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「絶対に秘密よ」
そう言って、おばあちゃんは、人差し指を唇の前に立てた。
いたずらっ子のように、目をキラキラさせて、笑った。
病院の白いベッドの上で、祖母 百合は、孫娘の花純を手招いた。
花純は、誘われるように、おばあちゃんの口元に、耳を寄せた。
「月の無い夜にね、御狐様の所に行って、祠の中から、千代紙で作ったお雛様を取り出しておくれ」
おばあちゃんは、真剣な顔で、そう言った。
花純は、秘密を打ち明ける、キラキラしたおばあちゃんに、思わず見とれた。
「取り出して、どうすればいいの? 」
「私に、返して欲しいのよ、頼めるかい? 」
おばあちゃんは、胸の真ん中に、重ねた両手を当てて、大切なものをそこに戻すような仕草をした。
深いしわが、何本も刻まれている、おばあちゃんの顔は、ふわりとやさしく、恋をしている友人の顔と重なった。
その顔を見た途端、花純は、ソレがしなくてはいけない事のように感じた。
「……うん、いいよ」
思わず、そう答えていた。
「ありがとう、花純はイイコだね」
安心したように笑った、おばあちゃんは、花純の頭をそっと撫でた。
おばあちゃんは、花純のお母さんの、お母さん。
お母さんの実家は、北国の大きな農家で、家の敷地の中に、小さなお稲荷さんの祠がある、そのお稲荷さんを家のモノは皆『御狐様』と呼んでいる。
桃の老木の下に、小さな祠と、大きな岩、赤い鳥居がある。
この祠は、おばちゃんが赤ちゃんの時に、おばあちゃんが『元気に大きくなるように』と建てられた。
小さな祠の前には、しめ縄がかけられ、毎朝、水と白米が供えられる。
お彼岸や、お盆、正月には、油揚げや、稲荷寿司を備えるときも有る。
毎日のように、おばあちゃんが世話をしてきた『御狐様』だ、祠から人形を取り出すなんて、何時だって、出来ただろうに…… どうしてしなかったのだろう。
花純は普段、この町に暮らしているわけでは無い。
伯父さんからの電話で、おばあちゃんの容態が良くないと聞いて、お母さんと二人で、新幹線に飛び乗った。
『危篤だ』と聞かされてきた割には、おばあちゃんは元気そうだったが、お母さんは、長い間、おばあちゃんの手を握って話をしていた。
夕方、お母さんと二人、バスに乗って、伯父さんの家に着いた。
花純は、伯父さんと、伯母さん、いとこたちに、挨拶をすると、いつも使わせてもらっている、離れの部屋に荷物を置いた。
玄関横の、仏間に入り、線香をあげて、手を合わせた。
今、一番新しい仏様は、三年前に亡くなった、おじいちゃんだ。
豪快な人で、大きな声で話をして、良く笑っていた。
大きな麦わら帽子に、日焼けした顔で、笑うときの白い歯が、印象的だった。
食事の間も、大人達は、おばあちゃんの事について、色々と話をしていた。
憂鬱な話題が続き、花純は、深いため息を付いて、部屋から見える、外の景色を眺めた。
やっと出てきた月が、山の稜線にかかる所に、細く光っていた。
花純は、気に成って、スマホで新月が何時か調べてみた。
次の新月は二日後だった。
その夜は、お母さんと二人、枕を並べた。
なんだか、とっても、照れ臭かった。
「ねぇ、花純」
お母さんが、そっと花純に呼びかけた。
「なぁに? 」
真っ暗な天井に、花純の息が、ぽっかりと白く上がった。
「おばあちゃんと、何の話をしていたの? 」
『御狐様』の事は、『絶対に秘密』だと言われたので、何とか、他の……
「なんでもないよ、好きな男の子は居るの? と聞かれただけ」
花純は、苦肉の策で、そんなウソをついた。
「そう、おばあちゃん、『花純の花嫁姿が見たい』っていつも言っていたものね……」
お母さんが、呟くようにそう言った。
「私、まだ高校生だし」
「そうね、結婚なんてまだまだ先ね、でも、好きな人は居てもいいじゃない?」
「そんなこと言われても…… 」
