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(でも、エルンスト殿下を疑いたくなる気持ちはわたしにもわかるんだよね……)
あの夜会に出席していたのは王弟派の貴族ばかりであったし、そもそもエルンスト殿下は現王陛下とあまり仲が良くないという噂だ。というのも、陛下と殿下では、かねてからの因縁の相手――ヴェルキアナに対する主張がぶつかっているらしいのだ。
いわく、
陛下は、『ヴェルキアナとはいずれ協調すべきだが、今はその時ではなく、冷戦集結に向けて慎重に行動すべき』と。
殿下は、『ヴェルキアナの国力はシルヴィアよりも上であり、戦争回避のために属国となるべき』と。
ハインツ殿下は国王陛下と同じ思想を持っているらしいので、要は陛下とハインツ殿下陣営、エルンスト殿下陣営の間で火花が散っていることになる。
……それぞれの主張の内容の是非はともかく、問題は、王弟は裏でヴェルキアナの皇帝と繋がっており、属国となった際にそれ相応のポストを用意してもらう約束を取り付けている――などというような噂があることだ。
それが真実かはわからないが、エルンスト殿下を支持する貴族の中にヴェルキアナの裏組織と繋がっている者がいる可能性があると聞くと、どうしてもそれが噂の裏付けであるように思えてしまう。心証としては黒に近いグレーだ。
――なんにせよ。零課は、否、憲兵総局情報部は、いかなる場合でも祖国への裏切りを許さない。もしも情報が真実だったとすれば、わたしたちは中立的な立場ではなくなるだろう。
「……まあいい」
軽く息をついた叔父が、椅子の背にゆっくりと凭れかかった。そして、不意にこちらを見る。
「ユリア」
「はい、ボス」
「お前は今年の九月に、王立学園の入学を控えていたな」
「……はい、ボス」
いきなりなんだと思いながらも、わたしは頷いた。
なんだか知らんが、嫌なことを思い出させてくれやがる叔父上殿である。「そのため少し零課の任務から外れることになります」
王立学園入学。
それは記憶によれば『インアビ』シナリオ開始初っ端の舞台であり、わたしにとっては、破滅へのカウントダウンのスタートを告げる鍾である。
ちなみに、だが、ハインツ殿下とわたしの婚約は、既に成立してしまっている。裏の顔がスパイであろうとなんであろうと、わたしは公爵令嬢ユリア・ヴェッケンシュタイン――婚約回避は普通に無理だった。
というわけで、だ。
わたしは他の貴族のお嬢様がそうしているように、今年からきちんと他のお嬢様・お坊ちゃま方と共に、王立学園に通わねばならないのであった。あゝ無情。
(一応、いざと言う時クルトと連携が取れるようにはするつもりだけど……)
味方がいても辛いもんは辛い。
王立学園なんてわたしにとっては戦場となんら変わりはない。任務以外で死地に赴くのは真っ平ゴメンだというのに――あれ? この考え方じゃ、まるでわたしが『任務なら死地に赴いてOK』って思ってるみたいじゃないか。
何コレ怖……。やっぱりわたし、洗脳されてる?
「何を言っている」
わたしが溜息をつこうとした時、ふと平坦な叔父の声が響いた。「学園に入っても当然、零課の任務はあるが」
「……えっ」
「まあ、王立学園は寮生活だから、割り振られるのは基本長期の任務になるがな」
どういうこと。
戸惑うわたしを置き去りにして、叔父は「レイ」と短く彼の右腕を呼ぶ。はいはぁいと軽く返事をして近寄ってきた次席スパイは、彼に何か書類のようなものを手渡した。
「クルト」
「は、はい」
突如水を向けられたクルトがあからさまに肩を強ばらせる。
しかし叔父は相変わらずの無表情のまま、レイモンドさんから受け取った書類をクルトの前に差し出した。「これはお前の王立学園入学許可証だ。レイに手配させた」
「手配しましたァ」
「……はっ?」
クルトが目をまん丸にして絶句する。スパイとしての教育が行き届いたせいか、叔父ほどではないものの、クルトはちょっとやそっとのことでは表情を変えなくなった。そんな彼にしては、大変珍しい顔である。
「いえ……あのボス、俺は貴族ではありませんし、そもそも入試を受けていません。王立学園には王侯貴族と、難関の入学試験を突破した特待生しか入学できないはずでは」
「……どうやらお前は忘れてしまっているようだ。ならば教えてやろう、クルト」
感情の滲まない、しかし有無を言わせない声で、叔父はあくまで淡々と言った。
「お前は入試を受験し、それを好成績で突破した特待生だ。そうだな?」
「…………ハイ」
ウワかわいそ。
表情という表情が全て抜け落ちた顔で答えるクルトを見て、シンプルにそう思う。
イエス以外の答えが用意されず、いつの間にか王立学園の特待生になってしまっていた相棒に、わたしは心の中で合掌した――まあどちらにせよ、情報部とはいえ一応憲兵は軍の組織みたいなものなので、上司の命令には否とは言えないのではあるが。
しかしまあ、わたしが学園にいる間も任務をこなさなければならないとなれば、クルトが裏口入学することになってしまった理由は、一つしか考えられまい。
「さて、ユリア、クルト」
「はい」
名を呼ばれ、わたしたちは揃って背筋を伸ばす。
叔父は相変わらず冷ややかな表情のまま、ゆっくりと口を開いた。
「新たな任務を申し渡す。
王立学園内にヴェルキアナのスパイネズミがいるとの情報が入った。誰にも怪しまれず、かつ可及的速やかにその正体と目的を突き止めろ」
「了解!」
上官からの命令に対する返事に、NOはない。
――ということで、わたしは憐れ巻き込まれたクルトと共に、断罪イベント回避とラット調査、二つを同時で進めなければならなくなったのであった。ジーザス。
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