暖翠のような願い

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暖翠のような願い

廊下を歩き、白姫と課長が待つ中庭に向かう私たち。 今しがたのやり取りで精神的に疲れたのか、なんだかいつもよりも壁や床の色が薄く見える。 互いに無言だけど、まだ私にも腑に落ちていないことある。 私は、前を歩く社長の背中を見据える。 「社長」 躊躇った末、とうとう声をかけた。 社長は歩く足は止めずに、首だけこちらを振り返る。 話しにくいかと思って、私は彼の隣に並んだ。 「色々混乱している点はあるのですが、一つ確認したいことがあります。白姫———山ノ井氏の娘は、もう殺さなく良いのですね?」 どうしても、これだけは確認しなくてはいけない。 少々緊張した面持ちで社長を見ていたが、彼は頷いた。 「もちろん。少女を殺害するような仕事の依頼は受けていないのだから、少女に手を出す必要はない」 彼の口から実際に聞けたことで、私はその場に崩れ落ちそうになった。 良かった…………。本当に良かった。 心から安堵してしまって、しばらく言葉が出なかった。 社長が私を眺めている。 そのことに気が付いて、私は慌てて背筋を伸ばした。 「申し訳ありません。かしこまりました」 緩んでいただろう顔を引き締めていたら……社長はふっと笑った。 社長が笑っている姿を見るのは初めてで、私は拍子抜けする。 「社長?」 「いや、すまない。君は、うちの社員にしては珍しいタイプだと思ってね」 彼の言っている言葉の意味が……なんとなく分かった。 「それは、職場に私情を持ち込んでいる点に関してですか」 緩んでいた顔も気持ちも途端に冷える。 この仕事は、時には黒もあるから私情を持ち込むのは御法度だと自分でも分かっている。 だけど今回はどうだろう。 たまたま正式に依頼されていない仕事だったにしても、私は私情を持ち込みすぎた。 勝手に仕事に反することもして、逃げたりもした。 そんなこと、本当はあってはならない。 「申し訳ありませんでした」 私はその場で、深く頭を下げる。 いきなり立ち止まった私に、社長まで足を止めた。 「いや、謝らなくていい」 上から聞こえた声に、私は思わず顔を上げる。 「……どうしてですか」 社長が謝らなくていいと言っても、自分で納得できない。 未だ低い姿勢のまま彼を見上げると、社長は少しだけ眉を細めて笑った。 「仕事熱心な人が多くて、嬉しいからだよ」 社長はそれだけ言って、歩いていく。 私は、今度は言葉の意味がのめなかった。 今のはどういう意図の返答だ? 深く考えたいが、社長を待たせるわけにはいかなくて私は慌てて後をついていった。 中庭に出ると、さっきまでの戦いが嘘のように静まり返っている。 私はすぐに課長の姿を確認する。 手には武器を持っていない。ここを去る時と全く状況が変わっていないということは、つまり課長は白姫に危害を加えていない? 「社長」 こちらに気付いた社長が、駆け寄ってきた。 社長の目の前まで来て、事態の説明を待っている。 「今回は、お疲れだった。そして君がここに来た理由である山ノ井の娘の殺害だが……なかったことにしてくれ」 「え」 課長は、思わずといった風に声をもらす。 「ですが社長。依頼に関しては、」 「少女殺害は、正式な依頼ではなかった。山ノ井が勝手に頼んだことだ。本社としては、私が承諾した依頼でないと動かない方針。つまり今回の依頼は、無効だ」 短く端的に説明を終える社長。 有無を言わさない迫力に、課長は言葉をつぐむ。 「かしこまりました」 ただ一言、そう言って頭を下げた。 しかし私はその様子を不自然に思う。 さっきまで目の色を変えて白姫を殺そうとしていたのに、物分かりが早すぎないか。 本当にわかっているのか不安になるが……と、課長はなぜか私を見つめていた。 「……藍下さん。申し訳なかった」 突然、頭を下げられた。 私は目が丸くなる。 なぜ、今のタイミングで私に謝る? 何か裏があるのではないかと疑うが、課長はそのまま言葉を続ける。 「……反省した。