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やるべき『仕事』を終えて裏手に回ると、黒塗りの馬車はもういなくなっていた。わたしは改めてホッと息をつくと、自動車に乗り込む。
表では仕組んだ通り火事騒ぎが起きていた。爆発音が大きくて、よく燃える爆発物は機械工作班の仲間謹製だ。周囲の目は完全にそちらに向けられており、わたしが辺りに気を遣う必要もない。
自動車の中には焦げ茶の髪に翡翠の瞳をした、これまた息を飲むような美貌の少年が後部座席に座っていた。少年――クルト・アーレントはこちらを認めると通信機を置き、開口一番「遅い」と文句を言った。
「何ちんたらしてんの。まさか見張りに手こずったとか言うんじゃないだろうな」
「違うってば、ちょーっと目当ての情報を見つけるのに手こずっただけで……」
「ハア……」
クルトが大袈裟にため息をついたタイミングで、自動車が発進する。揺れにウオ、と声を漏らしたところで、横から何かを投げ渡される。上着だ。
「……着てろよ」
「え、いいの」
「べっつに……たいしたプロポーションでもないのに、裸に襤褸切れ一枚なんて、見てられないから。仕方なくってだけ」
「悪かったね、貧相な身体で」
唇を尖らせて投げ渡された上着を着ると、わたしは被っていた鬘を脱ぎ捨てた。短髪の鬘の下から、長く艶のある黒髪が溢れる。
……まあ、貧相な身体だからこそ、男装が上手くいくんですけど。
微妙な気持ちになりながら自分の身体を見下ろすと、「それで」とクルトが目がを針のように細める。
「どうだった?」
「うん、捕まってた子たちはちゃんと逃がしたよ。あと闇オークションに参加してた貴族のリスト、写してきた」
「そ、ご苦労様。……で、これがお前が手に入れるのに手こずった写し? 大した量もないのに手こずるなよな、こんなことで」
「だって資料室の前に護衛がいたんだもん。強面の」
怖いじゃん! と叫ぶように言うと、クルトがまた、わざとらしくため息をつく。そして、ついでとばかりに彼は、「まあ弱いもんなお前」と付け加えた。やかましいわ。
というか、そんなにため息ばかりついてたら幸せが逃げるぞ。
「オホン」
ぎゃいぎゃいと言い合いを始めたわたしたちを諌める目的でか、憲兵の肩章をつけた運転手の男性が咳払いをする。はっと我に返って、お利口に座席に座り直すわたしたちをちらと確認した運転手さんは、苦笑混じりにこう言った。
「なんにせよ、防諜零課の任務お疲れ様でございます。オークションに参加していた好事家どもの摘発は捜査部にお任せください――ユリア様」
「この格好の時に『様』はやめてくださいよ……」
そう、わたしはユリウスではない。
本当の名はユリア。ユリア・ヴェッケンシュタイン。
シルヴィア王国、ヴェッケンシュタイン公爵の長女。
職業、スパイ。
そして――のちのこの『世界』、ノベルゲー型乙女ゲー厶『メサイア・イン・アビス』の悪役令嬢である。
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