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彩管よりも多彩な街
煌びやかに視界を彩る無数の輝き。
色で溢れたこの街は、視界のどこを切り取っても鮮やかだった。
優しい色合いで飾られた景色。
この街は、別名色彩街と呼ばれていた。
「ほんとにあるんだね、この街……」
一歩足を踏み入れた瞬間から、私は視界があっちへこっちへ忙しかった。
広がるのは同じ世界にあるとは思えないような風景。
風が吹き抜けて視界を上に向けると、エメラルドグリーンの空に色鮮やかな雲。
パステルカラーの地面には、石ころの代わりになんと小さなダイヤが転がっている。
手に取って驚く。
小さいながらも光を反射して輝いており、きっと価値はものすごい。
「これ持って帰ったら幾らになるんだろ……」
そんな欲に溢れた思考に陥ってしまう。
「ダメダメ、私は仕事で来てるんだから」
首を振って邪念を追い出す。
そして、この世界では珍しく見える真っ黒のスーツをピッと正した。
私はこの色彩街に仕事で来ている。
私の職場は、日本のとある企業の本社。そこの支社対策課に勤めている。
この色彩街にも支社があって、その支社からの依頼のため出張中。
依頼主からの要求に応えるため、私はここにいるのだ。
「依頼主は、支社の社長である山ノ井和海氏、か」
一人でぶつぶつ唱えながら、山ノ井氏を訪ねるため支社に向かう。
彼は確か、ウチの本社の社長である平妻慎之介の親戚だとか。
血縁関係で支社の長を命じるなんて、私情ばかりで会社の経営に影響はないのかと心配になる。
まぁ、一端の社員である私が心配する必要はないか。
そのまま賑やかな景色の中を歩く。
パステルの地面は、踏みしめるごとに色が変わっていく。
その変わりようを楽しみながら、私は支社に向かうため途中で横の小道に入った。
横道に逸れたからか、先程ほど賑やかな印象は感じない。
だけれど一つ街を抜けても、まだどこか夢を感じるような浮つく感覚が残る。
建物も物も周りと溶け込まない主張のある色をしていることで、目が疲れるほど。
噂には聞いていたけど、予想以上のカラフルさだな。
この色で溢れかえっている景観が色彩街のウリらしいけれど、街に住む人々は目が疲れないのだろうか。
細い通りを抜け、木々が増えてきた。
やっと見慣れた緑の自然が目に入り、ホッとする。
そしてその先———、目の前に現れた建物に目をむいた。
周りが緑の自然だからか、その建物の異質さがよく目立つ。
建物全体がマーブル状の色に塗装され、訳の分からない色として存在している。
ハッキリとしたビビットカラーが淡い色を飲み込み、軽くカオスだ。
おもちゃの城のようなこの建物がまさかウチの支社だとは思えなくて、暫く固まる。
……ふざけているんじゃないか?
正直、感想はそれだった。
「本社の方でしょうか」
随分と気の抜けた顔をしていた私は、誰かから声をかけられて我に返る。
姿勢の良い歩き方で近寄ってきたのは、淡いクリーム色のスーツを着た若い男。
支社の人間だろうか。
「はい。本社から参ったものです」
私も姿勢を正して、男と言葉を交わす。
軽く挨拶をしあう中で、この男は山ノ井氏の秘書だということが分かった。
「部屋で社長の山ノ井がお待ちです。ご案内いたします」
秘書に連れられ、私は支社の中へと足を踏み入れた。
中も中で、外まではいかないけれどパステルカラーの壁で覆われている。
正面玄関から入り、そのままエレベーターで上まで上がる。
ガラス張りのエレベーターの中から、支社の建物内がよく見えた。
この支社は大きく分けて三棟、どれも均等な大きさで建てられている。
今私がいるのは三棟の真ん中で、左右を見渡すと渡り廊下で他の棟と繋がっている。
つまり、三棟は中から繋がっているわけだ。
私と秘書はエレベーターを降りる。
途中で支社の職員とすれ違ったのだが、皆それぞれ色のついたスーツを着ており誰も黒いスーツを着ていない。
