈んだ。先生の目は真っ直ぐに僕を見つめていた。
「私は君に嘘をついた。私は髪を染めてはいない。この髪色は生まれつきなんだ。君と同じだ。その理由はね、私が君の本当のお父さんだからなんだよ。」
「海斗は?」
「海斗のお父さんは神主さんのお父さん。二人ともお母さんは同じ。兄弟なのは変わらない。」
「……本当?本当に本当に先生が僕のお父さんなの?」
「そうだよ。。。嫌かな?」先生は少し笑って言った。
僕は大声で泣きながら、お父さんにしがみ付いた。
「僕は子供なんだ!大人に守ってもらわないと生きていけない子供なんだ!お父さん、僕たちを守ってよ!」
「ごめんな。本当にごめん。これからはずっと一緒だよ。」
葵は、我が子を抱きしめて自分の両親のことを思い出していた。
少し光が落ち着くと葵は、これからのことを話した。
「本当は、このままお母さんと君たちを私の家に連れて帰りたい。でも、それはできないんだ。海斗のお父さんは神主さんの方だろう?
あの人のことは光が一番良く分かってると思う。海斗をこっちへ渡さない。海斗は未だ5つ。おじいちゃんは、それでもいいと言ったけど、お母さんはそれができない。」
「分かるよ。僕だってアイツに海斗を渡して、僕だけ両親と暮らすなんてできない。」
「だからね、『離れていても家族』って思うことにしたんだ。これから、私は君たち兄弟の父親になる。日曜日、一緒に過ごそう。君たちが小さいうちは一緒に遊ぼう。大きくなったら勉強をしよう。3人で。お母さんと私は別のところで会うんだ。その時に光と海斗の話をするよ。行きたいところ、したい事をお母さんに話してね。
表向きは私と田中家の縁は切れたことにする。海斗が一人でも生きていけるくらい大きくなるまで。
神主の田中翔に知られないように。それが一番気をつけることだ。何故だか分かる?」
「分かるよ。アイツは酷いやつだもん……あ、そうだ。僕の力を見せるね。」
光は右手で護り珠の玉を握ると、左の掌から小さな火を立ち上げた。
「これで、僕はお母さんを守った。これからも守れるよ。」
葵は「凄いな…。」と呟いた。見てしまったら信じる方に傾いてしまう。でも、先のことは考えないと決めていた。
葵は海の方を向いた。その父親の視線を光も追った。
目の前に広がるのは夏の到来を告げる青い海。陽の光を受けて煌めいていた。空も雲ひとつない。
この日の青い空と海の光景は、この親子にとって特別な記憶として残ることになる。
最初のコメントを投稿しよう!