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#05 あなたとわたしの友達
――だいきらい、なんて言うんじゃなかった。
そうすれば、もっと一緒にいられたのかな。
――――――
「梨香ちゃーん!遊ぼー!!」
友達のルミが私の家のインターホンを鳴らす。
私も別にすることが無かったので、「いいよ」と言って玄関のドアを開けた。
その日はあまり天気が良くなかったので、外で遊ぶのはやめたほうが良さそうだ。
……となると、必然的に遊び場は私の家になる。
「おじゃましまーすっ」
ルミは嬉しそうに私の家に上がると、母もひょこっと顔を出して彼女に笑いかける。
「あら、こんにちはルミちゃん」
友達を家に上げること自体は、家族も別に嫌がらなかったので問題は無かった。
だけど、私がルミの家に呼ばれたことは一度も無い。
「たまにはルミの家にも行ってみたいんだけど」
「えぇー、うちに来たって何もないよ?絶対梨香ちゃん家の方が楽しいって!」
こんな感じで、毎回スルーされてしまう。
ルミとは、近所で開催された夏祭りに行った時に出会った。
花火を見ている最中、うっかり親とはぐれてしまい不安で泣きそうになっていた私に話しかけて来たのがルミだった。
『大丈夫?私も一人なの。一緒にお母さん探してあげる』
そう言って、私と一緒にいてくれた。
幸い両親とはすぐに合流でき、今度はこちらがルミの親を探すと母が声を掛けたが断られた。
代わりに、また近くで会ったら遊ぼうと言われたので『もちろん』と答えた。
そこから、ルミとの日々が始まった。
ルミと遊ぶときは、大体彼女がうちに来るか、近所の公園などで偶然出会うかのどちらかだった。
あの頃はまだスマホなんて無かったし、ルミの家が謎過ぎたのでこちらが誘いに行くことは出来ない上、電話番号すら知らなかったからだ。
ルミは私の一つ下だと言っていた。
なので私の方が沢山のことを知っていたし、ルミも私が何かを説明する度に『すごーい』と感激してくれた。
しかし、たまに私が間違ったことを話してしまうと、ここぞとばかりに指差して馬鹿にしてくるのだ。
「梨香ちゃんっ、その字は捨てるだよ!拾うはこう書くのっ!知らないのー?」
たまたま“拾う”と“捨てる”を逆に書いてしまい、ゲラゲラ笑われた。
「いいー?こういうときは、『一円玉は拾って、土は捨てよう』って覚えたらいいんだよー?梨香ちゃんたら、年下の私に教えてもらうなんて恥ずかしーっ」
……とこんな風に調子に乗るので、小学生だった私もつい逆ギレしてしまうのだ。
「あーっ、もうっ!そこまで言うことないじゃん!ルミのばか!」
「へへーんっ」
顔を真っ赤にして、その日もまた、喧嘩別れのような形で解散となる。
しかし、翌日の漢字のテストでまさかの“拾う”と“捨てる”の字が出題され、ルミにしつこく教えられた暗記法のお陰で間違えずに済んだ。
「ごめんルミ。昨日は漢字教えてくれてありがと」
一言礼を言いたくて、ルミがよく現れる公園や近所の通路を歩いたが、そういう時に限って彼女と遭遇出来なかった。
ルミは近所に住んでいると言っていたが、学校は違うようだった。
学校では一度もルミを見たことがなかったし、本人に聞いてみても「梨香ちゃんとは違う」としか教えてくれなかったので結局どこの学校か不明なままだった。
ある夏休みの朝早く、ルミがまた私の家に来た。
インターホン越しに私を誘ってきたが、まだ宿題が済んでいなかった私は昼からなら遊べるよと答えた。
「じゃあ1時にコンビニ前の公園で待ち合わせね」
そう約束したので、私は遅刻しないように必死で宿題を進めた。
その甲斐あって、11時には終わってしまった。
早めの昼食を済ませ、待ち合わせ時間まで暇だったので、少し早めに家を出て公園で一人虫捕りをして遊んでいた。
小学生の私は虫捕りが好きで、たとえルミが一緒にいないときであっても一人でセミや蝶々を平気で追いかけていた。
