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「今は『魔法少女』だけど、私たちが幼兒園の頃には『神仙公主碧釵』だったでしょ」
人はあまりにも辛い、怖いことがあると記憶がおかしくなると聞いたことがある。
私も去年の春先に秀雄と公園に遊びに出た帰りに日傭のような装いの男たちにワッと囲まれて肩や腕を掴まれた。
気が付くと、裸足で繁華街の真ん中にいて泣き叫んでいる弟を抱き締めて自分も涙を流していた。
裸足のまま家に戻って鏡を見て髪に刺した花簪も無くなっていたことに気付いた。
だが、あの時あの人拐いたちからどのようにして逃げたかの記憶は抜け落ちたように無い。
進も行方知れずだったこの二ヶ月の間にきっと人拐いたちから散々酷い目に遭わされてこうなったのだ。
いつもきちんと結っていたあの人一倍太い辮髪を切り落とすような無慈悲な連中なら殴る蹴るも平気でしたに違いない。
もしかして、このお下がりの服の下には無数の痣や傷跡が……。
向かい合う色褪せた紺地の長袍の肩を眺める内に胸の奥にゾワッと熱いざわめきが起きた。
私は強いて何でもない風に笑いながら続ける。
「一緒に碧釵ごっこしたじゃない? 私は買ってもらった緑の漢服着て、おもちゃの神映鏡を持って碧釵」
「神仙公主」は神仙の世界から地上に落とされたお姫様の設定なので、変身すると普段の旗袍から昔風の漢服に衣装が変わる。
電池式で音が鳴り灯りの点くおもちゃの鏡はさておき、漢服の方は動くとすぐに帯が緩んで前がはだけてくるのでなかなか難儀な遊びだった。
「俺は木の枝を持って魔境大王だったな」
進に人懐こい笑顔が戻る。
しかし、次の瞬間、その目が妙に遠くなった。
「懐かしいよ」
何故そんな遠い昔のように語るのだろう。
少し離れた画面からは主演の女優の弾けた調子で歌う曲が流れてきた。
この番組はもう終わりのようだ。
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