真昼の夢

2/5
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
 僕たちは今、なぜか出雲へと向かう緑色の特急列車の中で揺らいでいた。 「美味しい蕎麦が食べたい。だから、出雲に行きたい」  校舎を出た後、あいちゃんが言った。この状況だ。彼女の要望はなるべく応えないといけない。  なぜ蕎麦なのか、それもなぜわざわざ出雲に行きたいのか、あえて聞くことはしなかった。「分かった」と言って、スマートフォンで時刻を調べ、高校の最寄りの駅で特急券を購入した。  とりあえず、出雲市まで行けば何とかなるかと、出雲市駅までの切符を買った。財布の中のお金じゃ足りなくて、僕は急いで、ATMから全財産に近い数万円を引き出し、慎重に財布にしまった。  到着は、今から約四時間。昼過ぎには到着できる予定だ。  こうして、僕たちの蕎麦を食べるためだけの旅が始まった。 「なんか、久しぶりだね。こうやって二人で過ごすの。もしかして小学生ぶりとか」 「かもね」  彼女は僕の家の隣の隣に住んでいて、物心ついた頃からよく二人で遊んでいた。たしか、小学校低学年、僕がスポーツ少年団に入るまでは、あいちゃんが一番の遊び相手だった。それが気づけば、すれ違ったら挨拶する程度の仲になっていった。仲が悪くなっていったのではなく、自然にそうなった。思春期の異性の幼馴染とは、多分、そんなものなんだろう。  高校二年生になって、小学校ぶりに彼女と同じクラスになった。だけど、すれ違う時の挨拶もなくなった。しなくなったのは、僕からだ。    あいちゃんは、お母さんと二人で暮らしていた。彼女のお母さんから、緑色の数珠もらったのは小学生の頃だ。その頃は、単純に喜んでいたけど、後になってそれが彼女のお母さんが信仰している、新興宗教団体のものだと知った。  中学生の頃、あいちゃんが住む平屋の家の前を通った時、あいちゃんのお母さんの大きな怒鳴り声が聞こえるようになった。大人しくて優しい印象だった彼女のお母さんとは思えない声に、心臓が縮こまる思いをしたことは今でも覚えている。  その時くらいから、彼女のお母さんは、いつもキラキラとした綺麗な服を身にまとうようになった。ホステスをしていたらしい。  高校二年生になってすぐのことだった。  あいちゃんのお母さんが、クラスメイトの女子のお父さんと浮気をしているという噂が広まったのだ。本当なのかどうかは分からない。だけど、そのお父さんを持つ女子は、いわゆるクラスの中心人物的存在で、その噂が広まってからは、誰もあいちゃんに話しかけることはなかった。  その頃、近所では、あいちゃんのお母さんから、しつこく宗教勧誘されるという噂も広まった。でもこれは噂ではなく、本当だった。僕の家にも来たのだ。僕の家に来た時、隣にはあいちゃんもいた。熱心にその宗教団体の話をしている横で、あいちゃんはずっと俯いていた。肩が震えていた。  学校では、例の女子のいるグループからの嫌がらせもはじまった。どんどんエスカレートしていって、これはいじめなのではないかと周りも感じていた。だけど、彼女の母親が悪い、だから、彼女が痛い目に合うのは仕方がないといった雰囲気があって、結局、僕を含め誰も彼女のために、行動を起こすことはなかった。  幼なじみの関係である自分こそが、彼女を助けないといけない、そんな気持ちがないわけでもなかった。だけど結局、とった行動は、傍観する、だった。後ろめたさはあった。だから今こうして、彼女と蕎麦を食べに行っている。  これが、彼女にできる僕なりの行動だと信じて。   「ごめんね」 「え、何が?」 「無茶なお願いして」 「ああ、うん。まあ、いきなり出雲に行きたいってのは驚いたけど」  車両内にがたごとという音だけが響いた。夏休みとは言え平日だからだろうか、この車両には僕たちの他に数人の乗客しかいなかった。 「一番見られたくないところを、一番見られたくない人に見られちゃったね」 「……。僕は、あいちゃんが屋上にいて、ちょうどお腹がすいてたから誘っただけ」  自分でも顔が引き攣っているなと思いながら、僕は作り笑顔を彼女に向けた。  微笑みで返してくれる。窓側の席に座る彼女は、外に広がる田園風景に視線を移した。 「かおり君と遊ぶのいつぶりだっけ」 「小学校三年生くらいかな。あんまりはっきりと覚えてないや」 「楽しかったよね、あの頃は。色んなことして遊んだよね。秘密基地作ったりしたのとかすごい良く覚えてる」 「懐かしい。あの小学校裏の山のふもとに作ってたやつね。僕の家から、工具とかいっぱい持ち出してお母さんにすごい怒られたやつ」 「ははっ、そんなことあったっけ」 「あったよ。それも、あいちゃんが持って来いっていったんだよ。秘密基地らしく、屋根を作りたいって言ったから」 「ごめんごめん、全然記憶にないや」 「ひどいな」 「……かおり君に会ったら、またあの頃に戻りたいなって思えてきちゃった」  ちくりと、心臓に痛みを感じた。今の彼女をとりまく環境は最悪といってもいい。しかも、彼女のせいではなく、彼女のお母さんが作り出した環境だ。  誰もいない校舎で、彼女が屋上の端に立ちたくなるのも仕方がないと思う。だからこそ、この旅が、彼女をつらい現実から逃がしてあげられるような、これで彼女を、から思いとどまらせるような、そんなひと時を作ってあげたい。  ずっと外を見ていて飽きないのだろうかと、彼女の横顔を覗いたら、彼女は眠っていた。起こす理由もないので、僕はスマホをひらいて、出雲そばが食べられるお店を探した。 「私、寝ちゃってね」  気づいたら、あいちゃんが起きた。ちょうど蕎麦屋を見つけられたところだった。 「夢、見てた」 「夢?」 「うん、夢って言うか、思い出かな、眠っちゃう前にかおり君と昔のこと話してたから、小学生の私たちが、仲良く遊んでる夢を見た。追いかけっこかな、よく分からない遊びなんだけど、すごい、楽しかった」 「なんの遊びだろ」 「分からない。だけど、とにかく楽しかったのだけは覚えてる。いい夢だった」 「じゃあ、また目を閉じて寝ようとしてみれば? また同じ夢を見られるかもよ」 「ううん、いい。」  そう言った彼女は憂いを浮かべていた。 「……そういえば、良さげな蕎麦屋を見つけたよ」  そこから一時間、僕たちは電車の中で、他愛のない会話を楽しみながら、出雲市駅に到着した。あっという間に時が過ぎるほど、彼女との久びりの会話は、楽しかったのだ。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!