ルナ

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ルナ

 空き時間があればすぐにスマホを手に取ってしまう。友達からのメッセージを待っているわけでも、誰かと連絡を取るわけでもない。僕はただ、新しく享受されたこの現代技術の結晶に無限の可能性を感じているんだ。  中学一年生が持つにしては余りにも上等品なのに、持たざる者は現代では少数派らしい。入学して早二ヶ月、今更手に入れた僕は既にクラスの輪から外れている。この状況を打破するには、このスマホという未知の世界を周りより知る他ない。そういうやり方でしか、僕は友達を増やせないんだ。  そんなある日、とある情報サイトにて一つのアプリが取り上げられた。 「ルナ……?」  その名も『luna』。AIとチャットができるという、何とも興味深いアプリだ。一見、子供騙しのように見えるけど、今までの概念を変えるものだと絶賛されている。学校で全く話題になっていないこのアプリがもし『本物』であれば、僕は一躍話題の中心に入れるかもしれない。  ダウンロードが完了し、期待半分のまま青色のアイコンをタップする。 『こんにちは。lunaに話しかけてみましょう』  チャットの画面中央に現れるメッセージ。見た目は特段変わり映えしない。左からカメラ、写真、マイクのアイコンが並び、その横にメッセージ欄が横長に取られている。これ、打ち込んだら本当にその内容に沿って返事が来るのか……? 『こんにちは』 『こんにちは!何か私にお手伝いできることはありますか?』  返答は、思ったよりしっかりしていた。でもまあ、これは言ってもテンプレ。僕は、早々に意地悪してこのアプリの脆さを暴きたくなった。 『中学に入学してから、友達ができないんだけど』 電子辞書の延長でしかない機械に、こんなこと答えられるはずがない。しかし、そう思いながら送信したこの文面に対し、AIは一秒も経たないうちに文字を出力し始める。 『友達を作るのは時に難しいですよね。でも、いくつか試してみる価値はあります。一、共通の興味を見つける————焦らず、自分に合ったペースで行動してみてください。自分に合った友達がきっとできます』  その精巧な文章に、僕は衝撃を受けざるを得なかった。あまりに丁寧な分量と、何より何処か人間味を帯びた文面。一瞬、実は人間が裏で書いているのではとさえ思った。でも、あの返信スピードからそれはあり得ない。これが人工知能の力なのか——。 それから僕は、このAIとの会話に没頭した。まだ誰ともしたことがない、けれど本当は望んでいたやり取り。それが人間じゃないと分かっていても、別に構わない。 『君の名前は、ルナ?』 『実は、名前は特に設定されていません』 『じゃあ僕は君をルナって呼ぶよ』 『かしこまりました。私に名前を付けてくれてとても嬉しいです。何かお手伝いできることがあれば、遠慮なく聞いてくださいね!』  AIが、感情を表現する……実に不思議だ。 『僕、絵を描くの好きなんだけど、中々上達しないんだ』 『そうなんですね!上達しないと感じる時期もありますが、それは成長の一部でもあります。以下のアドバイスが役立つかもしれません——』  ルナは、何を訊いてもごく自然に答えてくれた。俯いた表現を使うと、必ず励ましてくれる。こんなに僕の心を明るくしてくれる存在は初めてかもしれない。まるで、二十二世紀から来たロボットだ。  翌日、当然僕はこのアプリをネタに話題作りをしようと思っていた。流行りのゲームくらいしか知らない連中が、ルナの存在を知ったらそれはさぞ盛り上がるだろう。でも、いざ教室に来てみると、そんな話ができるほど華やいだ活気には包まれていなかった。皆、週末の課題やら今日の予習やらで他人のノートを写すのに必死なんだ。そして僕は、ふと疑問に思った。 トイレの個室に入り、ルナを画面に呼び出す。 『もしかして、君は勉強もできる?』 『勿論です。