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紫雲の予感を
二人して目を声の方に向け、声を揃える。
「「社長……」」
なんで、ここにいるの?
綺麗に整えられた髭に、真っ黒な仕立てのいいスーツ。
磨かれた靴が、コツコツと音を立てる。
彼……本社の社長、平妻慎之介氏は、私と課長の前で立ち止まった。
「なぜ、仲間同士で銃を向け合っている。下ろしなさい」
社長の言葉は、空気を一掃する圧力がある。
私と課長は、ゆっくり銃を下ろした。
なぜ社長がここにいる?社長が色彩街に来る出張の予定はなかったはずだ。
それも支社に本社の人間が次々に合流しているのもおかしい。
数々の疑念が頭に浮かぶ中、社長はじっと私を見つめていた。
「……最初に色彩街に派遣されたのは、きみか。藍下くん」
何かを射抜いて来るような鋭い視線を私に向ける社長。
「はい」
緊張を悟られぬよう、短く返事をする。
課長も、緊迫した雰囲気の中で私と社長の会話を聞いている。
「藍下くん。私を、山ノ井のところまで案内してくれ」
社長は私を見下ろしながらそう言った。
私は目を見開く。
「……山ノ井氏のところに」
まだ挨拶に行っていないのだろうか。
そこで今更ながら、社長がいつも連れている秘書の姿がいないことに気が付いた。
一人でここまで来た?……山ノ井氏に会いに。
「社長。話の途中に失礼します。わたくしは……、」
完全に置いてけぼりな様子で声を発した課長の方。
話を最後まで聞き終える前に、社長は課長に首を回す。
その、冷ややかな視線。
思わず課長は言葉を止める。
三秒ほど、無言で見つめ合う二人。
「……案内してくれるかな?藍下くん」
視線を私によこした社長。
無言の圧力がある。
「は、はい。案内いたします」
私はそう言いながら……チラリと白小屋に視線を向けた。
私がいなくなったら、課長は白姫に攻撃するかもしれない。
だけど今は社長を山ノ井氏のところに案内しなくてはならない。
私は銃をしまい、課長に背を向けて正面玄関へと向かっていく。
だが私がいくら背を向けていても、社長がこの場から離れていても、課長は動く気配がない。
この様子なら大丈夫だと、思う。
課長の方を見なくても私はそう思える。
きっと……社長の圧が、あったから。
社長を山ノ井氏のところへ案内する道のりで、私は体を硬くする。
私の後ろを歩く社長と二人きりになってからまだ一度も言葉を交わしていない。
そもそも、社長と話すのもとても久しぶりだった。
いきなり社長が一人で色彩街に来た理由を、私は知らない。
悪く言えば、社長が何を企んでいるのか分からない。
……だが、どこかで安心している自分がいる。
それはなぜか。
今までの社長の言動と行動を見ていれば、なんとなく分かることだった。
「ここです」
私が山ノ井氏の社長室をノックをすると、しばらくして扉が開く。
顔を覗かせた山ノ井氏は、私と社長が連れ立っているのを見て明らかに険しい顔をした。
「久しぶりだな。山ノ井」
社長は一笑し、勝手に社長室へと入っていく。
山ノ井氏は挨拶もままならないまま社長の動きをただ目で追っている。
そして慌てたように私を見て、小声で「白姫はどうした」と厳しい剣幕で問い詰めてきた。
まだその話をするか。
私は呆れを顔に出さないように気を付ける。
「これから、そのことについて平妻から話があります」
私はそうとだけ言って、軽く会釈をして社長室の中に入っていく。
山ノ井氏は私を唖然とした様子で見て……ため息をついて、扉を閉めた。
ソファに座る社長と山ノ井氏が、真正面から対峙している。
私はその横で立って、二人を見つめていた。
「この度は、本社への仕事の依頼をありがとう」
先に言葉を発したのは、社長だった。
「……本社とは付き合いが長いからな。それで、仕事はちゃんと遂行してくれたのだろうか」
本社の社長を前に、私を相手にするのと同じようなくだけた物言いの山ノ井氏にわたしの眉が上がる。
しかし、そういえばこの二人は親戚だったはず。
だが私がいる手前、少しは言葉遣いを改めるべきだと私の方がヒヤヒヤしてしまう。
