大学3年の春

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大学3年の春

大学生はモラトリアム期間とはよく言ったもので、実際私は毎日だらだらと過ごしている。 授業にはきちんと出席して、単位も落とさず取っている。それでも授業と授業の空き時間には、図書館でネットを見たり、早く授業が終わった日にはさっさと家に帰って昼寝をしたりしている。 入学してすぐに入ったサークルは実質飲みサーだったので、三か月後には止めてしまい、実家暮らしというのを言い訳にしてアルバイトもろくにしていない。第三志望の大学になんとか入学できたものの、やる気も積極的な気持ちにもなれず、ただ毎日をだらだらと過ごしていた。 しかしそれも大学二年生まで。 三年生になるとゼミやら、将来の進路やら、と嫌でも卒業後のことを考えないといけなくなってしまった。文系ばかりの私立大学なのでほとんどの学生が就職する。それは私も例外ではない。 幸い小学校の教職育成の学部にいるので、周りの友達と同じ流れに乗っていけば採用試験を受けることになるだろう。これと言ってやりたいこともないし、試験を受けるのは嫌いではないからという理由で教員採用試験を受けることにした。 そこで、今までのほほんと過ごしていた私の大学生活は急変する。ゼミの教授は 「採用試験受けるなら四年の夏は卒論の準備できないと思っておいた方がいいよ。だから今のうちに何をしたいかぼんやり決めてみて」 と言ってくるし、教員採用試験を受けようとする友達からは 「三年生のうちから受験対策はできるから勉強あるんだけど一緒にいかない?」 と誘われている。 正直、採用試験がそんなに大変だなんて思ってもいなかったので、まず何から取り掛かればいいのかすらわからない。 とりあえず友達の紗子に連れていかれた勉強会に顔を出すことにした。大学のOBやOGが直々に勉強を教えてくれるというので行ってみた。現役の小学校の先生たちが教えてくれるなんてすごいなと思ったが、試験内容のざっとした概要とよく出るポイントだけを教えてくれた。 結局は自分で勉強して暗記するしかないと言われて、そりゃそうだと納得してしまった。 それよりも二次試験の模擬授業や面接の方が大変だから、しっかり対策を練るように言われる。その対策をどうやってするのかを教えてほしいと思ったが、社会人の先輩にそこまで求めるのは難しいのだろう。 「一番いいのは一緒に勉強する友達を見つけることですね」 と言われて、がっかりしてしまった。それができれば苦労はしない。  先輩たちが帰った後で、 「明日から毎週末、自主的に勉強会開こうと思ってるんですけど参加したい人はいますか?途中で抜けてもいいので参加したいなっていう人は今のうちにライン交換してください」  名前も知らない同級生が声をかける。私の所属する学科には一学年百人しかいないけど、それでも全員の名前は知らない。きっと自主的とか言いながら、さっきの先輩にそうしろって言われたんだろうなあ、なんてぼんやり考える。 友達の紗子が一緒に登録しようというのでついて行ってラインを交換した。これで私は将来、小学校の先生になりたい学生、になってしまった。  ラインは毎日のように更新される。やれ、参考書を買っておけだの、次の勉強会までこのページまで進めておけだの、決まりごとが多い。参考書が大学の生協に売っていると書かれてあったから行ってみたけれど 「なんか、昨日からすごい売り上げで丁度売り切れちゃったのよねえ」 すっからかんになった参考書コーナーを見て、私はため息をついた。  結局週末までにわざわざ本屋に行って、自分で買ってこないといけないということか。大学が早く終わる日に近くにある大型商業施設の中にある本屋に行った。こういう時、立地のいい我が大学は良いと思う。地下鉄の駅も近いし、行こうと思えば地下鉄ですぐに商業施設が立ち並ぶエリアまで行くことができる。ま、いいところはそこだけだけど。  本屋ではすぐに参考書を見つけることができた。一次試験の筆記の内容は、一般教養と専門、教職教養の三つだ。一冊ずつでもちょっとした辞書くらいの厚さがあるのに三冊になるとずっしりと重い。これを持ち歩いて、覚えないといけないのか……。特にやる気もない私だからただの荷物にしか思えない。  