最初はクリーム色のスーツを着た秘書を、おしゃれでもしているのかと思ったがここではこれが正装なのかもしれない。
山ノ井氏のいる部屋へと向かう最中、設備の整った環境を目視で確認する。
こちらの常識ではふざけた色の景観をしていたが、中はきちんと必要なものが揃っている。
それにこの建物の広さからすると、経営はうまくいっているのだろう。
私は、今回の山ノ井氏の依頼内容を知らない。
それどころか、この出張が決まるまで色彩街に支社があることも知らなかったぐらいだ。
「社長室はここでございます」
秘書に促され、私は扉の前に立つ。
今までとは対照的な、重厚感のある真っ黒な扉。
その重みと威圧さに自然と顔が硬くなる。
や、ちゃんとしなきゃ。支社対策課の中から私一人が選抜され、ここに出張に来たんだ。
煌びやかなリゾート地としても人気な、色彩街。
周りの友達からも随分と羨ましがられた。
「社長、本社の方がお見えです」
秘書が声をかけると、中から「通せ」と一言声が返ってきた。
私は扉を叩く。
———でもこの仕事は、華ばかりではない。
「よく来てくれたね」
出迎えてくれたのは、深いえんじ色のスーツを着た四十代ほどの男性。
社長の山ノ井和海氏だ。
やはり、社長も色のついたスーツを着ている。
しかし他のものより色に深みがあるという点において、彼が社長だという決定的な差別化がはかられている。
「本社から参りました、藍下真呂と申します」
私は笑みを浮かべて腰を折り、挨拶する。
きっちり三秒、顔をあげてまっすぐ彼と向き合う。
山ノ井氏は自分も腰を浮かせて「まぁまぁ、まずは座りなさい」と笑った。
「失礼します」
ソファに座り、山ノ井氏と向き合った。
すかさず秘書が目の前に、お茶のカップを置いてくれた。
ふわっと紅茶の甘い煙が立ち昇る。
「若いのに本社勤めとは、君は優秀なのだねぇ」
山ノ井氏はカップの茶を飲み笑う。穏やかで優しい印象の人だ。
「恐縮です」
返しながらサッと室内を見渡す。
置いてあるものは棚に机、今座っているソファや椅子。
どこにでもありふれた家具だが、決定的に違う部分がある。
「随分と綺麗な室内ですね。どの部屋もこのような色合いなんですか?」
外見を思わせる色とりどりさなのだ。
棚は鮮やかなシアン、机と椅子は対照的なマゼンダ。床も壁もグラデーションのような色をしている。
正直酔いそうだ。
「そうなんですよ。この街は‘‘色‘’を大事にしている街ですからね。色があれば、テンションも上がるものですよ」
ははは、と愉快そうに笑った山ノ井氏に、「確かに気分が上がりますね」とすかさず返す。
「ところで社長。今回はどのようなご用件で?」
自然なタイミングで、話の中心に切り込んだつもりだった。
「———秘書、席を外しなさい」
山ノ井氏は先刻とは違い、打って変わって静かに言い放った。
空気が張ったような雰囲気に包まれる。
「承知しました」
秘書は軽く一礼をし、部屋から出ていった。
その様子を見送り、私は背筋を正す。
色で溢れかえるこの部屋の喧騒は流れ、目の前の山ノ井氏だけが目に映る。
「君に依頼したいことがあるのだが、良いだろうか」
私に向き直り、微笑みを浮かべる山ノ井氏。
「もちろんです。なんでしょうか」
「ここだけの内密な話にして欲しいのだけれどね」
山ノ井氏は、カップの紅茶を軽く手で揺らす。
「———娘を殺して欲しいんだよ」
山ノ井氏はそう告げて、優雅にカップを口を近付けた。
「……なるほど。そのようなご要件ですね」
私もカップに手を伸ばす。
顔色は崩さず、笑顔で。
「娘さんはおいくつなんですか?」
「今年六歳になる。一人娘だ」
「それは……さぞお可愛らしいんでしょうね」
微笑みを浮かべる私の顔が、カップの水面に映った。
誰が見ても疑わない、完璧な笑み。
「ははは。———可愛いなんて、笑えぬご冗談を」
水面から顔を上げると、山ノ井氏が目を細めて私を見ていた。
私はカップを置く。山ノ井氏と視線がぶつかった。
「込み入った質問で申し訳ないのですが、どうして娘さんを殺めようとお考えに?」