一人でここで待っている時、この小屋の小ささを見て思った。仕事だとはいえ、六歳の子供を殺そうとしていたこと、なんて恥じるべきことかと」 静かに紡がれる、課長の言葉。 私はますます目を見張る。 ……課長が撃った銃弾、かかとにかすった部分はまだ痛い。 それに尊い小さな命を狙ったこと、到底許せない。 だけど———。 「いえ。私こそ、今回は職場に私情を持ち込みすぎました。その点に関しては、私も謝罪いたします」 私も頭を下げる。 さっき、社長は『仕事熱心な人が多くて嬉しい』と言っていた。 それはきっと、課長のことだ。 課長は、依頼が少女の殺害だったから本気で彼女を狙おうとしただけ。 残虐でも、非人道でも、それが仕事だから。 それでも少女を殺害することに抵抗がないのは恐ろしいけれど……。 きっと、殺害なんて依頼はこれから社長が断ってくれると信じている。 今あっさり白姫から手を引いたみたいに、課長はむやみやたらに人を殺そうとしない。 依頼がなければこれから彼も殺人なんて犯さない訳だし、今回のことはこれでケリをつけることにする。 頭を上げると、課長は私も球を下げたことに関して驚いているようだった。 「彼女にも、ちゃんと謝らないといけない。だから……。少女に、会わせてくれないか」 課長は真剣に私の目を見つめている。 だから……大丈夫だと思った。 私は頷いて小屋を開けようと手をかける。 随分長いこと、中に放置してしまった。 中からは音ひとつしない。大丈夫だろうか。 ゆっくり扉を開ける。 そしたら、そこには眠ってしまっていた白姫がいた。 一瞬目を瞑っているからヒヤリとしたけれど、ちゃんと寝息を立てている。 この状況で眠るって……。 私は思わず苦笑い。 でも、それだけ私たちのことを信用してくれてたのかな。 私はそっと白姫を抱き上げる。 あたたかい。白いけれど、体温はとてもホッとする。 「白姫」 声をかけると、白姫は小さく動いて反応した。 そして、目を開ける。 「……あいちゃん?」 目を覚ました白姫は、私を見て目を丸くする。 「白姫、ちゃんと隠れていてくれてありがとう。もう大丈夫だよ」 私は優しい顔をつくって微笑む。 そしたら白姫は、安心したように顔をほころばせた。 やっと彼女にこんな表情をさせられて、すごく嬉しい。 「白姫さん」 丁寧な課長らしい、さん付けに思わず微笑む。 白姫は、私に抱き抱えられたまま声を発した課長の方に首を向ける。 「仕事だったとはいえ、君に危害を与えようとしたこと、本当に申し訳なかった」 頭を下げる課長。 六歳の子供相手には、少し難しい言葉遣いなんじゃ……と思ったけれど、やはり白姫もピンときていない。 説明を求めるように私の方を向く。 「白姫に、ごめんねって謝ってるんだよ」 そう答えると、彼女は「謝る?なんで?」と返してきた。 私と課長は、思わず顔を見合わせる。 あんな混乱状態だったから、何が起きてたのかも分からないみたい。 それにもともと、彼女が怖がっていたのは山ノ井氏だけだもんね。 自分の、父親に……。 「お嬢さま!」 突然、建物の方から大声がした。 声の主は、秘書だ。 一目散に私たちのもとへと駆けてくる。 肩で息をしながら白姫の手をつかむ秘書。 その必死さがすごい。 「お嬢さま、本当に良かった……」 秘書が、私から白姫を受け取り優しく抱きしめた。 白姫も嬉しそうに笑顔になっている。 優しいながらも力の込もったその様子は、なんだかただの秘書と少女の関係には見えなくて。 二人を観察していたら、私はあることに気が付いた。 「課長。なんかこの二人、どことなく似ていません?」 白姫の丸くて大きな目は、秘書も同じ。 それにスッと細い鼻筋に唇の感じも……似てるっていうか、なんか同じ? 「え?あ、まぁ……言われてみれば、確かに」 私たちは、まじまじと二人を見つめる。 「「……もしかして」」 秘書と白姫が、同時にこちらを見た。 「二人って、親子……?」 私は呟く。まさか、って思いながら。 私の声に、秘書は一瞬口を開きかけたが閉じる。 でも思い切った顔になりもう一度口を開いた。 「はい。