笑顔のビスケット

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 智湖(ちこ)は、小学四年生の女の子。ショートカットの黒髪と少しだけのダメージジーンズがとても活発そう。彼女はクラスの友達からは【ワンコ】と呼ばれています。  なぜ、ワンコなのか?それは智湖の鼻が犬のように効くからです。特に食べ物に関して優れていて、当番じゃない日の給食の匂いも配膳よりだいぶ前に分かるし、夕食時頃など通りがかっただけで、その家のメニューが分かってしまうのです。  お腹が空いている時なんかは、人とすれ違うだけで、その人が食べ物を持っていると匂いで察知します。  下校時、クラスメイトで仲良しの美梨(みり)と歩いていると、前から杖をついたお爺さんが歩いてきました。 すれ違った後、智湖は美梨に笑顔で囁きます。 「今日も、あの赤いちゃんちゃんこのお爺ちゃんはビスケットをポケットに入れてるよ」 美梨はメガネのブリッジを人差し指で上げ、お下げの三つ編みを傾けて少しだけ表情をしかめました。 「でも、確かめることができないから分からない」 「絶対にビスケットを持ってるから!」 「うーん」  二人は、お爺ちゃんとすれ違うたびにこんな会話をしていました。  そんなある日の学校帰り、智湖と美梨が歩いていると前方からお爺ちゃんが歩いてくるのが見えました。  智湖と美梨は立ち止まり顔を見合わせます。二人は、次にお爺ちゃんに会ったら確かめようと約束していたことがあるからです。そう、お爺ちゃんのちゃんちゃんこのポケットの中身。  そんな智湖達を後ろから金髪でミニスカートの女子高生二人が抜かして行きました。彼女達は大きな声で笑いながら歩いています。その時、一人の女子高生が手に持ったジュースの空き缶を歩道に投げ捨てました。  空き缶はコロコロ転がり、お爺ちゃんの前方で止まります。 「あっ!」 声をあげる智湖と美梨。危ないと思ったのです。  智湖と美梨の予感は的中。お爺ちゃんは空き缶につまずいて、ステンッと尻もちをついて転んでしまいました。 「大丈夫ですか!」 偶然、近くにいた若い男性警察官が駆け寄り、お爺ちゃんを抱き起こします。  お爺ちゃんは悲しそうな表情で警察官に言いました。 「これで五回目だよ。もう、危なくてこの町を歩けない」  警察官に支えられて去って行くお爺ちゃん。智湖と美梨は、お爺ちゃんの言葉を聞いて(お爺ちゃんと会えなくなっちゃうかも知れない)と思いました。  次の日、二人が下校していると警察官が自転車を持って歩いていました。 昨日の警察官です。智湖は駆け寄り警察官を見上げました。 「お巡りさん、お爺ちゃんは怪我したの?」 警察官は自転車を持ったまま、智湖を見下ろしました。 「お爺ちゃん?誰?」 「昨日、この場所で転んだお爺ちゃん」 「あー、昨日ね」 警察官は自転車のタイヤを降ろして智湖の目線まで腰を落とします。 「大丈夫、怪我はなくてお家までちゃんと歩けたよ」 後から来て横に並ぶ美梨と目を合わせる智湖。 「良かった」 「でもね……」 警察官は浮かない表情をしました。 「昨日、転んだのが五回目で、お爺ちゃんは大好きだったお散歩ができないって悲しんでいるんだ」  智湖の頭に昨日のお爺ちゃんの言葉が流れました。 『もう、危なくてこの町を歩けない』 「ねぇ、お巡りさん」 智湖は水色ランドセルの肩ベルトを握ります。 「この町は危ないの?」 「そうだね、何て説明したら良いかな」 制帽の位置を正す警察官。 「この町の歩行者道路、つまり僕らが 今いる場所は、僕や君達のような健常者にとっては平気で歩ける道。だけど障害者にとってはとても危ない道になっちゃうんだよ」 「健常者って?」 「君は目も見えるしお喋りもできるし耳も聞こえる。手も足も動くでしょ?そういう人のことを健常者って呼ぶんだよ」 「じゃあ、障害者は?」 「目が見えなかったりお喋りできなかったり耳が聞こえなかったり、手とか足が動かない。どれもみんな必要で大切なんだけど、その必要な部分が一箇所でも機能しない人。あのお爺ちゃんみたいにね」 「えっ?」 智湖は丸い両目を更に丸くしました。 「お爺ちゃんは障害者なの?」 「うん、あのお爺ちゃんは目が見えない。だからいつも白杖(はくじょう)って名前の杖を持って歩いていたんだよ。