花純のその言葉に、母がくすくすと笑う。
「私も、おばあちゃんに、何度も、『彼氏は居ないの』って聞かれたわ…… 父さんを連れてきた時は、とってもびっくりしていた。
あんなに、急かせたくせにね……
あぁ、こんな気持ちだったのね」
そう言ったきり、お母さんはもう何も言わなくなった。
花純は、お母さんが泣いている気がして、そちらを振り向くことができなかった。
鼻の奥が、ツンと痛くて、無理矢理に目を瞑って、眠ってしまったフリをした。
次の日の朝は、ありえないほど早い時間に、家の電話が鳴った。
家の中が騒がしくなり、伯父さんとお母さんが、慌てて病院に向った。
花純は、二人分の布団を畳んだ。
伯母さんと、いとこたちと一緒に朝ごはんを食べて、それから、家の掃除を始めた。
昼前に、黒いワゴン車に乗せられたおばあちゃんが帰ってきた。
業者の人が、何員も出入りして、仏間に、新しい布団が敷かれ、そこにおばあちゃんが寝かされた。
「寒い時期なので、大丈夫だと思いますが…… 」
と言いながら、業者の人が、ドライアイスを、おばあちゃんの布団の中に何個も入れた。
お母さんは、泣き崩れていて、自分で歩くのが難しいようだった、伯父さんに抱えられるようにして帰ってきた。
伯父さんは、お母さんをゆっくりと座らせると、自分は、業者の人と、相談を始めた。
「お母さん」
花純が小さく呼びかけりと、お母さんは少し顔をあげた。
花純は、お母さんに寄り添い、その手を握った。
「ごめん、覚悟していたはずなんだけど…… 全然ダメだわ」
そう言う、お母さんの目には、涙があふれて、ポロポロと落ちた。
花純は、ティッシュを箱ごと、お母さんに抱えさせた。
「こんにちは、隣組です」
その元気な声は、勝手口から聞こえた。
その後も、次々に近所の人たちが集まってきた。
近所の女性たちが、白い三角巾と、割烹着を着て、集まって来ると、おばあちゃんに手を合わせ、ゾクゾクと台所に集まった。
あっという間にお台所が、近所のおばさんで、いっぱいになった。
ダイニングテーブルが、庭先に運び出され、代わりにゴザが敷かれた。
呆然とする花純に、いとこの洋平が教えてくれた。
近所の家で不幸があると、村中の女性が集まってきて、家の者に代わって、食事の支度や、葬儀の準備をしてくれるらしい。
葬式が終わるまでの間、家の者は、家事を一切しなくていい代わりに、台所に近づいてもいけないらしい。
近所の家々から、持ち寄られた食材で、葬式に集まって来る、親戚中の食事を賄ってくれる。
葬式の日には、赤くない赤飯が振舞われ『十分に生きた』労をねぎらい、賑やかに見送られる。
おばあちゃんの通夜は、明日。
告別式は明後日に決まった。
昼過ぎに、父と、兄が到着した。
二人とも、台所の様子に驚いていた。
台所の『隣組さん』は、夕食の準備を終わらすと、皆家に帰っていく。
お母さんと、伯父さんは、二人兄妹。
おじさんの家は、奥さん、洋平、翔平
、哲平の男の子三人兄弟。
花純の家は、花純と兄 雅也の二人兄妹だ。
田舎の家の、親戚は多い。
伯父さんが沢山電話をして、皆に知らせていた、新聞にも、お通夜や、告別式の日時を載せた。
そんな風に、あわただしく一日は終わった。
因みに、この、仏様が家に居る間は、家のお風呂を使ってはいけないらしく、花純たちは、順番に、近くの銭湯に行かなくてはいけなかった。
夜は、線香番という役目があり、新しい仏様の傍らで、眠らずに、線香の火を絶やさないように、焚き続ける。
この夜は、雅也と、いとこの翔平がやってくれることになった。
雅也と、翔平は、同い年で、馬が合うらしく、ここに来るたびに、二人で、駆け回って遊んでいた、仲良しだ。
花純は、銭湯に行った帰り道、チラリと、御狐様を確認した。
月の無い、暗い夜なら、懐中電灯が必要だろう。
御狐様はいつもと変わらない様子だったが、おばあちゃんがいつも備えていた器が、伏せられていた。
