思い出の花

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 数日が過ぎ、ディオンがトマスに会いたいと言い出した。だが、彼は極力目立たないようにするため、エリーナの部屋以外には行かない。アヤメがトマスを呼びに行った。 「なんで急にお父様を呼んだの?」 「んー、必要なものがあってね。アヤメが単独で入手しようとすると目立っちゃうからトマスとデイビスにお願いしようと思って」 「必要なもの?」 「うん。君の刺青を消すためにね」  エリーナは思わず自分の手をぎゅっと握る。 「エリーナ、君は十分に学んだ。今なら安全に消せると僕は考えてる。ただ、念には念を入れたいから必要なものがある。それだけだよ」  彼にとろけるような眼差しで見つめられて、少女は頷く。 「たった二週間でよくがんばったね。君が賢くて頑張り屋さんだから予定より早く消せるんだ。エリーナはとってもいい子だ」  やさしく撫でてくれた冷たく大きな手が安心と信頼を伝えてくれる。彼の手はいつもひんやりと冷たい。半分死んでいるようなものだからと彼は複雑そうに笑った。 「お呼びですか、大当主様」  隠し通路からトマスが姿を見せた。 「少し、話しておかなきゃいけないことがあってね」  ディオンは先ほどまでとは打って変わってどこか悲しそうに笑った。 「僕の伝言に手違いがあってエリーナが施された魔法陣には欠陥がある」 「え……」  トマスの顔からさっと血の気が引いた。なぜかデイビスが彼の後ろで唇を噛んだ。 「このままにしておくと、エリーナの命に危険がある。取り除く必要があるんだ。同意してくれるね」 「取り除けば解決するんですか?」  トマスの懇願するような声にディオンは目を伏せた。 「必ずしもそうとは言えない。けど、そのままにしても、消しても、危険はある。だったら、可能性が高い方に賭けたい」 「そう、ですか……」  トマスは深いため息を吐き、エリーナに視線を向ける。 「大当主様から話は聞いているのだね?」 「ええ。危険が少なくなるように学んだわ。わたしはおじいじ様を信じる」 「そうか」  トマスはエリーナの頭をやさしく撫でる。大きくて、あたたかい手だった。ディオンとは違うがやはり安心をくれる。 「大当主様、娘をお願いします」 「うん。それで必要なものがあるんだけど、デイビスに手配を頼んでいい? アヤメが用意すると目立っちゃいそうでね」 「必要なものはなんでもお申し付けください」 「ありがと、トマス。デイビス、必要なのは黒い布と金のインク。布は厚い方が望ましいけど、薄くてもかまわない。同じ生地でなくてもかまわないからこの部屋を覆えるだけの量が欲しい。金のインクは五つくらいあれば足りると思う。これはすべてエリーナを守るために必要なものだ。頼んだよ」  デイビスは手帳にメモを取る。一介の騎士でしかないアヤメがものを大量に買い込むのは目立つ。だがデイビスが動けば、屋敷でパーティをするなどの言い訳が立つ。 「ペンなどは必要ございませんか?」 「あー、これと同じのが見つけられれば欲しいけど、難しいと思う」  ディオンが取り出したのは毛の部分が長い筆だった。 「少々お借りしても?」 「いいよ。替えがないから大事にしてね」 「承知しました」  デイビスはそれを丁寧に包んで胸ポケットにしまう。 「そういえば、エリーナが小さいころに好きだったものって何か覚えてない?」 「小さいころ?」 「うん。事件を起こす前」  トマスはついと顎をなぞる。 「まだ三つだったのであまりはっきりとは……ああ、妻の傘をよく勝手に持ち出していました。開いて床に置き、中に隠れていたのです。一人で空想にふけっているようなそんな雰囲気で」 「それだ!」  ディオンが急にぱちりと指を慣らした。 「その傘が残っているならそれを。なければできるだけ似たものを手配して」 「承知しました。それに何の意味が?」 「エリーナを守るため。たぶんその傘の中にいたのはエリーナ一人じゃなかったはずなんだ」  トマスが小首を傾げる。 「精霊に選ばれた子は幼いうちに普通の子とは少し違う行動を取りやすいんだ。精霊がいつもそばにいるけど他の人には見えないからひとり言や一人遊びが多い。エリーナはきっと傘の中で精霊と遊んでいたんだろうね」 「おじいじ様もあったの?」  ディオンは困ったように肩をすくめる。 「それが覚えてないんだ。五歳より前の記憶がまったくない。君は覚えてる?」  エリーナは小首を傾げる。言われてみれば覚えていない。 「わたし、気付いたらこのお部屋にいたの。生まれた時からここにいたのだと思っていたわ。違うの? お父様」 「君をここに連れてきたのは三つの時だよ。特別おしゃべりで活発な子だったけど、あれ以来大人しい子になってしまってね」  トマスは悲しそうにため息をついた。ディオンはハッとした顔をして、なにかを言いかけたが、口をつぐむ。今は聞いてはいけない気がしてエリーナは目を伏せる。 「うん。とりあえず今日はこれで十分。時間を取ってくれてありがとう、トマス」 「他でもない娘のことですから」  トマスはエリーナを抱きしめ、デイビスを連れて去って行った。 「ねぇ、おじいじ様、さっきはなにに気付いたの?」 「あー、ちょっとした可能性を見つけたんだけど、もしかしたら勘違いかもしれないし……刺青を消した結果次第かなって」 「それはおじいじ様の役に立つこと?」 「そうね。たぶんね。期待しないのが癖になっちゃっててあんまり話してぬか喜びしたくないからこの話終わっていい?」  エリーナは複雑な気持ちになりながら頷く。ディオンはエリーナの頭を撫でて去って行った。今日はもう話す気分ではなくなってしまったらしい。 「おじいじ様って複雑なのね」  エリーナがふうと息を吐くとアヤメも頭を撫でてくれた。 「生きれば生きただけ、いろいろあるものですから」 「そうね」  その夜は眠くなるまで本を読んで終わりにした。  
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