お嬢さま……いや、白姫は私の娘です」 秘書は、白姫を見つめて優しく微笑んだ。 私は思いがけない事実に驚く。 本当に、親子だった!? 「でもそしたら山ノ井氏は?」 最初に、山ノ井氏から白姫は自分の娘だと説明を受けたはずだが。 私が言葉にしなかった部分まで汲み取ってくれたらしく、秘書は申し訳ない表情になった。 「それは、社長さまが自分の娘だと言ったほうが話がつきやすいからと……」 予想外の告白に、私は社長の前だということも忘れて口が開いていく。 もはや呆れを取り越して感情が湧いてこない。 「あいつは、どこまでも人間として終わっているな……」 社長が、頭を抱えている。 課長も同感らしく、小さく頷く。 秘書は白姫を抱いたまま申し訳なさそうにしている。 その様子を見て、私は失笑してしまった。 今回は皆、山ノ井氏に振り回されてばかりだな。 でも誰も死ななかったし、重傷を負った人もいない。 それだけで今回は上出来だったと思う。 私も課長も、道を踏み外さないで済んだ。 地面に下ろされた白姫は、仲良く父親と手を繋いでいる。 その幸せそうな笑顔に、私は息をつく。 今回の仕事は、これで一段落だな。 「それでは、私たちはこれで失礼しようか」 社長が言った。 秘書と白姫の様子を見ていた私は、顔を引き締める。 課長も隣で同じように姿勢を正した。 「「はい」」 仕事が終わった以上、長居は良くない。 今回の原因は山ノ井氏だったにしても、私たち本社は支社に多大な迷惑をかけている。 それに今回の依頼が正式じゃないのだとしたら、本社に戻って詳細を精査しなければならない。 「もうお帰りになられてしまうのですか」 秘書は残念そうな顔になって、私たちを順番に見ている。 そして最後に私を見ていたから、私はまっすぐ秘書を見つめた。 「はい。この度は、私たち本社の職員を快く歓迎してくださりありがとうございました」 頭を下げようとすると、秘書が慌ててそれを止めた。 「いや、お礼がしたいのは私の方です!藍下さん。娘を見てくださり本当にありがとうございました」 逆に頭を下げられてしまって、私は一瞬たじろぐ。 「い、いえ。それより、最初は騙して白姫に近付いてしまい申し訳ありませんでした」 結果として私は彼女を守るよう動いたけど、途中までは本当に彼女を狙おうとしていた。 最初から完全に白姫を救おうとしていた訳ではない。もしかしたら、危なかったかもしれない。 そこが申し訳なくて、深く礼をする秘書にうまく顔向けできない。 「あいちゃん、行っちゃうの?」 視線を下げると、白姫が私のズボンを指で掴んでいた。 さっきまで笑顔だったのに、なぜか今は暗い表情だ。 「うん。帰るんだ。ごめんね」 私はしゃがんで、白姫の髪をなでた。 ツヤツヤで、透き通るような純白。 しかし今まで透き通るような色をしていた白姫の瞳が、サッと曇ったような気がした。 「あいちゃん、白姫のお世話してくれるって。一緒にいてくれないの?」 なにやら少し怒ったような口調で言われてしまい、私は申し訳なくなる。 前に山ノ井氏が言っていたことを、覚えていたみたいだ。 私は、少しだけ困った笑みを浮かべた。 「……うん。ごめん」 私は、本社に帰らなくてはいけない。 元々こんなに長期間の出張ではなかったし、帰ってやることもたくさんある。 秘書は白姫のことをちゃんと愛している訳だし、もう私が白姫にしてあげられることは何もない。 私は髪をなでる手を止めた。 それに……私がそばにいたら、きっと白姫は汚れてしまう。 彼女はこんなに白くて純粋だ。 一瞬は彼女を殺しそうになった私と一緒になんていたら、悪影響に違いない。 私が白姫のもとに通うことで彼女の白い純粋さに影響されたみたいに、その逆だって有り得る。 正反対な私と、一緒になってはいけない。 どうしても頷いてくれない私に、白姫は切ない表情をする。 「……そっかぁ。あいちゃんと、バイバイなんだね」 今までそんな顔してこなかったのに、今になってそんな顔するから、私まで切なくなってしまう。 ズボンを掴んでいた指を離し首をうつむけた白姫。 「白姫」 私は彼女の肩を掴み、真剣に彼女を見つめた。 