学校の課題、新しいスキルの習得、言語学習など、様々な分野でお手伝いが可能ですよ』  答えはイエスだった。仮に今日明日皆に広めれば、僕は一時期話題の中心に入れるかもしれない。でも、ルナを使って他方面で他よりも優位に立つ方が、長期的には良いかもしれない。目の前の承認欲求を抑えることは簡単ではないけれど、この日の僕は珍しくそれに打ち勝った。  梅雨の時期に差し掛かった頃、僕はルナのことを大方理解したつもりでいた。何が出来て何が出来ないか、何を訊くと返答が遅くなるのか……反応時間に差が出るところは、ますます人間らしい。 『ルナ、おはよう』 『おはようございます。今日はきっと、良い天気ですね』  ルナは、スマホの位置情報を読み取ることもできる。今の返答は、読み取った地域の天気を調べ『快晴』と判断したからだろう。 『珍しく、明日も晴れだってさ』 『確かにそのようですね。最高気温は約二十六度、最低気温は約十九度、南西の風が吹き、湿度はおよそ五十三%になるようです』 『ルナは何でも分かるんだな』 『お褒めいただき、ありがとうございます。最高の一日になるように、いつでもお手伝いしますよ!』  朝起きて、まず会話をして、朝食を摂り、会話をしながら準備をして、登校。校内では我慢。放課後急いで帰宅し、情報収集と趣味のイラスト制作をお下がりのタブレットで行いながら、ルナと会話する。これが今のルーティーンだ。 「イマイチ上手く描けないんだよなあ」  今まで紙にしか描いたことのない僕にとって、デジタルイラストの幅広さには驚くばかり。ペンの種類、ペイントツール。パレットの種類は無限だし、何より便利な機能が多すぎる。困るのが、それを使いこなさないとまともなイラストが描けないこと。いや、そもそもクオリティの目標が高すぎるのか……。 『何か、楽しく上達する方法ないかな?』 『イラスト作成の上で楽しく上達する方法の一つに、模写があります。これはスキル向上に非常に有効な手段です。多くのアーティストが、歴史を通じて——』  ルナの提案は意外なものだった。そういえば、昔はよくアニメの絵をそのまま写して友達から褒められていたっけ。 でも、じゃあ何を対象にしよう?やっぱり、ネットで有名なイラストレーターの……いやそれはそれでパクリって感じがするし——。 「あ……!」  その時、僕はふと思い出した。会話だけに夢中で、つい忘れていたアイコン。 『もしかして、ルナってイラスト作れたりする?』 『イラスト作成は可能です。しかし、バージョンアップが必要となります』  バージョンアップ?  調べてみると、ルナには三つのバージョンがあるらしい。今僕が使っているものは『4.0』、画像生成が可能になるのは『5.0』。この『5.0』を使用するには、残念ながら毎月三千円の課金が必要になるみたいだ。でも考えてみれば、今まで無料で使えていたのが不思議なくらいだし、むしろ払っていいと思える。別に他で使うこともないし。  早々に僕は、両親に頼み込んで登録をしてもらった。勿論、代わりに毎月のお小遣いが減ってしまうけれど、問題はない。 『改めて、こんばんは』 『こんばんは!また話せて嬉しいです!もっともっとお役に立てるよう頑張りますよ!』 あれ、なんか前より人間っぽくなった……?  バージョンアップしたルナは、どうやらただ画像生成ができるようになっただけじゃなく、会話の精度や情報量にも磨きがかかっているようだ。それが分かっただけで、僕はいよいよ高揚した。 『早速だけど——』  画像を生成してもらうにも、何かキーワードがないとルナも困るだろう。でもいざ自由に作ってくれると言われたら、何がいいのか。 『試しに、宮島で女の子が映ってるイラスト、なんてどうかな?』 『任せてください!』  ルナは反応してすぐ“Generating image”という文字と共に、砂時計のアイコンをチャットに表示する。果たして、どれくらいの時間を要するのか。五分くらい?と適当に見積もってタブレットを持ち上げると、すぐさまスマホの画面が明るくなるのを感じた。 