次の日の夕方から、お通夜が行われた。
『隣組さん』たちも、喪服に着替えて参列してくれた。
お坊さんがやってきて、お経をあげた。
司会は、業者の人が進めてくれた。
順番に焼香をして、焼香が終わった人から帰っていった。
その日も、『隣組さん』が用意された食事を食べて、近くの銭湯に出かけた。
今日は、線香番を、花純と、洋平、哲平の三人ですることになった。
哲平が、コーヒーを入れてくれた、『隣組さん』が用意してくれた、おやつを持ち込んで、線香の煙が途絶えないように、絶えず焚く。
洋平は、おばあちゃんの顔に掛けていた白い布を、そっと取った。
「なんか、ばあちゃん、わらっているみたいだよね」
「本当だな」
哲平も後ろからのぞき込みながら、そう言った。
「花純ちゃんに会えたからかも」
「え? 」
「ねぇ、花純ちゃん、ばあちゃんに何か頼まれた?」
「え? どうして? 」
『絶対に秘密』と言われていたのに、何か、バレるような事を、不用意に言ってしまっただろうか。
「ばあちゃんに『花純ちゃんに、無理なお願いをするから、必要なモノがあったら、なんでも手伝ってあげて欲しい』といわれているんだ」
洋平が、やれやれと言った様子で、そう言った。
「そう、『理由は聞くな』とも言われた、ばあちゃん、どんなおもいつきをしたんだろうな」
哲平の言い方に、洋平も、声を上げて笑った。
二人の声を聞きながら、花純はそわそわとした。
「どうしたの? 」
洋平にそう聞かれて、花純は飛び上がった。
「ごめん…… あの、ちょっとトイレ…… 」
「ん? 」
「そんなの、気にしないで行っておいでよ」
哲平は朗らかに答える。
「うん、ごめん」
花純が立ち上がると、洋平も立ちあがった。
「なに? 洋平ついて行くの? 」
「ついて行かないけど、必要なモノあるんじゃないかと思って」
「は? 」
洋平の言葉に、哲平は、右の眉だけを起用に揚げて、怪訝な顔をした。
「花純ちゃん、無い? 欲しいもの」
洋平は、今度はしっかりと花純を見つめて言った。
「あっ、あの、じゃぁ、懐中電灯が欲しい」
花純は、素直にそう言うと、哲平は又驚いた。
「え? トイレ行くのに? 」
「……だよね」
花純は困って、小さな声で、そう言った。
「懐中電灯ね」
洋平はそう言うと、玄関の、下駄箱の中にある、おおきな懐中電灯を取り出してくれた。
「外に行くの? 」
洋平にそう聞かれて、花純は困る。
「外だけど、ちょっと、そこまで、家の敷地から出ないぐらい近く」
「わかった」
洋平は、自分の来ていたフリースを脱いで、花純に持たせ、玄関で花純を見送てくれた。
花純は、玄関の扉を閉めてから、借りたフリースを着た。
外はとても寒かった。
懐中電灯をつけて、用心深く足元を照らした。
桃の木の下にある、『御狐様』を目指す。
暗い夜中に見る赤い鳥居は、なんとも怖かった。
花純は、鳥居の前で、一度お辞儀をした。
祠の前に置かれた、湯呑と飯器を丁寧に避けてから、手を合わせる、それから祠の扉をゆっくりと開いた。
「なにようじゃ」
突然掛けられた声に驚いて、花純は手をひっこめ小さく叫び声をあげた。
声のした方に振り向くと、そこには、白銀の髪に、頭に生えた三角の大きな耳、九本もある豊な尾、狩衣をきた、釣り目の男性が、光を放ちながらそこに立っていた。
その姿は、何時か、お祖母ちゃんに貰った絵本で見た、九尾の狐に、そっくりだった。
「え? あ? や! 誰? 」
「誰とは、不躾な、勝手に入ってきたのは、そなたの方じゃ」
男の言葉に、両手をギュッと握り合わせた。
確かに、祠を開けるなんて罰当たりな気がした。
「そなた…… 懐かしいにおいがするのぉ、名は何という? 」
男は、鼻をすんすんさせながら言った。
「私…… 花純です」
何故か、名乗らなければいけない気がした。
「そうか、そなたも、花の名だな。
そなたは、百合の血を引くものか? 」
百合は、おばあちゃんの名前だ。
