思い出の花

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 翌週、デイビスの手も借り、本棚の部屋はすっかり黒い布で覆われた。金色のインクで描かれた魔法陣がかすかに光をまとう。 「こんなものが見つかったらガルディーゾ家は破滅ね」  エリーナの言葉にディオンが肩をすくめる。 「教会がいうように悪魔と契約するわけじゃないんだけどね。さっさと終わらせて、さっさと捨てるしかない。エリーナ、心の準備はできてる?」  エリーナはアヤメの手をぎゅっと握る。 「できてる。おじいじ様、お願いね」 「うん。かなり痛いかもしれないけど、がんばってね」 「ええ」  ディオンとアヤメは魔法陣の描かれたマントを着ている。解き放たれたエリーナの力が暴走しても彼らが守られるようにするためだ。  部屋中に張り巡らされたエリーナを守る魔法陣を描いたのはディオン。マントに魔法陣を施したのはエリーナだ。その魔法陣が必ず二人を守ってくれると信じてエリーナはドレスを脱いで魔法陣の真ん中にうつぶせに横たわる。布の下にクッションが敷かれているとはいえ、ひんやりと冷たい。  アヤメがエリーナの手に傘を握らせる。エリーナが幼い日に遊んでいたという傘。それにどんな意味があるのか、エリーナは覚えていない。けれど、心の中に住まう精霊はその傘を覚えているのだろうか。 「お嬢様、私はいつもここに」  そう囁いた彼女はエリーナの左にしゃがむ。そこにも彼女を守るための魔法陣がある。ディオンにより二重三重に施された安全対策。念のためと彼は軽い口調で繰り返したが、それだけ危険なのだとエリーナは察した。今日、ここにいる誰かが死ぬかもしれない。一番可能性が高いのはエリーナだ。  危険の原因が自分自身なのだから、誰かが身代わりに死ぬなんてことがあってほしくない。死ぬとしても自分一人であって欲しい。エリーナは心ひそかに祈る。 「エリーナ、始めるよ。痛かったら叫んでもいいけど、動かないでね。動けないと思うけど」  彼女の右側に座った彼が手に持った本の呪文を読み上げ始めると身体がずんと重くなり、指一本動かせなくなった。 「苦し……っ」  ディオンは一瞬彼女を見たが、かまわず呪文を唱え続ける。背中が燃えるように熱くなった。ディオンの手が背中に触れると切り裂くような痛みが走り、エリーナは悲鳴を上げる。 「大丈夫、大丈夫だからね」  そう囁く彼の呼吸は乱れている。エリーナが痛みに耐えるように彼も必死なのだと思うとまだ我慢できる気がした。 「お嬢様、私もいます。今日はケーキを用意しているのです」  気を紛らわせようと彼女が言ってくれていることはわかる。痛みに歯を食いしばってエリーナは頷く。 「エリーナ、これが最後だよ」  彼が最後の呪文を唱え始めると痛みはさらに強くなり、意思とは関係なく体ががくがくと震えた。 「大丈夫、そばにいるよ」  不意に聞こえた懐かしい声に導かれるようにエリーナは意識を手放した。    真っ黒な闇の中で薄紅色の傘が揺れる。エリーナが駆けて行くと傘は床に置かれていた。そっと覗くと懐かしい誰かがそこにいた。黒い光の陰で顔の見えない大切なお友達。いつも傘の陰にいたお友達。 「また会えたね」  その子はうれしそうに笑う。エリーナも懐かしくなって隣に座る。二人で隠れるには傘は小さい。 「ずっとどこに行っていたの?」  エリーナが問うとその子は少し悲しそうに笑って、エリーナの胸に手を当てる。 「ずっとここにいたよ。でも何かが邪魔をして話せなくなった。すごく寂しかった。やっと、邪魔がなくなって、傘を持ってきてくれたから会えたんだ。これからはもう閉め出さない?」  エリーナはこくりと頷く。やはりこの子がエリーナを選んだ精霊だ。すっかり忘れていた幼いころの記憶のなかにはいつもこの子がいた。 「もう二度と閉め出さないわ。仲良しに戻れる?」 「うん。もちろん。でもね、もう大きいから眠っている時しか話せないよ。覚えていて」 「ええ」 「ほら、みんなが呼んでる。早く起きた方がいいよ、エリーナ」  耳を傾けるとディオンとアヤメが心配そうに話す声が聞こえた。 「起きる前にあなたの名前を教えて」 「エリーナ」  差し出された手を取ると精霊の顔が見えた。その顔はエリーナとそっくり同じだった。精霊とエリーナは同じ存在だ。精霊の名もエリーナだと自然にわかった。 「じゃあまたね」  精霊が手を振ると、身体がふわりと浮きあがった。起きる時間が来たらしい。 「またあとでね!」  必死で手を振ると彼も手を振り返してくれた。薄紅の傘が揺れる。  エリーナが目を開けるとディオンとアヤメが顔を覗き込んでいた。 「気分はどう?」 「どこか痛いところなどはありませんか?」  二人にほぼ同時に問われてエリーナはくすりと笑う。 「どこも具合の悪いところはないわ。夢の中で精霊に会えたの。また仲良くしましょうってお話できたわ」  ディオンはほっとしたように息を吐く。 「ああ、よかった、成功したんだ。君が気絶しちゃって起きないからどうしようかと思った」 「すごく痛くて我慢できないって時に声が聞こえて精霊が夢の中に連れて行ってくれたの。傘のことや精霊のことも思い出したわ。やっぱり刺青と精霊は関係があったのかも。おじいじ様の記憶がないのも何か理由があるのかもしれないわ」  ディオンは目をそらして誤魔化すように指をくるくると回す。 「エリーナ、今日は休んで。もう夜明けになるし、僕もアヤメも疲れてるから。ね?」  期待したくないと彼は言った。可能性に目を背けるような雰囲気があるのはそのせいだろうか。  彼の言い分ももっともでエリーナはこくりと頷く。アヤメがベッドに運んでくれた。問題なく動けると言ったが、アヤメは心配で仕方ないらしい。大人しく寝ててくれと懇願されたら言うことを聞かないわけにはいかない。  目を覚ましたばかりで眠れないと思ったが、不思議とすぐに眠ってしまった。
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