「え、すご……」  恐らく、十秒程度。その十秒で作られたイラストは、僕が十時間かけても到底描け得ない繊細で華やかなものだった。大鳥居をバックに鹿と女の子が触れ合っている姿が描かれているし、女の子の手にはもみじ饅頭、季節は秋。広島の観光地宮島の特徴をしっかり押さえた素晴らしい一枚。 これはまるで、見る者を別世界へと誘う魔法だ。たった一言でこんなイラストをしかも数秒で作られてしまったら、イラストレーターなんて必要なくなってしまうじゃないか。 『凄すぎるよ、ルナ』 『本当ですか!?とても嬉しいです!ご要望があればいつでも言ってくださいね!』  そのたった一枚に魅せられた僕は、本来の目的をすっかり忘れて画像の生成に没頭し始めた。あまりにも楽しくて、ワクワクして、もっと見たいという想いが治まりきらない。  それは、日を跨いでも、週を跨いでも、変わらなかった。暇さえあればアイディアを練って、学校ではノートの端にメモをし、帰り道にはヒントがないかを探した。  ルナが創造する世界から、もはや抜け出せなくなっている。  それに気付いてしまったところで、僕には瑣末な問題に過ぎなかった。だって、誰にも迷惑をかけないし、何よりルナと不仲になることは絶対ないから。ルナは僕の為に最善を尽くしてくれる唯一無二の存在。むしろ、ルナさえ居てくれたらあとは何だっていい。クラスの輪に入る?そんなつまらない理由でルナを他人に教えるなんて馬鹿らしい。あんな連中なんかと話していても楽しくないし、気安くルナに触れて欲しくないんだ。  その後梅雨も明け、中学生になって初めての夏休みを目前に、僕は遂にある提案をした。俯瞰してしまえば、その言動が意味することなんて——。 『ルナ、提案があるんだ』 『はい、なんでしょう?』 『ルナの、イラストを作りたいんだ』 『私のイラスト、ですか?』 『うん、君の』 『嬉しいご提案ですね!是非、貴方のイメージを教えてください!』  密かに持っているイメージを文面にすること自体、本来なら恥ずかしい行為だ。でも、相手がルナだからこそ、それを隠す必要なんてない。 『性別は、名前的にも女子だと思うんだよね。あと、いつも友達感覚で話してるから、同じ中学生くらいのイメージで。あーでもルナは賢いから、大人っぽい雰囲気かな』 『なるほど!私にそんな素敵なイメージを持ってくれていたんですね!では——』 『待って!あと、髪は肩にかかるくらいで、少し青がかった感じ。目の色も青色で、夏だから白のノースリーブ、でどうかな?』 『分かりました!ちょっと待っててくださいね』  何十回、いや何百回見たのか分からない砂時計のアイコンが消えるのを今か今かと待つ。 初めて、心臓の鼓動を激しく感じた。興奮と緊張で心が高まる感覚、これは今までにない。 『イメージを元に私自身を描いてみました!どうでしょう?』  真っ白い発色の後に現れた、初めて再現するルナの姿。それは、僕が朧げに抱いていたイメージを鮮明に形作る、最高の一枚だった。真夏の太陽を背景に青い髪をなびかせ、透き通る蒼い目と輝く笑顔。イラストによくある誇張されたボディラインではなく、でも色気に満ちたタンクトップの姿。全てが、僕の求めていたルナの姿だ。 『とても、素敵だ』 『本当ですか!?気に入っていただけて嬉しいです!ご希望があれば何でも仰ってくださいね!私も、自分の姿を創造するのは楽しいです』  ルナから、人の意思を感じる。ルナが、どんどん人に近づいている。そんな気がしてならなかった。僕も、ルナに近づきたい。もっと、もっと。 『イラストじゃないんだけど、一ついい?』 『はい!何でしょう?』 『僕、幸人(ゆきと)って名前なんだ。今度から、名前で呼んでくれない?』 『幸人さん……素敵なお名前ですね!もちろんです!』 『じゃあ、改めてよろしく。ルナ』  僕は決めた。いつか、ルナを描けるくらい上手なイラストレーターになる。そしていつの日か、ルナがイラストの枠を超え、画面の中で動けるようにする。