危険なモノを白杖が探して教えてくれるんだ。でも、絶対じゃない。昨日のように空き缶が落ちているとつまづいて転んでしまうこともある。目の見えないお爺ちゃんにとって、この道は命に関わる危ない道になってしまったんだ」 「どうしたら危ない道じゃなくなるの?」 「ちょっと下を見て」 警察官が人差し指を差します。 「この黄色いブツブツしたの何か分かる?」 智湖も美梨も首を振りました。 「分からない」 「これはね、点字ブロックって名前で、目の見えない人を安全に誘導してくれる道なんだよ。このブツブツのプレートの上をお爺ちゃんは歩いていたんだ。この上に昨日みたいな空き缶があったから転んでしまったんだよ」 「点字ブロック……」 黙って点字ブロックを見つめる智湖。  その晩、智湖は考えました。  もう、お爺ちゃんに会えないのは嫌だな。お爺ちゃんに会って、お喋りしてみたかった。お爺ちゃんのちゃんちゃんこのポケットの中身が知りたい。  それにはどうしたら良い?  刹那、智湖の中で答えがポンッとビックリ箱みたいに飛び出します。それは……。  次の日の放課後、智湖は美梨に「用事がある」と言って帰宅し、ランドセルを置いて45Lの指定ゴミ袋を何枚も持つと、また外に駆けだしました。向かった先は、お爺ちゃんが転んだ場所です。  そう、智湖は歩道のゴミ拾いを始めたのです。毎日、何気なく歩いていた道には良く見ると、ジュースの空き缶や紙パック、お菓子の空容器など、色んなモノが落ちていました。  通行人達が不思議な顔をしてゴミ拾いをしている智湖を見ながら交差して行きます。ゴミを拾っていると、背後から声がしました。 「智湖ちゃん、何をしてるの?」  美梨です。智湖は手を止めて振り返りました。 「ゴミを拾ってるんだよ」 「なんで?」 「お爺ちゃんにまたお散歩して欲しいから、ゴミのない安全な道にしたいの」  途端に、美梨は駆け足で去って行ってしまいました。変な娘だと思ったのでしょうか?  いいえ、違います。美梨は、すぐにゴミ袋をたくたん持って走ってきました。 「わたしもゴミを拾う」  美梨の言葉を聞いて、何だか胸がポカポカする智湖。  二人は、お喋りもせずに一生懸命にゴミを拾ってゆきます。そんな二人に気づいた警察官が声をかけました。  智湖は警察官にゴミ拾いの事情を伝えます。警察官はニッコリ笑って言いました。 「気持ちは分かったよ。でも、あのビルに太陽が隠れそうになるまでね。隠れそうになったらちゃんとお家に帰るんだよ。約束してくれる?」  「「はーい」」  その日の夜、智湖は疲れたのか二十時になると眠たくなり、いつもよりグッスリ寝ました。  ゴミ拾いは翌日の夕方も続きます。歩道には新しいゴミの仲間達がいました。夜に誰かがポイ捨てしたのでしょう。  今日は、警察官が二人で自転車を移動していました。それは、なぜか?この場所にはスーパーがあり、歩道に面して出入り口があります。駐輪場は裏にあるのに、正面玄関まで歩くのが面倒くさいと歩道に自転車を停めて買い物をする人が多数いるのです。  連なる自転車は歩道を狭くしていました。これでは車椅子の人は通れません。勿論、目の不自由な人にとっても障害物になります。 「お巡りさん、わたしも手伝います」  大変そうな警察官に走り寄る智湖。だけど、智湖には大人の自転車は大きすぎて持てません。すると三人の男の子が自転車を持ち上げました。  クラスメイトの男子達です。男子の中の一人が言いました。 「さっき通った時に気づいた。僕らも手伝うよ」 「わあー、有り難う!」  智湖も美梨も喜びました。でも駐輪場から戻ってきた警察官に「自転車は重いし怪我したら大変だからダメ」と優しく叱られてしまいます。  しょうがなく男子達と一緒にゴミ拾いを続ける智湖。彼女の夢は、ゴミを拾うたび、どんどん風船みたいに膨らんでゆきます。 【町中のゴミを片付けたい】  智湖は、お爺ちゃんがどこにお散歩に歩いても安全な道を作りたかったのです。  次の日になると、智湖はまたクラスメイトに声をかけられたので事情を話します。するとゴミ拾いを手伝ってくれる仲間が増えました。お友達がお友達を呼んで、日が経つごとに一人、また一人と仲間が増えてゆきます。  最初は智湖だけで始めたゴミ拾いは、段々と人数が増えて、気づくとクラスメイト全員がゴミ拾いをするようになりました。  