2.悪役令嬢が王立学園に入学するまで

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 わたしは横でむっすりと黙り込んでいるクルトを一瞥した。この様子を見るに、どうやらレイモンドさんの労い(?)に応えるつもりはないらしい。  わたしは溜息をつくと、「お疲れ様です」と言って、笑みを作った。 「こんなに大きな任務、五年前の闇オークション摘発の件以来ですよ」 「ああ、あったねそんなことも。今回は人身売買会場になってた貴族主催の夜会への潜入だったかな。懲りないねぇ悪趣味な好事家どもは。それで、どうだったかい、新調した通信機の具合は」 「とってもいいです。あの時も通信機にはお世話になりましたし、今回もいろいろ助かりました。さすがはレイモンドさんですね」 「そうだろう! 僕の技術は常に進歩し続け、君たち零課の実行部隊を助けるのだよ!」  ふふんと胸を張ったレイモンドさんが、部屋の中央に置かれた黒いソファにどっかりと腰掛ける。わたしの横で、「助けるどころかトラップ仕掛けて攻撃してるじゃないか頭がおかしいのか」とぼそりと呟くクルト。声がでかいんだよやめてくれ。  聞こえているだろうに、レイモンドさんはそんなクルトの不満はどこ吹く風とばかりに上機嫌に笑っている。そして彼は「でもまあ」とヒラヒラと手を振った。 「ユリア君のアイディアに助けられている面もあるけれどね。……五年前も、『骨伝導マイク』なんてものを提案した時は驚いたものだ。たった十歳の少女がどうやってあんなことを思いついたのかと思ったよ」 「いやあ……」  真正面から褒められて、わたしは気恥ずかしさに頭を搔いた。  まあ、確かに彼の発明にちょいちょい首を突っ込んだりはしている。が、わたしは前世で見聞きした知識を、思いつきというかたちで伝えているだけだ。わたしのあやふやなアイディアで新しい機械を作り上げてしまうレイモンドさんが『驚いたもの』だろう。  ――通信機やら爆弾やら、零課でスパイ活動をする時に使う機械は全て、このレイモンドさんが自ら開発したものだ。  レイモンドさんは学校に通えないような貧民街の元孤児だが、機械工学分野においては幼い頃から異端の鬼才で、その才能で生計を立てていたらしい。叔父により零課にスカウトされるより前から、この国の文明レベルを遥かに超える発明品を次々生み出していたという。……そして、その天才児の噂を聞きつけた叔父がさっさと彼を引き取り、スパイとして育て上げたという訳だ。  初めてそれを聞いた時は、とんでもねえ洗脳教育じゃんと思ったが、レイモンドさんは専用のラボを与えられて毎日楽しくマッドサイエンティストしているので、当人的には問題ないのだろう。薔薇色の人生(ラ・ヴィ・アン・ローズ!) 大変結構なことである。  わたしはふぅ、と息を吐き出すと、奥のデスクのデザイン以外は、まったくもって武骨という他にない、地下室アジトの内装を見回す。  ……零課は機械工学担当のレイモンドさんをはじめ、狙撃や薬学などを専門とする数人の諸化け物先輩方に、最年少で末席のわたし――そして同じく最年少でありながら、実行部隊の作戦指揮を任されている天才少年・クルトの少数精鋭で構成されている。  そのトップに立つのがスパイ・マスターであるヴェッケンシュタイン大佐だ。 (少数なのは、訓練がきつすぎて、育成課程でドロップアウトした人が多いせいなんだけど)  わたし? ……わたしはなんだかんだ言いながらも、死ぬ気で訓練に食らいついていったタイプの生き残りだ。  いや、というか、役に立つスパイにならなければわたしの事情を探られるので、やるしかなかった、という方が正しいかもしれない。  叔父ライナスは凄腕のスパイだ。ゆえに尋問拷問などお手の物。詮索されたらわたしはもう、全てを吐かざるを得なくなってしまう。  だが、ここが乙女ゲームの世界でわたしは未来で罪を犯して処刑されるような悪役なんです、なんてことを洗いざらい喋らされてみろ。いくら公女とはいっても電波に理解がないこの世界では狂人扱いされて処分されかねないし、そうでなくても叔父にヴェッケンシュタイン家を揺るがす危険分子と見なされ、消されるかもしれない。  断罪イベ前に死ぬのは絶対に嫌だったので、わたしは最低限零課に所属できるレベルのスパイにならなければならなかったのだ。  ――とはいえそもそも、公爵令嬢(第一王子の婚約者)をスパイにしようという思考回路がいかれている。  しかし叔父にとってはわたし個人の事情ひいてはヴェッケンシュタイン公爵家のことなどどうでもいいことなのだ。 別に家から王太子妃が出ようがどうでもいい、と。  もし任務中に死のうがあくまで婚約者、ならばいくらでも替えはいる。そもそもわたしは家柄だけで選ばれた婚約者だ。叔父にとっては家の繁栄よりもより使えるスパイの育成の方が大切なのだろう――王太子妃候補であれば掴める情報も多い。取り巻きも多ければ得られる人脈も多い。  叔父は合理主義の鬼だ。  誰も公爵令嬢が国家の裏で活動する日陰者スパイになるなどとは思わない。目立つからこそ目立たない。  ――才さえあれば公爵令嬢にスパイは向いている。  そういうことだ。  ちなみに、だが。  叔父から『ユリアの教育スパイとしてのを任せてくれないか』と頼まれた父は、『ワガママ娘を教育(淑女としての)してくれるならとても有難い』と、即わたしを弟の下(つまりは零課の訓練所)に送ったらしい。父からの人望のなさがよくわかる対応である。五歳のわたしは泣いていい。まあ自業自得なんだけど。  兄だけはわたしが叔父の屋敷(つまりは以下略)に一時的に引き取られることになったことに複雑な思いを抱いてくれていたようだが、まあ些事だろう。  ……正直訓練の日々は思い出したくないほど過酷で辛いものだったのだが、悪いことばかりではなかった。  スパイとして築き上げた人脈や得た情報は乙女ゲームのシナリオの流れを推測するのに大いに役立ったし、何より零課のスパイは、これからこの国に起こりうる出来事を何より早く把握できる立場だ。攻略対象である兄と事前に親しくなれなかったのはそれなりに痛いが、その立場を確保できただけでお釣りが来る。  難点は、スパイ活動が命を賭け金にしているお仕事であるということだ。  断罪イベ回避のために命を危険に晒してちゃ本末転倒なのでは――なんてことは考えてはならない。正気に戻ったら負けである。  ――それに、零課のスパイになったことで、情報以上のメリットも得られたし。 「……なんだよ」 「べーつにっ」  クルトに視線をやれば、彼はすぐにそのことに気づいて、訝しげに眉を寄せる。  わたしが軽い調子でそう返すと、クルトは「そんなお気楽にしてて大丈夫なのかお前」と言ってわざとらしく溜息をついてみせた。  そして、言う。 「――もう少しで始まるんだろ。お前が王立学園に入学してきた女をいじめた末に殺される、『メサイア・イン・アビス』ってやつのストーリーが」 「大丈夫だよ」  腹立たし気な表情の中に、こちらを心配する色があることを感じ取ったわたしは、彼にただ微笑みを返した。 「クルトが味方についてるんだから。ね、相棒」 「……ったく」  ――そう。  わたしはここ零課で、いずれわたしの身に訪れる死を回避するために協力してくれる、唯一無二の相棒を手に入れたのだ。  クルト・アーレント。  彼はわたしの零課の同期であり、同僚であり――世界でたった一人、わたしが前世の記憶を持つと知っている人物なのである。
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