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「────婚約を白紙に、でしょうか」
「マリエッテ、長い間不安にさせてすまなかった。王女の件は耳にしているだろう?」
呼び出された王宮の一室に入るまでは、私の婚約者であった。
この国の王太子であるリュヒテ殿下は、感情の見えない顔でそう言った。
部屋の中には殿下の側近たちと、国王陛下、王妃殿下がいる。
皆、そろって難しい顔をしていた。
私が入室したばかりの時はここまで難しい表情では無かったのだ。
ある方は幼い頃からの親しみを込めて、でも申し訳なさそうに視線を伏せて。
ある方はもう決断したのだと、静かに私を見据えて。
しかし、揃ってまるでジクジクと血を流す傷を見るような反応ではあった。
どんなに居心地の悪い空間でも臆してはならない。
王太子妃教育で学んだ通りの挨拶を済ませ、椅子へ腰掛けるように促された時だった。
派手に扉が開く音に、下そうとしていた腰が浮いた。
次いで部屋の中に場違いなほど明るい声が響く。
「ここにいたのね、リュヒテ!」
「ミュリア、どうしてここに」
ミュリア、と呼ばれた隣国の王女殿下は王太子殿下しか見えていないかのように、まっすぐ飛びついた。
私はもう何年もそのようなことをした覚えがない。
その懐かしさすら覚える光景を見ながら、もしここに王太子妃教育でお世話になった先生方がいらっしゃったら大変だったわ……と他人事のように心の中で呟いた。
親密そうにリュヒテの腕に絡まるミュリア王女の白く嫋やかな手や、熱を持って見上げる瞳。距離や空気。
実際に目の当たりにしたのはこれが初めてだった。
当然と言わんばかりにミュリア王女の背にはリュヒテ殿下の手がまわされ、親し気に触れた。こんな幼い仕草も、マナー違反さえも許容しているとまざまざと見せつけられた。
それでも、私は微笑んだ。手本通りの淑女のように。他人事のように。
だから、リュヒテ殿下に私との婚約を白紙にしたいと言われても微笑んだままだった。
私は心に麻酔をかけたのだ。1年も前から。
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