思い出の花

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 月もない暗い夜のこと、一人の少女が古い墓所の扉を開けた。墓所には少女の偉大な先祖たちの柩が円を描くように並べられている。 「一、二、三……」  少女は入り口から順に柩を数えながら歩く。 「これだわ」  少女は十一番目の柩の前で立ち止まり、小さなランプを掲げる。かすかな光の輪の中で大仰な金の十字架の装飾が鈍く光った。並ぶ柩はどれも十字架が施されているが、この柩に施されたそれは明らかに大きく、多くの聖句が刻まれていて異様だ。その大きな十字架に名前が刻まれているが、傷つけられていて読みにくい。少女は指でなぞりながら文字を読んでいく。 「ディオン……クリスティ、ガルディーゾここに眠る。何人も彼の眠りを覚ましてはならない。間違いないわ」  少女は仕掛け箱付きの本に書かれた名前を確認する。柩の位置も施された装飾や文字も書かれている通りだ。二百五十年ほど前に死んだこの先祖には多くの不可解な点があることはこの屋敷の当主たるトマス・ガルディーゾに借りた家族史からも明らかだった。さらにこの仕掛け箱の付いた本には三本の鍵が隠され、困ったときには頼るようにと書かれているのだ。普通ではない。死者に頼るなど、死後以外にあり得るだろうか。 「お嬢様、これで満足されたでしょう? 探検はおしまいですよ」 「いやよ。わたし、家出するって決めたんだもの。アヤメが保護者を連れて行けというから彼を起こすのよ」  アヤメは深いため息を吐く。少女は大貴族ガルディーゾ家の末娘エリーナだ。エリーナは物心つく前からほとんど窓のない部屋に閉じ込められて育ち、外の世界を知らない。本ばかりが彼女の友だ。教育係兼世話係兼護衛のアヤメ・ヒシタニの言うことを聞かず、とんでもないわがままを言う。ひとしきり付き合えば彼女が満足するのを知っていてアヤメは家出の準備まで手伝った。曰く付きの先祖の墓に行かせれば怖気づいて帰ると言い出すと思ったが、一筋縄ではいかない。 「アヤメだってわたしが閉じ込められているのはおかしいと思うから手伝ってくれたのでしょう?」  家出の準備を手伝ったことがそもそもの間違いだったらしい。アヤメはため息を吐く。確かにアヤメが仕えてこの方、エリーナは決められた三つの部屋から出ることを許されていない。理由を知っていなければ雇い主の意向といえど全力で抗議していただろう。  エリーナを守るための措置だと知っていても不憫だとは思う。同情の念がないと言えばうそになる。念のために置いて来た手紙通り、数日の家出に付き合った方がよさそうだ。 「これ以上なにも申しません。この先祖が目覚めなければ諦めてください」 「ええ」  エリーナは柩の周りをまわって鍵穴を探す。 それは奇妙な柩だった。本来であればただ上から被せるだけのはずの蓋が蝶番で固定され、鍵が三つついている。鍵はそれぞれ違う印が施され、三つ揃わなければ開かないようになっているようだった。鍵が封印の意味合いを持つとしても、蝶番は開け閉めをする前提のものだ。  件の本に書かれていたように彼は三百年近い年月の間、柩の出入りを繰り返していたのだろうか。  エリーナは順に鍵を開けて行く。ひどく古ぼけているのに鍵はすんなりと回った。本当にこの先祖が生きていれば家出に付き合わなければならない。アヤメが複雑に思っていると、柩が音もなく開いた。ぎょっとしてエリーナを下がらせようとしたが、開けたのはエリーナだった。柩の内部に仕掛けがあり、軽い力で開くようになっていたらしい。疑惑が確信に変わっていく。だが、二百五十年も昔に死んだ人間が生きているはずがない。  柩の中でやつれた男が眠っていた。右目の下に泣き黒子がある色男だ。本に挟まれていた肖像画とそっくり同じだ。ガルディーゾ家の人々のほとんどがそうであるように絹糸のような金髪をしている。閉じられている目は開ければ青いのだろう。自然とそう思った。没した年齢から考えればずいぶんと若く見える。  ただの死体であるなら二百五十年の間に朽ちているはず。だが、彼の肌は少しかさついているだけで、腐敗しているようには到底見えない。死体にありがちな目のくぼみもない。本当に生きているのだろうか。だが、不朽体という奇跡もある。 「ムッシュー、ムッシュ・ガルディーゾ? ガルディーゾ伯爵? ディオン?」  エリーナがいろいろと声をかけているが、反応はない。やはり死体なのだ。本には彼が生きていると信じるに足る話が書かれていたが、作り話だったのだろう。そろそろ部屋に連れ帰ろうとアヤメは口を開く。 