でも少し、社長の機嫌を伺うような話し方をしている気がするのは、気のせいではないよな。
心なしか視線まで上目遣いだ。
「それが、私はつい先ほどここに着いたものでね。仕事とは、一体なんだった?」
テーブルに腕をつき、社長は近くなった距離で山ノ井氏を見つめている。
山ノ井氏は……なぜか言葉に詰まっていた。
口ごもりながらもなんとか声にしようとしているが、そのまましばらく時間が流れる。
「説明できないのなら、君から教えてくれ。藍下くん」
しびれを切らしたらしい社長は、私に視線を向けた。
私は少しだけ目を見開いて反応する。
「い、いや、私から……」
やけにハッキリとした口調で、山ノ井氏が慌てたように腰を浮かした。
「———今は彼女に聞いているんだ」
制するように、社長がいっそう鋭い視線を山ノ井氏に向けた。
山ノ井氏はグッと押し黙る。
ふっと社長は私に視線を向ける。
その瞳は、今しがたの視線とは全然違う。穏やかで、優しい。
だから自然に口に出せた。
「———はい。山ノ井社長の娘を殺して欲しい、との依頼でした」
私が言い切ると、山ノ井氏はドスンと激しい音でソファに座った。
社長は短く「そうか」と言い、山ノ井氏を見る。
「私には、そんな依頼はきていないはずだが。どういうことだ?」
空気が静寂に包まれた。
私は二人の社長を見比べながらも、事態が掴めない。
……そんな依頼はきていない?
支社から本社に仕事の依頼が来る際には、必ず社長を通してから職員が派遣される。
つまり社長が承諾しなければ、本社の人間は仕事として動けないというわけだ。
てっきり私は、社長が承認したからこの仕事を職員に振ったのだと思っていた。
だけど本当は違った?
「詳しく説明してくれるかな、山ノ井」
社長からの冷たい視線を受けられた山ノ井氏。
私も懐疑の目で説明を求めるように視線を向ける。
双方からの逃げられない視線を受けた山ノ井氏は……観念したように喋り出した。
「……白姫を殺して欲しいという依頼は、私が平妻に黙って藍下くんにしたものだ。本社を通していない」
彼の口から語られた事実に私は目を見開く。
つまり、私や課長が動いていた白姫殺害計画は、本社の承認をとってないということ?
社長は大きくため息をついた。
「そうだろうな。最初に君が本社にした依頼は、ただの内部調査だったはずだ。殺人ではない」
社長はキッパリと言い切る。
ますます小さくなっていく山ノ井氏。
その二人の様子を見ながら、私の頭は違うことを考えていた。
白姫殺害は、山ノ井氏が本社を通さずに私に依頼した正式ではない依頼。
……白姫の殺人がちゃんとした依頼じゃないなら、彼女は殺されなくて済むということだ。
つまり———白姫を、救える。
「想定の出張より長い上、さらに社員が派遣されるからおかしいと思っていたんだよ。そしたら、やはり秘密裏に黒の仕事として動いていた。お前の勝手な指示で」
社長は怒気をはらんだ声で厳しく山ノ井氏を見据える。
しばらく首をうつむけてうなだれていた山ノ井氏は、勢いづけてその場に立ち上がる。
「申し訳ありませんでした!」
垂直に腰を折り、謝罪する山ノ井氏。
謝られたが……決して許す気にはなれない。
白姫を殺害しようとした彼の理由は、おそらく本心だ。
自分の手は汚したくなかったから、仕事という体で本社の人間にさせようとしたのだろう。
どこまでも底汚い人だ。
私は社長と目を合わせる。彼の瞳にも軽蔑の色が浮かんでいた。
「今後のことは、覚悟しておいた方がいい」
社長はそう言い放ち、立ち上がって扉の方へ歩いていく。
私も無言でその後に続く。
「ひ、平妻。それは……」
顔を上げ、何か弁解しようとしている山ノ井氏を社長は振り返った。
「冗談じゃないぞ。本気だ」
激しく怒りをたたえた瞳。
山ノ井氏はその場で硬直する。
社長はこれ以上何も言うつもりはないらしく、扉の外へ出ていく。
ドアが閉め切られる直前、彼が地面に座り込むような激しい音が耳に入る。
それを最後に、扉は完全に閉められた。
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