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『初めまして。』
そう挨拶をした私を見て担当者の結城さんは息を飲んだ。
名刺と交互に見比べて何か言いたそうにしている。
大丈夫。
普通に振る舞えている。
私の上司の水越次長が怪訝そうに声を掛けた。
『結城さん、どうかされましたか?』
『…いや。なんでもありません。』
そんな会話の後の打ち合わせは滞りなく進んだ。
当社のシステムを導入してくれたこの会社にしばらくの間は一日おきに通うことになる。
打ち合わせを終え、ビルを出ると水越さんが先ほどの話を持ち出してきた。
『結城課長さん、椎名くんに何か言いたそうだったけど…知ってる人なの?』
『いいえ。初めてお会いしましたよ。』
『そっか…。
なんかされたらすぐに言えよ。
俺が一緒に行けない日もあるし。』
『大丈夫です。
それくらい自分で撃退できますよ。』
歩きながら心配そうな眼差し向けてくれるこの人はたぶん私に好意を寄せてくれている。
お願いだからこのまま言い出さないで欲しい。
他人から向けられる愛情の受け取り方を私は忘れてしまった。
結城さんの会社に通ってから3回目の日、金曜日ということもあり親睦会という名目で飲みに行くことになった。
私と水越さん、結城さんと、結城さんの部の平川さんと4人、みんな歳も近くそれなりに盛り上がった。
大丈夫。
私も大人になった。
うまくやれている。
お店の前で解散し、駅の改札のところで水越さんにお茶に誘われたが断った。
違う路線の水越さんと別れた後、ホームで結城さんに声を掛けられた。
『結城さんも同じ方面でしたか。』
大丈夫。
自然に笑えてる。
『いや、違います。
椎名さんを追いかけてきました。
もう少し話せますか?』
黙る私にさらに言葉を続ける。
『椎名さん、ご結婚されてます?
恋人は?』
『…結婚はしてませんし、特には…。』
『じゃあ、僕と2人になっても問題は無いはずだ。
もう少し仕事の話もあるし。
行きましょう。』
‘仕事’という言葉を持ち出して断らせないように圧をかけてきた。
『わかりました。』と返事をし、一緒にまた改札を出て駅前の居酒屋に入った。
『仕事の話というのは?』
注文したお酒が来る前に聞いた。
個室で向かい合っている空気に息が詰まる。
出来るなら早々に切り上げて帰りたい。
『仕事の話は無いよ。
嘘ついてごめん。』
急に砕けた対応になるのは狡い。
『それならば他に何か?』
探るように私の目を見てゆっくり話す。
『椎名さんは昔の彼女に似ているんだ。
本人じゃないかと思うくらい。
下の名前は同じ。
でも苗字が違う。』
『…そうでしたか。』
『8年前に振られた彼女なんだけど、どうしても忘れられずにいる。』
『そんな話を私にされましても…。』
僅かな変化も見逃さないようにと透かすように私を見ている。
『はは。そうだよね。』
ちょうどお酒が運ばれてきて、話が途切れた。
お互いグラスに口をつける。
結城さんがまた話し出す。
『じゃあ酔った上での話だと気軽に聞いて欲しい。
高校の頃からつき合っていた彼女がいた。
塾で知り合ったんだ。
高校も大学も違ったけれど、仲良くしていた。
だけど大学4年になってすぐに、突然‘さよなら’とメールが来て連絡が取れなくなった。
一方的な別れに訳がわからず、腹が立ってすぐには探したりしなかった。
でもしばらくたってからやはり気になって探したんだ。
けれど見つからなかった。
頼れるような共通の友達もいなかった。
家にも行ってみたけれど、引っ越してしまっていた。』
そこまで話すと結城さんは黙ってお酒を飲み込み俯いた。
私は苛立ちを隠せなくなった。
『彼女さんには凄くショックなことがあったのかもしれませんよ。』
顔を上げて驚いたようにこちらを見る。
『例えば結城さんと同じゼミだという綺麗な女性がバイト先にやって来て、‘彼は私と付き合いたいのに彼女が別れてくれないと言っている’と言われて上半身裸で眠る結城さんの写真を見せられたとか。』
『なんだよそれ…。
誰だよそれ。
そんなの信じたのか。』
『信じたくて結城さんの学校まで行ったら、腕を組んで歩く2人を見かけたのかもしれません。』
『…あ!松岡か!
あの頃付き纏われていたんだ…。
同じゼミだけに邪険に出来なかったんだ!』
『…信じさせて欲しかったのに、彼女が大事ならちゃんと他の女性は突き放して欲しかったのに…。
親の離婚を機に名前を変えて結城さんとのことも他の何もかもリセットしたかったのかもしれません。』
『信じて!
松岡とは本当に何もなかった。
その写真はたぶん僕の友達から手に入れたのかもしれない。』
慌てたように私の手を握ろうとするのを振り払った。
『やめて!触らないで。
私はあなたの元カノじゃない。』
『理恵も首にふたつホクロがあったんだ。
その首に何度もキスをした。
見間違えるわけがない。
それに君が理恵じゃないなら…なぜ泣いているの?』
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