家に帰って言われたところまでの問題を解く。一般教養と言っても高校受験レベルの理科や数学の問題ばかりだ。これなら勉強しなくてもいいかもしれない。今回の範囲は高校受験をした時の記憶を思い出し、難なく解くことができた。 一般教養というだけあって、時事問題も出るようだ。それでも次のオリンピックの場所はどこだ、とか今ニュースでよく見る問題ばかりなので苦労はしなさそうだった。他の参考書も開いてみる。専門も小学校ということもあり、基本的な学習の問題鹿出ていない。初めて見るのは、学習指導要領の内容だ。教職教養も見たことのない法律や教育法規が出ている。先輩たちが言っていた、結局は覚えるしかないというのはこういうことを言うのだろう。参考書には指導要領や法規がそのまま載っていたのでこれを覚えればいいのだろう。  さて、明日の勉強会は一体どんなことをするか。カバンに参考書を丁寧に詰め、眠りについた。  結論から言おう。  正直、頭を抱えた。  まず、準備物についてだ。あれだけ持ってくるものについて書かれていたにも関わらず、参考書を持ってきたのは半数だった。紗子に至っては、 「そんなライン来てた?……あ、ほんとだ!全然見てなかった」 とのんきに笑う始末だ。さすがに勉強会を主催する同級生はやる気があったようで、みんなが参考書を持ってきていないと知るとがっかりした様子だったが、すぐに 「じゃあ、今から印刷してくるから、待ってて」 と言ってコピー機がある生協に駆けて行った。 待っている間に学生たちはスマホを取り出し各々好きにおしゃべりをしている。今日きている学生は三十人ほど。百人いる学科生の中で受験しようとする人はこれだけしかいないのか。もちろん全員が先生になりたいと思って入学してきたわけではないことはわかる。それでも半数はいるのではないかと思っていたのでびっくりしてしまった。 「お待たせ!」 コピーをして来てくれた彼はきっと絶対に先生になりたいという強い意思があるのだろう。 みんなにプリントを配って 「じゃあ、今から十五分くらいとるので問題解いて下さい」 紗子たちは問題にとりかかったが、私はもう終わっているので問題集をぺらぺらとめくって時間をつぶす。参考書には過去問がないので、これとは別に福岡市の過去問を買わないといけないなあ、と考えていると、主催の 彼が通路を通って隣に立っていた。 「えっと……」 「佐々木さんだよね?」 「そうだけど」 彼は私の名前を知っていた。ライングループに入っているので名前を知っているのは良いのだが、顔と名前が一致しているとは思ってもいなかった。 「佐々木さんはちゃんと問題集持ってきてくれたんだね」 私の机にある分厚い参考書を見つめながら言われた。 「あ、うん」 彼の名前は分からない。顔は他の授業で見たことはあるが、話すのはこれが初めてだった。 「佐々木さんは、もうどこの採用試験受けるか決めた?」 「いや、決めてないけど……福岡市かなあ」 実家から通っていることもあり、私はこの大学がある福岡市出身だ。受験するなら福岡市からでるという発想はなかった。 「そっか。僕は福岡県かな。地元が市内じゃないから」 「そうなんだね」 上手い返しが思いつかずに返事をした。彼は、この返事で自分に興味を持たれていないということが分かったのだろう 「受験対策頑張ろうね、分からないことがあったら何でも聞いて」 それでもにっこりと笑って前の方に帰って行 くのはコミュニケーション能力が高い。さすが、教師になろうとしているだけはある。 「さあ、十五分たったので答え合わせをします!」 大きな声で彼が答えを言い始めた。丸付けも家で済ませていたのでやることがない。丸付けが終わると解説が始まった。全ての解説を一手に引き受ける彼はすごいと思う。 「ねえ、あの人って誰だっけ」 紗子にこっそり尋ねる。彼女のプリントは間違いだらけだった。一瞬見ただけだが、ぞっとする。 「前田くん?頭いいよね」 前田くんというのか。一人で前に立って淡々と進めていくのがすでに先生っぽい。きっと彼は教員採用試験に合格して、いい先生になるんだろうな、その姿がすでに見える気がした。  それにしても問題は周りの人間だ。私でさえ準備をしているのに、みんなはやる気はないのだろうか。毎回こうやって解説をするのを聞いているのは時間の無駄ではないか。その間に他の問題を解いた方が有意義な気がする。