驚いたように彼女の瞳が大きく見開かれる。 「もう一度言うけど、あなたは綺麗だよ」 山ノ井氏は、この色彩街の中で色がない白姫を排除しようとした。 彼女の色がこれからもう直らないのなら、一生真っ白のままなら、今後も白姫のことを悪く言う人が現れるかもしれない。 でも、 「私はあなたの色が好き。だから、これから何があっても自分に自信を持って」 ちゃんと伝わって欲しいと、目を離さずに伝える。 白姫のガラス玉のように透明で美しい瞳は、真剣な私の表情をうつす。 「……うん。わかった。でもね、あいちゃん。姫、黒い色も好きなんだ」 パッと顔を明るくさせた白姫に、私は思わず「え?」と聞き返す。 白姫の真っ白な指が、私の黒いスーツの襟元を掴んだ。 「あいちゃんが着てる黒も、綺麗。あいちゃん、カッコよかったよ」 さらりと揺れる髪の毛。きゅっと指に力が入る。 「あいちゃん、姫のこと守ってくれてありがとう。大好き」 そう言って白姫が抱きついてきた。 小さな腕が私の首元にまわる。 優しい力が、温かい腕が、私の心の黒く汚いものをゆっくりと変えていく。 私も、彼女の背中に手を回した 「……ありがとう。私も大好きだよ」 あたたかい。 白姫は六歳の子供だけど、彼女の生き方には学ぶことが多くある。 自分が人と違うところに絶望するんじゃなくて、それを受け入れてしっかりと前を向けている。 心配するのが杞憂なほどに。 でもそこがちゃんと分かっているのならば、これから先はきっと大丈夫だ。 私みたいにはならなずに生きていける。 「藍下くん。そろそろ行こうか」 ずっと黙って見守ってくれていた、社長が促す。 「はい」 背中に回していた手をそっとどかし、立ち上がった。 白姫は私を見上げる。 自分自身を引き立たせようと色を全面に出す周りの花々の中、一歩身を引いたような落ち着きを感じる白姫。 彼女が私を見上げる視線と私が見下ろす視線とが、絡みあった。 「バイバイ」 「さようなら」 互いに別れの言葉を告げ、背を向ける。 社長を先頭に、支社の敷地内を出た。 もし後ろを振り返ったら、白姫は私に手を振ってくれているのだろうか。 確認したくなったが……やめた。 私の体には今も、白姫のあたたかい熱が残っている。 彼女が『好き』だと言ってくれた、黒い色をまとっている。 私の生き方は決して見本とは言えないし、とても善良な人間なんかじゃないけども。 真っ黒な自分に、白姫の白を足せば、ちょっとは自分を好きになれるかもしれない。 森を抜けたら色が溢れる色彩街の景観が開けた。 ドッと急に疲労が押し寄せる。 でもこの疲労も、無事に白姫を守り抜けたから感じられるんだ。 「……今後は、黒の仕事は受けないようにしよう」 前を行く社長が、ポツリと呟いた。 私は、足が止まりそうになる。 「黒の仕事も、これまでは会社のためと思って引き受けていたが。今回、実際に前線に立ってみて悲劇しか生まないことを知った。これでは職務に当たる職員もかわいそうだ」 社長は、私たちを振り返らずに独り言のように続ける。 だけど私と課長は静かに聞き入っている。 社長がそう思ったなら、今後は本当に黒の仕事は無くなるかもしれない。 私としてもその方がいいと思っているが、決めるのは社長だ。 私たち職員は、社長が決定したことに従う。 でも……なんとなくだが、直感的に黒の仕事は無くなってくれるような気がした。 そんなことを思いながら私たちは色彩街を出る。 これから、本社に帰る。 色彩街で色のない白姫に出会ったが、私たちはなんらかの色を持っている。 個性を、自分の色を育てていくのは悪くない。 ———私と白姫は、極の位置にいるもの同士。 普段は混ざり合うことなんてないけれど、色が合わさっても害は生まれない。 最後、色彩街の華やかな色が目に飛び込んだ。 たくさんの有彩色がマーブル上に存在している。 この街に白姫の色と彼女が好きな黒色が混ざり合う時———わたしはまた彼女に会いに行きたい。
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