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「岡本さん! “ライム”のアカウント教えてもらえないっすか!?」
次の日のお昼。
いつもの建設業のお兄さんが、なんだか今日はソワソワしてるなって思ったら、突然スマホ片手にそんなことを言い出した。
「アカウントですか?」
「はい! あ、携番でもいいっす! おなしゃす!」
……それって。
少なからず、やり取りしたいという気持ちがあるってことだよね?
もしかして、好意があったりとか?
そう考えた瞬間、最敬礼で頭を下げた。
「すみません! 私、既婚者なので!」
仕事中は汚したくないから、結婚指輪をロッカーに入れて置いたのがいけなかった。
いらぬ誤解をさせてしまって。
再び頭を上げて見上げた先のお兄さんは、眉を下げて苦笑した。
「そっすかー。なんだ、人妻かぁ!」
「人妻!」
なんて甘美な響き!
私は人妻! 春紀に一生の愛を誓った永遠の伴侶!
「りょーかいっす。また、弁当買いに来ます」
ちょっと寂しげに帰って行くお兄さんを見たら申し訳ない気持ちになったけれど、連絡先を交換するなんてできない。
春紀一筋だから。
「桃ちゃん、モテるなぁ」
先輩の主婦、山田さんが割り箸の補充をしながらニヤリと笑った。
「旦那以外の人からモテても意味ないんです」
そこで私のいつもの愚痴が始まる。
「旦那、全然“愛してる”とか言ってくれなくて。なにをするにも私からアクション起こしてるし」
「わかるー。男ってさ、結婚するとやる気なくなるよね」
山田さんが同調して頷いてくれる。
『いえ、結婚する前からです』とは言えなかった。
「釣った魚に餌はやらないっての? ホント頭来る。ねえ、一発懲らしめた方がいいよ」
「懲らしめる?」
キョトンとする私に、山田さんは自信に満ち溢れた笑みを浮かべる。
「他の男を匂わせて、心配させた方がいいよ。ほら、こうやって実際声かけられてるんだし。“私もまだまだ女なのよー”って、脅かしてやるの」
「なるほど……」
確かに高1の時から春紀一筋だから、焼きもちを妬いてもらったことってないな。
私の方は、何十回、いや、何百回とあったけど。
「私に任せて! そういうの得意だから!」
先輩の山田さんが夫婦生活の師匠に見えて、彼女が言うことを必死にノートにメモした。
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