前田くんには悪いけど、この調子なら勉強会には来なくなるかもな、と思った。 紗子は彼の解説を真剣に聞いている。しかし、勉強会が終わったあと 「ねえ、ここの問題、なんで②が答えなの?」 すでに泣きそうな顔で尋ねられた。さいころを二回振って二回とも六の目が出る確率だ。こんなのはもう考えなくても三十六分の一だ。 「高校の時、数学全然できなくて……今日のも全然分からなかったんだけど……やばいかなあ」  思っていたよりもへこんでいるようなので、 「大丈夫じゃない?小学校で確率はそんなにやらないし、まだ試験まで一年あるんだから勉強していけば間に合うよ」 慰めながらノートにサイコロを書いて説明する。樹形図を書いてあげたらわかったようで 「ありがとうー!」 と泣きつかれた。気が付けば教室に残っているのは私たちと勉強会の主催の人たちだけになっていた。きっと彼らは私たちが出るのを待っていたのだろう。帰ろうかと声をかけて机の上を片付け始めた。誰かが近づいてくる足音がする。早く出てくれないかと催促されてしまうのかと焦って参考書をカバンに詰め込む。 「あのさ」 降ってきた声は前田くんだった。 「ごめん、邪魔だよね。すぐ出るから」  急いでしまって手が滑る。シャーペンが一本、机の上を転げ落ちて、彼の足元にいってしまった。 「大丈夫?」  前田くんが拾ってくれて、渡してくれる。ありがとう、と言って受け取ると、彼はじっと私を見た。 「……なに?」 「ああ、いや……。今日の勉強会どうだったかなって思って……」 なるほど、聞きたかったのはそのことか。 紗子の方を見ると 「すっごく勉強になったよ!」 と満面の笑みで答えてくれた。こういうのは良さを実感した人が答えるべきだ。  私もこくんと頷いておく。  その反応を見て前田くんはほっとしたようだ。  主催の同級生たちに会釈をして教室を後にする。紗子はサークルに行くというので教室を出たところで別れる。一人で階段を降りようとした時、 「佐々木さん」 前田くんの声で足をとめた。  まだなにかあるのかと振り返ると、前田くんはごめん、呼び止めちゃってと呟く。 「でも、佐々木さん今日の勉強会、暇してたみたいだから」  見抜かれていた。 「……ごめん」 「あ、いや、いいんだよ。もうわかってる人もいると思うし、その人にしたら 解説聞く意味ないもんね。もしかしてもう来てくれないんじゃないかと思って、ちょっと心配になってさ」  ずいぶん面倒見のいい人だと思う。 「行くかどうかは分からないけど……」 「佐々木さんって頭いいんだね?どこの高校?」 「高校は……大学の隣」 「ええ、あそこすごく頭いい高校じゃん!」 通っていた高校は今の大学の隣にある公立高校だった。福岡県の公立の中で一番の偏差値を誇る憧れの学校だった。実際、中学生の時から憧れて、その高校に通うために受験勉強を頑張ったのだが、行ってみると自分より頭のいい人がわんさかいて勉強にくじけてしまった高校でもある。 「頭いい学校かもしれないけど、私は別に頭よくなかったから……」  高校名を出すと大体の人が同じような反応をしてくるので、その返事も定型文化してしまっていた。 「あのさ、もしよかったら勉強会の運営に入らない?そしたら勉強会の時暇になることないし、みんなの前で話すの、教員の練習にもなると思うんだよね」 「ううん……ちょっと考えさせて」 「……わかった」 すぐに返事をしないということで、なんとなく察したのだろう、前田くんはすぐに諦めてくれた。  来週までの課題が全体ラインで送られて来た。また紗子が忘れていてはいけないと思って 「来週の課題来たよ」 とラインをする。彼女からの返事は 「ごめん、来週はバイト入れちゃったから行けないの」 だった。  理由があれば勉強会に来なくてもいい。そうなると次第に行く人がいなくなってしまうのではないかと思ったが 「紗子がいないなら、私も行くのやめるわ」 と送った。  私のことは気にしなくていいよと彼女は言ってくれたが、正直この前と同じ様子では行く必要はなさそうだ。それに、また行って誘われても面倒だ。勉強だけなら一人でやった方が早い。そう考えた私は次第に勉強会から足が遠のいていった。
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