私は一瞬も彼から目を離さずに問う。
彼はカップの細かな装飾を人差し指でなぞりながら……しばらくして視線を私によこした。
「彼女は生かしてはおけない人間なんです」
静かな室内に、彼の声はやたら大きく響いた。
「そうですか」
山ノ井氏の背後、小窓の外の空はだんだん藍色に色を変えていく。日暮れだ。
「時期と方法は全て本社の方針に任せる。頼まれてくれるかね」
山ノ井氏は机に肘を乗せ私に笑いかけた。
最初に会った時と同じ、優しく穏やかな印象をまとっている。
「———もちろんです。お引き受けいたします」
私は貼り付けた笑みを落とすことのないまま言う。
「それは良かった」
山ノ井氏は心から安堵したような顔で微笑んだ。
……支社対策課の仕事は、表だけじゃない。このような、裏の仕事も引き受けなきゃいけないのだ。
「あ、もしもし?課長ですか?」
『藍下さん。出張、お疲れ様〜』
部屋を出た私は、廊下の隅に移動し課長に電話を入れた。
『いやぁ、急な出張だったのにありがとうね。助かったよ』
「いえいえ。色彩街、思った通り素敵な景観でしたよ」
『そう?あ〜。やっぱり俺も行きたかったなぁ』
のんびりとした口調の課長に、私も「今度はぜひ一緒に」と笑って返す。
「それで課長、今回の仕事の件なんですけど、」
笑顔を浮かべたまま、一拍おく。
「———黒でした」
浮かべていた笑みをストンと落とし、声色も落とす。
『……そうか。黒だったかあ』
課長はのんびり、ゆったりな声。
『とりあえず情報は逐一こっちにも連絡、報告をよろしく』
「了解です。では」
電話を切り、息をつく。
私たち社員は、表沙汰で動ける仕事内容を白、裏で秘密裏に動かなくてはいけないものを黒、と呼んでいる。
今回の依頼は殺人。
私が今まで請け負ってきた仕事の中でもダントツで恐ろしいものだ。
……というか、六歳の子供を殺してほしいなんて依頼やばすぎるだろ。
さっきは社長の前という手前冷静さを保っていたが、正直声が出そうになった。
他の黒仕事を経験してきたから多少は耐性があるが……殺人。流石に度を超えている。
「藍下様、このあとはどうされますか?」
秘書が私を見つけ、声をかけてきた。
私はサッと『本社の人間』の顔を作り、笑みを浮かべる。
「山ノ井氏の娘さんに会わせていただきたいのですが、よろしいですか?」
「……お嬢さまを?」
思わぬ依頼だったのか、彼は一瞬返答をためらった。
「実は山ノ井氏から「娘の相手をしてほしい」と頼まれまして」
咄嗟に浮かんだ嘘が口をつく。すると、一瞬妙な間が空いた。
「そういうことですか」
しかし微笑んで快諾してくれた。
「ご案内いたします」と秘書は廊下を歩き始め、私もその後に続く。
先程エレベーターから見えた渡り廊下を移動し、向かう先は左に移動した棟。
「ここは山ノ井氏の実家になっており、お嬢さまはこの廊下の奥のお部屋にお住まいになっています」
「へぇ、そうなんですね」
ここは支社兼、実家か。頭の中に新しい情報を入れる。
この棟も変わらず床や壁は淡いパステルカラーで塗装されている。
というか、依頼の子供ってお嬢さまなんて言われているのか。
まぁ社長の子供なんだからそう言われるもの当たり前なのかもしれないが。
「ここです」
秘書が案内してくれたのは、真っ白な扉の部屋の前。さっきの社長室とはまた正反対だ。
「私はこれで。お嬢さまをよろしくお願いいたします。何かあったらお呼びください」
一礼して、立ち去る秘書。私は扉の前で考える。
……社長が殺してほしいという六歳の娘。どんな子なのだろう。
私は一回深呼吸をし、コンコンとノックをした。
中からは音がしない。
人がいるのかいないのか分からないな。
「……入ります。失礼します」
静かにドアを開け、中の様子を伺うことにした。
お嬢さんには、私が来ることはきっと伝えられていない。
怖がらせないように笑顔を忘れずに。
ドアを開け切るが、中は電気が消されていて様子が分からない。
もしかして、いないのかな。