「もうご満足でしょう?」 「い、や!」  エリーナの大きな声に反応したのか死体が目を開けた。吸い込まれそうな深い青の目が何度か瞬きをする。 「んん、君誰?」  その口から出た声はどこか間抜けで若々しい。とても四十代で死んだ男のものとは思えない。 「わたしはエリーナ・エマ・ガルディーゾ」 「おや、僕の子孫か。なにか困りごと?」  困ったら頼れというのは嘘ではないらしい。 「お父様とお母様がわたしをお部屋から出してくださらなくてうんざりしているの。一緒に家出してくださらない?」  彼の視線が一瞬アヤメを捕らえ、困ったように笑う。 「うーん、どうしようかな。とりあえず、君が何代目当主の娘か聞いていい?」 「お父様は三十一代目よ」 「つまり君は十三代後の子孫ってわけだ。実質他人だね。そんな人間……か、どうか怪しい僕を頼ることにためらいはないの?」  どこか軽々としているが、常識人ではあるらしいと察してアヤメは安堵する。彼ならエリーナを説得してくれるかもしれない。 「だってこの本を全部読んだわ。おじいじ様はわたしたちを守ってくださる方なのでしょう?」 「あー、そうね。そうだけど、なんでも信じるのはよくないよ。僕が君みたいな純粋な子を騙して食べちゃう可能性だってあるわけだし。常識の外にいる相手を信じるなら慎重にするべきだ」  エリーナは泣きそうな顔をしてディオンの顔をじっと見つめる。閉じ込める代わりとばかりに甘やかされて育ったエリーナは叱られた経験がほどんどない。その反応は当然といえる。だが、現状ディオンが正論でエリーナはわがままだ。勝ち目のない議論に彼が終止符を打ってくれるだろう。 「と、まあ、説教はするんだけど、いいよ。家出には付き合ってあげる」  予想外の発言にアヤメは声が漏れるのを止められなかった。 「おじいじ様が付き合ってくれるならいいって言ったわよね?」  勝ち誇ったように言われてアヤメはため息を吐く。 「申し上げました」 「やった。行きましょ、おじいじ様」  エリーナはディオンの肉が削げ落ちた薄い手を引っ張る。 「あー、待って。すぐ動けないし、その子誰?」  彼が指さしたのはアヤメだった。 「お嬢様の護衛を務めるアヤメ・ヒシタニと申します」 「女騎士?」  エリーナに手を離してもらった彼は確認するように身体を動かしながら、ゆっくりと起き上がる。及びもつかない年数を生き、長く眠っていた彼の関節はずいぶんと凝り固まっているらしい。およそ人間の関節から聞こえるとは思えない怖ろしい音がする。 「左様でございます」 「ふうん。女騎士を置けるってことはガルディーゾ家が引き続き栄えてるってことだね。いいことだ」  彼は満足そうに頷いて柩を出てきた。予想に反してかなり背が高い。アヤメも長身ではあるのだが。 「さて、エリーナ。僕を連れて行くのはいろいろ制約があるんだ。書き置きを読んでくれたならある程度わかってるかな?」 「ええ。お着替えならお父様のを持って来たわ。おじいじ様の方がお父様より大きいから小さいかもしれないけど」 「ないよりはましだよ」  彼の装束は彼が死んだ時代のものだ。仰々しく飾り立てられた襟元や袖口。上着どころかベストにまで所狭しと刺繍が施されている。彼がそのままそこらを歩いていたらすぐに嫌疑をかけられるだろう。 「あとあと古着屋で買えばいいから。ところで、そのおじいじ様ってなに? 聞き間違いかと思ったんだけどおじいじ様って言ってるよね?」 「おじい様のおじい様のそのまたずーっとおじい様だから略しておじいじ様よ」 「なるほどね」  彼は納得したようにくすくす笑う。 「お着替え、ここでしていくの?」 「そだね。持ってきてるなら頂戴。着替えて行くから馬車に乗っていて。あれがそうだよね?」  彼は墓所の列柱の隙間から見える馬車を彼が指さした。 「そうよ、おじいじ様」 「こちらが着替えです」  アヤメが差し出した包みを確認してディオンは頷く。 「いいね。じゃ、ちょっと待っててね」  二人は彼を残して馬車に移動する。馬車にはエリーナの着替えや荷物が積み込んである。アヤメの荷物も一応積んでいるが些細なものだ。アヤメが動かす権限を持つ馬車は小さなものだから制約も多い。 アヤメの馬車はエリーナに必要な物を買いに行くためのものだ。エリーナの存在は完全に隠されているから食事以外のものはアヤメがひっそり買いに行くほかない。 「おじいじ様いい人そうね」  なぜか御者台に上って来たエリーナに言われ、アヤメは頷く。彼が善良であることは現状否定できない。 「お嬢様、お教えしたことがなかったかと思うのですが、お嬢様が乗られる場所はこちらではなく、後ろです」 「あれは荷台じゃないの?」 