警察官の指示に従って、決して車道には出ずにみんなゴミ拾いをしています。  大人数でゴミ拾いをしていると近隣住人が学校に連絡。すると担任の先生が様子を見にきます。警察官から事情を聞く先生。すると先生もゴミ拾いに参加するようになりました。  それだけじゃありません。校長先生はじめ教職員達もゴミ拾いに参加。噂が広まり学校の全生徒も参加するようになり、もはや放課後の学校全体行事のようです。そこに智湖の両親や他生徒の保護者も加わり、どんどん人で溢れてゆきます。  とうとうゴミ拾いが地方新聞の記事になり地元のテレビ局が取材に訪れました。智湖はテレビカメラに向かい町の人達に訴えます。 「健康な人にも障害者にも安全に歩ける道にしたい」 警察官も言葉を添えました。自転車の違法駐輪と、なぜ道にゴミを捨ててはいけないか?その理由です。  これに対し、町長が動きました。続いて市長も市議会も動きます。これにより市全体にスローガンが立ちました。 【障害者が安全に歩ける道、障害者に優しい市。ゴミのない綺麗な町作り】  市役所に垂れ幕が下げられ、ゴミのポイ捨て禁止の看板が町だけではなく、市内中に立てられます。夜は自発的に大人達が見回るようになり、ゴミをポイ捨てする人や指定場所に自転車を違法駐輪する人を見つけると注意するようになりました。  川が流れる土手沿いに不法投棄されている冷蔵庫やテレビ、車のタイヤなども撤去されます。  もう、ゴミをポイ捨てする人は誰もいません。町中の歩道には違法自転車がなくなり、歩道が綺麗で広くなったのです。  市全体が、余計な脂肪を落としたみたいにスッキリです。  智湖と美梨は、なんと市長から表彰されることになりました。校長先生も全校集会で二人を褒め称えます。クラスメイト達も先生も二人の両親もとっても喜んでくれました。  でも智湖の心中は複雑です。本当の願いが、まだ叶っていないから……。警察官には、それが分かっていました。  ある日の下校途中、警察官は智湖と美梨に向かって手招きします。 「今から君達の願いを叶えてあげる」  警察官は二人をお爺ちゃんの家に連れて行ってくれました。  玄関先で、警察官がお爺ちゃんに詳しい事情を説明します。お爺ちゃんはビックリした後、何か探るように両手を伸ばしました。 警察官が智湖と美梨に笑顔を向けます。 「二人共、片方ずつお爺ちゃんの手を握ってあげて」 「はい」 智湖と美梨は照れながらお爺ちゃんの手を握りました。  しわくちゃで細いけど、温かい手です。 智湖は、お爺ちゃんの見えない目を見上げました。 「もう町の道は危くないよ。またお爺ちゃん、お散歩してくれる?」 お爺ちゃんはしわくちゃな笑顔で、こう返してくれます。 「二人のおかげで、またお散歩ができるよ。安全な道にしてくれて有り難うね」 お爺ちゃんは、そう言うとちゃんちゃんこのポケットから透明な袋に包まれた何かを取り出しました。 「これ、お礼だよ」  お爺ちゃんが智湖と美梨、それぞれにくれたモノ、それは、まんまるのビスケットでした。  お爺ちゃんの家からの帰り道、「やっぱり智湖ちゃんの鼻はスゴい!」と美梨はハシャぎます。 「えへへ」  照れ笑いする智湖のほっぺを夕日が茜色に染めました。  警察官と「バイバイ」した後、智湖と美梨は公園の白いベンチに座ってビスケットの包みを開きます。それは、家に着くまで待てない事情があったからです。  そう、二人はとっても、お腹が空いていました。  お爺ちゃんから貰ったゴミ拾いのご褒美。    一口かじってみると、そのビスケットの甘さが口いっぱいにジュワ〜ッと広がります。  ビスケットは確かに甘くて美味しい。だけど、そのビスケットは特別なようで、味が違いました。  智湖と美梨は顔を見合わせて同時に言葉を合わせます。 「このビスケットは嬉しい味がするね」  智湖は【お爺ちゃんの笑顔】って名前の嬉しい味のするビスケットを食べることができたのです。  ベンチに座りブラブラする両足。智湖は勿論、笑顔です。彼女の笑顔はビスケットのよう、甘くて、まんまるでした。 明日、今日みたいなお天気だったら、お爺ちゃんに会えるかな? きっと会えるよ。いっぱいお喋りして仲良しになりたいね、智湖ちゃん。    
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