その日も、高い木の枝に止まっているアブラゼミを捕まえようと網を構える。
「うーん…」
あともう少しなのに、ギリギリで背が届かない。
網の棒の先端を持ち、精一杯背伸びをしてみるが、小学生には無謀なチャレンジだった。
その時、
「取ってあげようか?」
背後から声を掛けられる。
振り返るとそこには、背の高い20〜30代くらいの男性が立っていた。
「木の枝に止まってるセミでしょ?僕が取ってあげるよ」
そう言って、彼はいとも簡単に高い枝に止まっていたセミを捕まえてしまった。
「わあ、すごい!」
幼い私は感激して、彼に何度もお礼を言った。
すると男性は私に網を渡しながら、
「隣の地域の公園に行ったらもっとセミいるよ。一緒に今から行ってみない?」
と誘ってきた。
「でも、隣の地域の公園って遠いですよね」
そう返すと、彼は公園の外に停めてある白い車を指差した。
「僕の車に乗ったらすぐに着くよ。僕も今急いでないから、一緒に行こうよ?」
「……」
当時の私は幼すぎて、その甘い言葉がどんなに危険なものなのか分からなかった。
だから、男性の車に乗ったら沢山虫捕りできると心が浮かれた。
しかし、待ち合わせをしているルミを放ったらかしにして他所へ行くわけにはいかない。
「ごめんなさい!友達を待っているから行けません」
本当は物凄くついて行きたかったが、私はルミとの約束を取った。
男性は少し残念そうにしていたが、それ以上しつこくは言ってこなかった。
そうして待つこと数分。
公園の時計が1時を差したが、ルミは来ない。
少し遅れているのかなと思い、コンビニと公園を行き来して待ち続けたが、やっぱりルミは来ない。
そのまま2時間程経った。
――我ながら、よくここまで待てたものだと思う。
別に急ぐ様子もなく、ひょこっとルミが姿を現した。
「あ、梨香ちゃんごめーんっ、寝てたらこんな時間になってた!」
何とも間抜けな理由で、私の2時間は台無しにされてしまったのだ。
悪びれる様子もなくヘラヘラしているルミ。
「ルミ、私ずっと待ってたんだよ?ひどくない?」
「だから、ごめんって言ったじゃん?梨香ちゃん」
軽く謝ればそれでいいと思っているルミに対し、私は今まで抱いていた不満が積もりついに爆発してしまった。
「なによ!私の都合はどうでもいいの?私だって、ルミと約束してなかったら別の場所に遊びに行ってたのに!本当はそこに行きたかったのを我慢したのに!!」
「えぇー、そんなに行きたかったなら行けばよかったじゃん」
「ルミとの約束を守りたかったの!なのにルミは約束を破った!もうルミなんかだいっきらい!!」
私は泣きながら走り去った。
後ろから「梨香ちゃん!」と私を呼ぶ声が聞こえたが、振り返らなかった。
もう知らない。ルミにとっては私のことなんかどうでもいいんだ。
――そう思いながら、家に帰ってからも暫く泣いていた。
夕方、家に買い物から帰ってきた母が焦ったように私の名前を呼ぶ。
「梨香、梨香、家にいるのね?」
「いるよー。お母さんどうしたの?」
母は私の部屋のドアを開け、私がいることを確認すると安心したかのようにホッと溜息をついた。
「よかった、梨香が無事で。さっき、近所で連れ去り未遂が何度も起きたんだって」
「連れ去り?」
「白のセダンに乗った背の高い男の人が、子供に優しくした後で車に乗せて連れ去ろうとしたみたい。パトロール中の警察の人が教えてくれた話だと、最初はただ誘うだけだったみたいだけど、最後の方は無理矢理手を引っ張ったりして凄く怖い思いをした子もいたんだって。
よかった、梨香も公園行くって言ってたから心配したのよ」
母の話を聞いて、私はサッと血の気が引くような感覚に陥った。
特徴からして、私に声を掛けてきた男性と同一人物である可能性が高かったから。
「お母さん、その人……私も会ったよ」
「えっ!」
私は今日起きた事を細かく説明した。
母は驚き、改めて私が無事だったことを喜んだ。
「そうだ、ルミ!ルミを置いてきちゃった!