「おばあちゃんを知っているの? 」
花純は、あまりに驚いたので、男に一歩詰め寄った。
「そなたは、百合の孫か……、また、ずいぶんと時が逝ったようだな」
男は、そっと鼻の下に手をやると、真っ暗な夜空を見た。
「貴方は、誰? 」
花純は、もう一度、男に聞いた。
「そうじゃな、真の名前は明かせぬが、そちらは『御狐様』と呼んでおる、それで呼べ」
『御狐様』は、この小さな、お稲荷さんの事だ。
「お化け? 」
「品が無いのう、妖じゃ」
御狐様はやれやれと、肩を竦めた。
「して、なに用じゃ? 」
御狐様は、首をかしげて聞いた。
「おばあちゃんに、頼まれたの、ここに、自分の一部があるから、取ってきて欲しいって…… 月の無い夜じゃないと駄目だから、新月を待っていたの、そしたら…… 」
その先は、続けられなかった、涙がこみあげてきて、鼻もつまってしまって、かみしめた唇を開いてしまったら、声を上げて泣いてしまいそうだ。
「百合に、何かあったのか」
御狐様は、変わらない様子で、淡々と話した。
「……無くなったの、死んだのよ、おばあちゃん。
どうして、わからないの? 妖でしょ! 冷たくなって、もう二度と、話しのできない、遠い所へ行ってしまったのよ」
堪えていた涙があふれて、息を吸うのも苦しくて、肩を震わせて、はぁはぁと口で息をした。
「百合は、我の為に、ソレに、自分の一部を置いて行ったのだ。
百合の一部は、それからずっと我にあり、それだけで、我らは完成されており、百合自身と切り離されていたからのぉ」
今、御狐様の言った事を、じっと考える。
まるで意味は分からないが、おばあちゃんの言っていた一部は、確かに、御狐様に預けられていたということだろう。
「どうして、一部を置いて行ったの? 」
「我と、百合では、生きる時間がちがいすぎるでの。
ある日、百合がこう言うた「ここに、私の一部を置いておく、だから、二度とここには来ない、明日、私は、祝言をあげる。
親の決めた、顔も知らぬ男だが、家の為に、生きねばならぬ」
それから今まで、花純がここに来るまで、誰も、ココには、来ぬままじゃった」
御狐様は、寂しそうに、遠くを思い出して、鳥居の向こうを見た。
「そんなはずないわ、毎日、毎日、おばあちゃんは、この祠に、小曽納していたもの! 」
「そうか……、そうであったか、こちらと我は切り離されておってのう……
我は、その百合の一部を抱え、じっと目を閉じておったのじゃ。
我は、神ではなく、妖になった」
「おばあちゃんは、貴方が好きだったの? 」
「さて、わからぬ。
しかし…… 百合は、我の一部であった、我を動かす、我の中心に、百合は居て、我はそれを大事に守っておった。
さて、さて、どうしたものかのう。
そなたが、百合の一部を返せというのなら、返さねばならぬ。
百合の居ないこの世界は、なんとあじけないことか…… 」
暗い夜に向って話された、御狐様の言葉は、とても悲しくて、切なかった。
花純の胸は、ギュッと何かに押しつぶされるようだった。
そして、御狐様の横顔を見ながら、唐突に理解した。
おばあちゃんが、今まで、その一部を、自分で取り戻せなかった理由。
それは、今でも、じりじりと身を焦がすような思いが、有ったからだ。
あまりにも生々しく今も存在している、その恋後ごろを、死を覚悟してやっと、花純に託したのだ。
「行って…… 行ってあげてください。
おばあちゃんは、きっと貴方に、会いたかったのよ…… 」
「……そうじゃのう、そうしよう、百合の魂が、遠くへ行く前に、会いたいものじゃ」
御狐様は、目を細めて笑った。
「……どうすればいいの? どうすれば、貴方は、おばあちゃんに会いに行けるの? 」
「そうじゃのう……、その人形は、姫雛での、殿雛を合わせてくれれば、我も、百合の元にいけるがの…… 殿雛が、何処にあるのか、我にはとんと予想がつかぬでな」