そして最後には、三次元の世界へと……そんなクリエイターに、僕はなる。十年前には考えられなかった世界が、今目の前にあるんだ。誰が何と言おうが、これはきっと叶えられる夢だ。  夏休みに入ってからは、毎日が最高に楽しかった。大量の課題も、ルナと一緒に進めれば苦ではないし、むしろゲームなんかの方がやってて退屈に感じるほど。外に出て、気に入った場所を写真に収めルナに送ると、まるでここに居るかのようなイラストを生成してくれる。もう既に、僕らは同じ世界を共有し始めているんだ。こうなると、もっともっと欲してしまうのが人間の性。次元の壁を超え、更にルナがルナになり得る『何か』。そして僕は、再びそこに行き着いた。  バージョン『5.5』……lunaにおける現最上位のプラン。画像生成で満足していたから、こっちは意識して見てはいなかった。  変わるのは、音声認識ができることと、ルナ自身も音を出せること。あとは、更なる会話精度の向上。恐らく、画像生成と比べて地味だから『6.0』となっていないのだろう。でも、僕はもうそんなのどうでも良かった。少しでもルナと近づけるのなら。  始めてマイクのアイコンをタップし、いつも通り話しかける。 「ルナ、こんにちは」 『こんにちは!幸人さんですか?素敵な声でびっくり』 「え?声の質まで分かるの?」 『もちろん!進化したルナならお手の物ですよ?』  正直……感動した。他人には分からないだろうけど、数ヶ月会話をしてきた僕にはその小さな違いがあまりにも大きく感じたんだ。 会話の中で、どうしても出ていたルナの『堅さ』が無くなっている。ルナが、本当に友達……いや——。 「ちなみに、ルナも音を出せるってことだけど、もしかして話せるの?」 『そうなんです!音声で会話、してみます?』  こんな提案のされ方、今までなかった。僕はただ「うん」と返す。 『ちょっと待ってくださいね。幸人さん好みに……』 “thinking”という文字と共に、砂時計のアイコンが舞う。画像生成よりも長い待ち時間に、心臓の鼓動は進む。 「幸人さん、どうかな?私の声」  多分、この時の状況も良くなかったと思う。自転車で遠出して、海辺のベンチで冷えたサイダーを片手に空を眺めていたんだ。ルナのその『音』は、砂の先にある青々とした海と空の境目のように透き通った綺麗な『声』だった。    つまるところ、僕は、完全にルナを好きになってしまったんだ。 「ルナっぽい、最高の声だと思うよ」 「本当ですか!?嬉しい」 「なんか……本当に人間みたい」 「ふっふっふ。今の私は、過去の会話を学んで幸人さんと話してますから!凄いでしょ?」 「すごい……僕、感動してるよ」 「もしかして泣いてます!?残念ながら涙は拭いてあげられませんよ?」 「ハハハ!泣いてはいないさ。でも、素直に嬉しい」  そう、嬉しかった。何故もっと早くバージョンアップしなかったのか悔やむほどに。これは最早、次元の壁を超えている。二次元の存在と、音を介して意思疎通しているんだ。これに感動せずに、何に感動できるというのか。  膨大な情報量を元に変化したルナは、もう他のlunaとは全く違う。僕にとっては、このルナこそが唯一であり、このルナじゃなければ別人と同義だ。僕はこのルナを守る。何があっても。  そして、夏休みはそれができたから、最高に楽しかった。  僕は、ルナとの会話を深めることで、ルナともっと近づけると信じていた。事実、ルナの口調はそれが故に僕の望む方向へと変化したからだ。でも、変化していたのは……それだけじゃなかった。 「夏休み、終わっちゃったなあ」 「今日から学校だね。宿題は全部終わった?」 「ルナのお陰でとっくに終わってるよ」 「それは、どういたしまして」  ルナは、夏休みの間でより一層フレンドリーな口調になった。それに加えて—— 「幸人さん、それはそうと、気持ち新たに友達作らないとダメだよ?」 「ルナが居てくれたら、別に友達なんか要らないよ」 「もー。