どうしよう、さっきの男の人に連れ去られてたら」
ルミの事を思い出し、気が気でなかった私は母の手を引っ張り公園まで走る。
しかし、ルミの姿はもう無かった。
普通なら、ルミの家に行くか電話を掛けて安否確認すればいい話なのだが、私はルミの家も連絡先も知らない。
それどころか、ルミの名字すらも知らなかった。
念の為、近くの交番まで歩き、母と一緒にそこにいた警察官に事情を説明した。
「連れ去り未遂の件ですね、先程犯人が捕まったと知らせがありました。調べた結果、誰も被害者はいないようなので、あなたのお友達は無関係だと思われますよ」
警察は書類のようなものに目を通しながら、私達にそう説明してくれた。
名前も住所も知らない、家族から捜索願いも出されていないルミを警察が探してくれることは無かった。
その時は、また明日近所で会えるだろうと思っていたので、私達もそのまま帰宅した。
しかし、次の日も、またその次の日も、ルミは私の前には現れなかった。
公園で待っていても、近所の道を歩いても、そこで会った別の子に聞いてみても、ルミと会えないだけでなく、彼女の情報すら全く入手できなかった。
そのまま、1年が経った。
(ルミ、ごめんね。まさか会えなくなるなんて思わなかったから…)
――だいきらい、なんて言うんじゃなかった。
「ルミちゃん、来なくなったね」
「うん…喧嘩したっきり会えなくなった」
「そっか」
家のリビングで隣に座る母が、ふと思い出したようにルミの話題を振ってきた。
「ルミちゃんみたいな子ね、昔お母さんの友達にもいたんだ」
「そうなの?」
「すっごくマイペースで、悪く言えば我儘だったけど…どこか憎めなくて面白い子だったの。でも、どこの誰かはさっぱり分からなくて」
母が語る友達は、まさにルミのような子だった。
「あの子が何か騒ぐと、私もつい頭に血が登っちゃって言い返すからいつも喧嘩になってね。だけど、あの子のお陰で結果的に私が助けられたことも沢山あった」
「……その友達、今はどうしてるの?」
「分からない。梨香と同じよ。
喧嘩して、『大嫌い』と言ったっきり会えなくなったの」
母は、昔を思い出し、少し寂しそうな目をしていた。
ルミと同じ、マイペースで謎に包まれた女の子。
彼女のお陰で助けられたことが多かったことも、ルミと共通する。
あの日、私はルミと約束していなくても、きっと公園で一人で虫捕りをしていただろう。
そして、ルミとの約束が無ければ、たぶん怪しい男の車に乗ってしまっていただろう。
その前だって…
思い返せば思い返す程、私はルミに守られていたのではないかと思えることばかりだった。
初めて会った日、迷子の私に声を掛けてくれた時からずっと。
「大嫌いなんて、言わなきゃよかった。お母さんもずっと後悔していたの。本当は凄く大好きで、助けてもらったお礼だって言いたかったのに、感謝の気持ちに気づくのはいつもお別れした後だった」
母のその言葉に、じわりと目の奥が熱くなる。
「ねえ、お母さん。その子の名前って何だったの?もしかしてルミって子だった?」
つい問いかけてしまった。
だけど、母は首を横に振る。
「ううん、その子の名前はね、“リカ”だったんだ」
「!!」
母の友達の名前は、私と同じだった。
正確には、母が私に友達と同じ名前を付けたと言うべきか。
「大好きだって言いたかったのに言えなかった。だからこれからは沢山大好きって言いたいと思った。
あなたの名前を罪滅ぼしに使ってるみたいに聞こえちゃうかもしれないね。ごめんね…」
「ううん、いいよ」
別に悪い気はしなかった。
それくらい大切な存在だったんだ。
同じ経験をするなんて、さすが親子と言うべきか、
それとも“リカ”と“ルミ”は同一人物で、実は私達親子にしか見えない空想の友達だったのか。
あるいは、私達を守ってくれる守護霊的な存在だったのかもしれない。
暫くの間、私と母は様々な想像を膨らませながら語り合った。
――――――
数年後、
私は大人になり、結婚して子供が生まれた。
娘の瑠璃は、現在小学生。
彼女の名前は、私とルミの名前から一文字ずつ取って付けた。
「お母さーん、今日公園で会って友達になった子いるんだけど、明日家に連れてきていい?」
「うん、いいよー。どこに住んでる子?」
何気ない家庭内での会話。
だけど、何となく聞き返してみると、思い掛けない返答が来た。
「それがね、分かんないんだってさ。不思議ちゃんな子。でも、私が車にぶつかりそうになったの助けてくれたからきっといい子だよ!」
「いやいや、車にぶつかりそうって何危険なことしてんの!気を付けて歩きなさいよ」
私も大概だとは思うが、瑠璃はそれを上回るやんちゃ者だ。
しかし、そんな瑠璃が仲良くなった“友達”のことが、とても気になった。
(まさか、ね……)
そう思いながらも、私は娘が友達を呼べるように家の中を掃除しなきゃと思うと同時に、瑠璃に一言アドバイスをした。
「助けてもらったらちゃんとその時にお礼を言いなさいよ」
当たり前のことなのに、私が中々実行できなかったから。
娘には、その友達と後悔のないような付き合いをして欲しいと思った。
〈おわり〉
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