1・帰国

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「あぁ、医院長は古い友人でね。君の腕の件を相談したところ、彼を紹介してくれたんだ」 「初めまして、桜さん。真田慎太郎と申します。ベリカ大学病院で医師をしております」  父の説明に滑らかな自己紹介を添えた。私もマナーを守り、名乗る。 「桜です……」  アメリカの医師等がメスを握りたがらない症状を抱え、早二ヶ月。痛みは引くどころか増すばかりでまともな練習が出来ていない。それなのに職業がヴァイオリニストとは言えなかった。 「あの、それでいつ検査を?」  明日にでも精密検査を行い、手術してくれるのか? 答えを出して欲しい。身を乗り出し訴える。 「はぁ、落ち着きがない子ね。あなたの今回の帰国がどんな報じられ方をしてるのか、知ってる?」  私が焦っているのに論点をずらす。 「熱愛だ、妊娠とか言われてるんでしょ。弾けなくなったと書かれるくらいなら、そちらの方がマシ!」  テーブルを叩けば、カップの中身だけじゃなく心まで波立つ。 「そんなに腕の事を隠したい? 職業病みたいなものでしょう?」 「えぇ、そうよ。だからヴァイオリンを弾けない私に価値なんてないもの」 「……母さんはそう思わないな」 「自分は伊集院さんと結婚して幸せだから、そんな風に言えるのよ。お母さんに私の気持ちなんて分からない。分かって貰いたいとも思わないけれども」  私の言葉に場が静まり返った。断っておくと伊集院さんが嫌いな訳じゃないし、再婚を反対する立場でもない。  母が一生孤独であればいいなんて思っておらず、ただ父との絆であるヴァイオリン演奏を認めて欲しいんだ。 「それなら桜も結婚すればいいじゃない!」  沈黙が暫く続いたのち、母は閃いた芝居をする。 「あなたが怒ると思って言ってなかったけど、これはお見合いなのよ」 「は?」 「考えてみて、真田先生を自宅に招く理由が他にある? 先生はとても忙しい方なのに、あなたの為に時間を作ってくださったわ」
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