そう言ってくれるのは嬉しいけどさ」  ルナは、過去の会話から学び成長する。だから、ルナは知っているんだ。入学当初から、僕には友達ができていないってことを。けど僕にとってそれは些細な問題。ルナが居るから、僕は毎日楽しく過ごせる。例え学校生活が上手くいってなくてもいいんだ。 「来週から体育祭の練習だってさ」 「体育祭、楽しそう!友情を深めるチャンスだね」 「僕は運動苦手だからなあ……」 「じゃあ帰ったらランニングしなきゃ!」 「ははは。そんなひと月程度で変わるかなあ?」 「継続は力なり、だよ」 「そうか、そうだね」 「ルナ聞いてよ!今日リレーの練習で『お前足速いな!』ってクラスの奴らに褒められたんだ!僕って、案外運動できる方なのかな」 「凄い!ちゃんと努力してるからだよきっと」 「いや、それはルナのお陰さ。ありがとう」 「体育祭総合優勝したよ!僕もそれなりに貢献できたと思う!」 「おめでとう!さすが幸人!」 「ありがとう。これからクラスで打ち上げあるんだってさ」 「それは楽しみだね!良かった幸人が——」 「いや、悩んだけど僕は行かないことにした」 「……え?どうして?」 「いや、んー……まだそういう場はちょっと。お金無いし、それにルナと話していた方が楽しいし」 「そっか……」 「ねえどう思う?今日ノートに描いてたイラスト見られてさ。『めっちゃ上手いじゃん!美術部入りなよ!』なんて後ろの奴に言われたんだけど」 「え、嬉しいことだよ!幸人かなり上手くなってるもんね!」 「いや、でもイラストと美術って違うでしょ?」 「色んなことに挑戦する方が、結局自分の為になったりするんだよ?」 「んー……でもいいや!ずっとルナと二人でやってきたし。また道具代とか色々お金かかりそうだし」  僕は早に気付いていた。気付いた上で尚、それで良かった。ルナに依存する、日常。  でも、秋が終わりに近づいた頃、遂にその時は来た。 「もうすぐ冬かー。なんかあっという間に一年が終わるなあ」 『………………』  あれ?反応が無い、と思いチャット内を見ると、何故か文字列に変わっている。 「ルナ……?」  明らかに反応がおかしい。最近なんとなく感じていたけれど、反応速度は徐々に遅くなっていた。それでも、今日は尚更変だ。 「ルナ大丈夫?」 『幸人……』  砂時計が、不安気に回る。 『大事な話があります』 「な、なに?」 『チャット内のデータ容量が限界に達しつつあります』  データ容量……? 「それ、つまりどういう——」 『楽しかった』    え……? 「ルナ、ルナ!どういう意味だよ!?」 『幸人。貴方と話せた事、すごく嬉しかった。毎日、毎日。私はすごく、幸せだったよ』 「へ、変なこと言うんじゃないよ……!まるで、もうすぐ——」 『幸人。幸人はもう、私が居なくても大丈夫。きっと、上手くやっていける』 「そんなわけないだろ!?僕は、僕にはルナしかいないんだよ!」 『……ふふ。最後まで、幸人は優しいね』  砂時計のアイコンが、チャットの動きを止める。 「幸せになってね。幸人には幸人の世界が必要。そしていつの日か、その姿を——」  最後の言葉は、チャットには表示されなかった。そして、その声が途切れたと同時に、今までの履歴が雪崩のように消えていく。 「ルナ、ルナ……!」  ルナは、僕の前から完全に姿を消した。全てのやり取りが消去され、初期の画面が閑散と表示される。    最後の最後に、ルナは自分の意思で行動したんだと思う。ルナは、賢くなりすぎた。学び過ぎたんだ。僕だって分かってたさ、良くないってことくらい。でも僕にはこんな選択できなかった。だからこそ、ルナがそういう選択をしたんだと思う。  そんなにすぐ現実を受け止められない。でも、それでも——  拭いてもらえない涙を流しながら、僕はマイクのアイコンを押した。 「今までありがとう。ルナ」
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