「わかった、何とかする、殿雛をここに持ってくるわ、そうしたら、おばあちゃんと、貴方は会えるのね」
そう言い終わると、花純は一目散に、家に駆け戻った。
家の玄関で、洋平が待っていた。
「花純ちゃん…… 出来た? 」
「まだなの、おばあちゃんが、大切なものをしまっておいた場所しらない? 」
花純の言葉に、洋平が、目を見開いて驚いた。
「花純ちゃん、帰ってきたの? 」
仏間の扉を開けて、哲平が、のぞき込んだ。
顔を出した哲平を、洋平が振り向いて、小さく首を振った。
洋平は、仏間の扉に近づくと、哲平に何かを言ってから、扉を閉めた。
「花純ちゃん、必要なモノはなに? 」
「えっと…… 千代紙で作った、お人形が必要なの、出来れば、お内裏様がいいのだけれど……」
「わかった」
洋平は、そう言うと、仏間に入っていった。
部屋の中で、哲平と、洋平が話している声がした。
少し待っていると、洋平はちりめんの布の張られた、文箱を持ってやってきた。
花純の前に立ち、その箱を開けてくれた。
箱の中を覗くと、押し花のしおりや、キラキラと輝く小さな石ころ、お手玉、鈴、御守…… こまごまとした物の中に、殿雛の人形が入っていた。
「コレ、ばあちゃんの宝物なんだ、箱ごと持って行ってもイイよ」
洋平は、言葉を切って、箱の中をじっと見つめた。
「花純ちゃんは、今、ばあちゃんに頼まれたことをしているの? 」
洋平にじっと見つめられて、花純は、小さく一つだけ頷いた。
「わかった、理由は聞かない。
それも、ばあちゃんとの約束だから」
花純は、箱の中から、銀色の着物を着た、男雛を選んで、しっかりと胸に抱え、箱もふたを閉じて受け取った。
仏間の扉が開いて、哲平が、部屋から出て来た。
手に、おばあちゃんのお気に入りだった、ショールを持っていた。
哲平は、何も言わずに、そのショールを花純に巻き付けた。
「気を付けろよ」
哲平はそれだけを言った、花純は頷いて、洋平と哲平に、深く頭を下げると、もう一度、御狐様に向った。
真っ暗なはずの庭に、ホンワリとホタルの光のような、淡い光が、数個飛び回っていた。
その光は、花純の足元を照らしながら、一緒に御狐様まで案内してくれた。
赤い鳥居の向こうで、祠に寄り添うように生えている、桃の木に、可愛らしい桃色の花が、咲き乱れていた。
御狐様は、大きな岩の上に座って、花純を案内してきた光を、手のひらに乗せて、何かを話しかけていた。
花純は、鳥居をくぐると、千代紙でできた男雛を、御狐様に見せた。
「おばあちゃんが、用意しておいてくれた、今夜、私が困らないように、洋平君や、哲平君にも、何かお願いしていたみたい……。」
「コレ、おばあちゃんの宝物」
そう言って、花純は、箱を開けて見せた。
箱の中を覗き込んだ御狐様は、小さく笑った。
しおりにしてある、押し花を拾い上げると、懐かしそうにそれを見た。
「コレは、いつか百合の髪に飾った、この桃の花だ…… こんなものまで、とってあったのか」
御狐様の声は、静かに、冷たい空気を震えさせた。
その花を、大切に押し花にした、いじましさが、また、花純を泣かせる。
止まらない涙を、グッと拭って、花純は、祠の中から、姫雛を取り出すと、抱えて来た殿雛と、二つを蓋を閉じた箱の上で並べた。
「我は…… 我は、この家に生まれた女の子を守るために、ココに祀られた。
我にとって。百合はとても大切で…… この神通力の全てを、百合に傾けておった。
だが、百合の決意を聞いて、ずっと、ココに閉じこもっておったのじゃ。
百合が、誰かを慈しむ気配を感じながら、目を背け続けた…… 我は……妖に成り下がった」
御狐様は、じっと桃の花を見上げていた。
それは御狐様の懺悔なのだろう。
「許すわ」
花純は、きっぱりと、胸を張った。
「お互いに、慈しみあっていたのでしょ。
私は『許す』
御狐様が、おばあちゃんと一緒に行ってくれるなら。
家の為に生きたおばあちゃんの、最後の我儘だもの。