「荷台はさらに後ろです」  エリーナは不思議そうにしたが、ドアを開けて馬車に乗り込んだ。思い返してみれば一度も屋敷から出ていないのだから馬車の使い方など知る由もない。御者台に上がる前にエリーナのためにドアを開けてやればよかったとアヤメは思う。 「お待たせ」  止められなかったのか、わからなかったのかカフスをひらひらさせたディオンが軽く手を振りながらやってきた。アヤメは御者台から降りてディオンのカフスボタンを留め、結ばれていないクラバットを結ぶ。 「ありがと。よくわからなくて。助かるよ」  とろけるような笑みを向けられてアヤメはどきりとする。高貴なものはこうして整えてもらうのが当然で礼など言わないと思っていた。彼はそうではないらしい。 「いえ、当然のことをしたまでですので」 「それでもありがとう。アヤメと言ったね。僕の子孫が面倒をかけるけど、頼んだよ」 「はい」  もう一度ほほ笑んで彼は馬車に乗り込む。彼の時代にも馬車はあったらしい。アヤメはすぐさま御者台に上がり、馬に鞭をくれる。  夜明け前に目的地の町には着くようにしたい。でないと、彼は気絶してしまい、日没までまったく目覚めないらしい。それではあまりにも都合が悪い。  仕掛け箱の付いた本はエリーナが見つけた隠し本棚の中でさらに隠されていた。書かれていたのは彼を起こす方法や注意事項で、取扱説明書ともいうべき代物だ。大貴族たるガルディーゾ伯爵家の十二代前の当主が生きているとは信じられなかったが、現に後ろでエリーナと楽しげに話している。  アヤメは考えるべきことを一部放棄する。今は誰にも見られないうちにここを離れることが優先だ。  夜半過ぎに宿にたどり着くとエリーナはディオンの膝を枕に眠っていた。彼は至極幸せそうにエリーナの肩に手を置いている。子供が好きなのだろうか。エリーナは十二。まだまだ子供といえる年齢だ。 「大旦那様、今夜はこちらの宿に滞在することにしました」 「ん、ありがと。抱っこしてあげたいところなんだけど、なにぶん非力でね」  彼はそう言って肩をすくめる。見るからに痩せこけてやつれた彼がエリーナを抱き上げられるとは思えない。アヤメはすぐにエリーナを抱き上げ、部屋に運ぶ。ディオンは自然について来た。  部屋でドレスを緩め、ベッドに寝かせていると彼はクローゼットの広さを確認して戻って来た。 「なにを?」 「ああ、気絶してるの見られてあらぬ疑いを宿の人間にかけられると不便だからベッドで寝ない主義でね」  貴族には深夜に宿に入り、昼過ぎまで眠り続けるものは少なくないが、彼はそれどころではないから見られぬようにするのだろう。彼はふと息を吐いて椅子に腰を下ろす。 「さて、いくつか聞きたいんだけどいいかな?」 「お答えできることでしたら」  アヤメはついつい短刀の鞘を押さえる。 「あー、そんなに警戒しないで欲しいんだけどな」  彼は困ったように笑って右目の下の泣き黒子をなぞる。 「失礼いたしました」 「えっと、さ、この子、なにかしらの力を秘めていて事件を起こしてしまったのかな?」 「お答えいたしかねます」 「ガルディーゾ家には代々力を持つものが生まれやすいんだ。僕を含めてね。僕はそんな力を秘めた子たちを助け、生かすためにいる。排除するためじゃない。すぐに信じろとは言わない。はいか、いいえで答えて。エリーナには力があるね?」  アヤメは逡巡の末に頷く。 「はい」 「事故はあの子が幼児のころ?」 「はい」 「本人も知らない?」 「はい。私も知りません」 「君も?」 「はい」  アヤメが雇われたのはその事故の直後だ。その日はエリーナの葬儀が行われていた。執事の事務的な説明の後に引き合わされたのがわずか三歳のエリーナだった。 「あの子の世話係は君一人?」 「はい」 「うん。だいたいわかった。君はなにも話してない。僕の問いに返事をしていただけだ。君はエリーナも今の当主も裏切ってない。付き合ってくれてありがとう。もう眠いでしょ? おやすみ」  彼はベッドを示した。彼はベッドを使わないからゆっくり休めといってくれているのだろう。アヤメは少し迷ったが、ベッドに潜りこむ。休める時にしっかり休んでおかないと明日はどうなるかわからない。  彼はこうしたやり取りに慣れているようだった。彼が本当に十二代前の当主であるなら自然なことかもしれない。彼は鍵を閉めて出て行った。夜しか活動できない彼はなにかすることがあるのだろうか。  アヤメは考えるのをやめてまどろんだ。
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