「———ばあ!」
唐突に、中から声がした。
私は急いで後ろに飛び退く。
目を見開いて暗闇の中を凝視していると、しばらくして扉の影から小さな女の子が現れた。
「……あれ、驚かないの?」
可愛らしい声を上げる女の子。
その姿を間のあたりにし……、そっちの方に驚いた。
腰まで届く真っ白な雪のような髪色。
レースやフリルであしらわれた洋服も、同じく白い。
それに、彼女の肌色。まるで色が失われたようなほど白い色をしている。
まとうもの全てが白くて儚くて、今にも消えてしまいそうな少女だ。
「あ……。お嬢さん、はじめまして。藍下真呂です」
動揺を悟られないように、声のトーンを上げて話しかける。
少女はじっと私の顔を見つめている。
その瞳も、淡く繊細な透明さ。
「あいちゃん?」
「……あいちゃん」
珍しい呼び方になれないが、苗字を取ってあいか。
別に間違ってはないよな、と返答に戸惑う。
「あいちゃん、姫になにか用?」
小首を傾げる彼女。
「姫?」
今、確かにそう聞こえた。
「姫だよ。わたし。白姫って呼ばれてる」
ニコリと笑う彼女は、六歳とは思えないほど大人っぽい。
彼女がまとう純白な白さは、大人にも負けないほどオーラがある。まさに姫様のよう。
「白姫、って呼ばれてるんだ。じゃあ私もそう呼んでいいかな」
「いいよ!」
無邪気に笑って楽しそうな白姫だけれど、やはり普通の子とは違う。
このカラフルな街の中、初めて見るような純粋な色。
これは生まれつき?しかしこの街では明らかに違和感だ。
「白姫。あなたのその白さは———」
その時背後に不穏な何かを感じた。
振り返ると、そこには山ノ井氏。
「山ノ井氏」
私は慌てて立ち上がり、彼と真正面から向かい合う。
音もなく近付かれた。いや、今のは私が油断していただけか?
「なんだね、もう仕事を完了しようとしてくれるのか」
ニコニコとしているが、溢れ出る殺気を隠せていない。
「いえ、まだ」
一瞬素に戻りそうになったが、危ういところで気を引き締める。
数秒、彼と視線がぶつかり合ったが山ノ井氏に視線を逸らされた。
「白姫。今日から、この人はお前の世話係になる。よいな」
視線の先は、白姫。
しかしそれは娘に向ける視線とは思えない冷たい視線。
勝手に心臓がざわざわと騒ぎ出す。
白姫は、まるで父親から向けられる視線とは思えないものをまっすぐ受け止め、静かに頷いた。
「……うん。あいちゃん、よろしくね」
透明な瞳が私を映す。
その瞳には、この場の誰より顔が強張っている私がうつっていた。
「藍下くん。君は出張という体でここに来たのだろう?泊まりの準備はしてあるだろうが、しばらくはこの子の世話を頼むよ」
山ノ井氏は打って変わって穏やかな瞳を私に向ける。
「はい。かしこまりました」
冷静に大人として返し、頭を下げる。
それに頷いて返し、山ノ井氏は背を向けて長い廊下を戻っていった。
世話というのは建前で、彼女のことを見張っていろという指示だ。
私は白姫を見下ろす。
———依頼内容が殺人なだけで、これも一つの仕事。
私は、この仕事が完遂できるように今は彼女を見張っておかなくてはいけない。
「……白姫。また明日、遊びにくるね」
しゃがんで彼女の顔を覗き込む。
あどけなく瞬かれる瞳。
ぱっちり見開いた目が、微笑む私を映している。
「うん。あいちゃん、また明日ね」
白姫はニパッと笑い、部屋の中へと入っていく。
扉を閉め切るその瞬間まで、私の顔を見て笑顔で手を振っている。
バタン
扉が閉まったその瞬間、浮かべていた笑みはストンと落ちた。
……大人が総じて抱える黒い思惑を、彼女に気付かれてはいけない。
可哀想、という自分の思考は職場に持ち込むのは御法度。
心を殺して黒い思惑に染まって仕事をしなくては。
真っ白な扉から一歩離れ、息を吐き切る。
私の仕事は、決して気付かれないように彼女を殺すこと。
ただそれだけだ。
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