今度は、私が、我儘を聞いてあげる番だわ。
おばあちゃんを…… 愛しているのでしょ。
おばあちゃんの最初で、最後の恋だったんでしょ。
秘密は守るわ」
「恩に着る」
御狐様はそう言うと、花純の前に立った。
「花純よ、そなたも出会うであろう。
そなたを、自分の身体の一部のように、大切に守り、愛でる者が。
良いか、我は、もうそなたたちを守ることはできぬ、そなたは、自分で見極められるか? 」
「任せて、私、見る目はあるつもりよ、でも、もし、間違っちゃったら、おばあちゃんと一緒に、私の夢を訪ねて頂戴」
花純は、親指を立てて、大丈夫とジェスチャーをして見せた。
「そうか…… 心した」
御狐様が、男雛に指の先で触ると、一層明るく輝いたあと、そこに吸い込まれていった。
祠の横の桃の花が、ひらひらと落ちた。
祠の屋根にも、土にも落ちて、うっすらと光り出した。
花純は、人形を大事に胸に抱えると、祠の扉を閉めて、湯呑と飯器を、元の通りに戻した。
祠に一礼し、鳥居をくぐる。
鳥居の前でも、一礼した。
帰り道は暗かったので、懐中電灯をつけた。
家に帰ると、洋平と哲平が、玄関の前で待っていた。
二人は、寒そうに、腕を組んで震えていた。
「おかえり、出来た?」
「おかえり、花純ちゃん、ご苦労様だったね」
洋平路、哲平が、震えながら、そう言ってくれた。
「ううん、まだ、やることが残っているの」
三人は、仏間に入ると、おばあちゃんの布団を囲んで座った。
「このお人形を、おばあちゃんに、持たせてあげたいの、胸に抱かせてあげたいから、少し手を持ち上げてくれる? 」
洋平は頷いて、すっかり冷たく、重くなってしまったおばあちゃんの手を、わずかに持ち上げた。
花純は、その着物のあわせの中に、紙人形を、そっとしまった。
洋平が、ゆっくりと手を下ろして、人形が落ちないように、おばあちゃんの手をしっかりと押えた。
哲平も、おばあちゃんの手の上に、自分の手を置いた。
「ばあちゃん、ありがとナ。
俺が、兄弟げんかで負けた時は、いつもばあちゃんが慰めてくれたよね」
哲平が、ポツリとそう言った。
「ばあちゃん、いつも、笑顔で居てくれて、ありがとう。
ばあちゃんが、笑っていてくれたから、大概の事は、出来そうな気がしたよ」
洋平も、ポツリとそう言った。
花純も、二人のように、おばあちゃんの手の上に、自分の手を重ねた。
「おばあちゃん、私……(おばあちゃんに、負けない恋をするわ)」
花純の、声に成らなかった言葉は、確かにおばあちゃんい届いたはずだ。
誰かに、頭を撫でられた気がした。
「やべぇ、線香! 線香焚かないと、消えちゃう! 」
哲平がそう言って、慌てて次の線香に火をつけた。
その哲平を泣き笑いしながら、花純は眺めた。
洋平が、コーヒーを温かいものに入れ直してくれた。
洋平と哲平と、花純は、ソレを飲みながら、おばあちゃんの思い出話をして、お菓子を食べた。
小さなころのエピソードに、泣きながら、笑った。
翌日、朝早くからやってきた業者の人が、おばあちゃんを、棺に入れてくれた。
『隣組さん』たちも、元気にやってきて、台所は、たちまち姦しくなった。
葬儀には、通夜よりもたくさんの人が、やってきて、沢山の人が、見送ってくれた。
『隣組さん』が、火葬場で食べれるように、弁当を用意してくれた。
「百合さんに教えてもらった、お稲荷さんを詰めました」と言っていた。
火葬場で、火葬が終わるまで時間がかかるので、隣組さんたちが持たせてくれた、赤くない赤飯が詰まった、稲荷ずしを食べた。
待合室の窓から見える煙突から、細く長い煙が上がっていた。
おばあちゃんと一緒に、殿雛も姫雛も、登って逝ったことだろう。
重い体と、しがらみから抜け出して、やっと軽くなった心で、望む場所に……
花純は、立ち上る煙に、そっと手を合わせた。
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