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2、救う神無し。
【ムラクモ王国】は一都一城。
あとは小さな街と村で構成された小国だ。
歴史は古く、建国から840年余り。
総人口は6万人ほどで、半分が人族、次いで獣人。
その他の亜人も多く暮らしているが、そもそも広義的には人なのだから、むしろ人族の方を便宜的に【突出していない】と呼んでいた。
この世界では珍しい多種族国家だ。
特産品はないが、適度にいろいろある。
農業と漁業が半々、畜産が少々と自国で消費する程度の鉱山を持っている。
食糧自給はほぼ自国で賄えるが、気候変動による地域差は大きく税率などはデリケート。
――さて、事の始まりとなった近隣の大国【イヴァール帝国】から使者が来たのは一年前、国の名物【サクラ】が咲き始めた頃だった。
内容は至ってシンプルに宣戦布告。
こんな僻地の小国を落として一体なんの旨味があるのか疑問だが、事実宣戦の使者はやって来た。
国王タッロ・ムラクモは、使者を丁重にもてなした後、宣戦理由と条件次第によっては降伏する旨の親書を持たせ帰した。
勝てないのは分かっていたから、無駄に国民や兵を散らすよりはいいと考えたからだ。
だが再び来た使者は、ご丁寧に降伏を拒否する書簡を携えて来た。
宣戦の理由も告げられないままで問答無用だ。
ムラクモ側には、国家間の関係が悪化するような心当たりはない。
政治的駆け引きも感じられない。
国内における有能な政治家や学者ですら首を傾げるほど、まったくもって理由が分からない宣戦布告だ。
なんにせよ【イヴァール帝国】からすれば【ムラクモ王国】などは、路傍の石ころを蹴とばす程度のことなのだろう。
とはいえムラクモ王国だって、ただ黙って蹴とばされるわけにもいかない。
おおよその猶予は半月程度。
ムラクモ王国側は、国内から戦える戦力をかき集めた。
集まった兵士の数は、民兵合わせて約4千人。
対し【イヴァール帝国】の挙兵時の戦力はおよそ3万。
予備兵も含めたら4万を超えるだろう。
まったくもって馬鹿げた戦力差だ。
そして、そんな馬鹿げた暴力が、半月ほどでやって来る。
さて、この世界の戦争において、兵力や知略の他にものをいうのは何か。
まずは個々の武力や魔法力、それと集団の戦略術式魔法。
そして信仰する神の力だ。
神の力は信者の数に比例する。
つまり、人口三百万人という【イヴァール帝国】の主神、女神ウェヌースの力は絶大ということだ。
もっとも、神自身が戦うわけではないから、加護や、恩恵、奇跡という形で神の力は行使される。
多民族国家であり、多神国家であるムラクモ王国にも十二の神がいた。
そして十二の神々を祀る神殿があった。
降伏を拒否されたその日、髭の手入れもそこそこに、ムラクモ国王タッロは王族である子息女たちを連れ神殿に赴いた。
そして、お伺いと助けを請うため神前に膝まずく。
すると十二の台座に十二の神々がそれぞれ顕現した。
同時に全十二神が現れるのは前代未聞だ。
そして人族の主神である【女神イアマナ】だけは、タッロのすぐ前に顕現して告げる。
『タッロ王よ、女神ウェヌースは生贄を求めているのです。国にも、我々にも、抗う術はない』
なぜ、女神ウェヌースが生贄を求めているのか分からないが、つまり宣戦理由は宗教的な部分によるものだということだ。
そして同時に、女神イアマナの言は、絶望に近い託宣ともいえる。
「では、我々には手助けすら、いただけないと?」
タッロは、十二の神を順に見上げる。
だが神々からは何一つとして返答もアクションもない、拒絶の意だ。
ふざけるな、と、タッロが煮えたぎるような怒りを吐き出そうとした瞬間だった。
それは、床から、いやもっと深い地の底から、
「あはははは、信徒を助けずして、何が神か」
と、嘲笑の声だろうか、神殿内に異常に大きく木霊した。
黒い影が、タッロと子息女たちの間に湧いた。
黒い影の中から小さな右手が、ぬっ、とあらわれ、ぐっぱぐっぱと数度握っては開く。
そして深淵の中から徐々に黒い蝙蝠のような羽が、額に一本の鋭い角を持った少女が浮かび上がる。
少女の青白い肌を覆うものは一片もなく、左右の小髪が未成熟な胸の先端を辛うじて隠している。
下半身は猫科の獣のようで、神殿内の中腹まで浮き上がった後、音もなく着地。
“それ”は、王子、王女たちを翡翠色の猫のような目で眺め見た。
「役立たずの矮小な神々に代わり、ボクが助けてあげようか?」
それは、まぎれもない伝承にある“悪魔”の姿だった。
「なぜ、悪魔が……」
と、跪いたままの姿勢でタッロは振り返った。
「なぜって、そりゃぁ神々が拒絶したからだよ。既にこの地に神々の威光はない。祝福もない。奇跡だって起きやしない。その神々はこの地を捨てたんだ。まあそんなことより、ボクが力を貸そうじゃないか」
そう少女の姿をした悪魔が、饒舌にタッロへと囁いた。
同時に、九人いる子息女たちにもその声は届いている。
神殿から、台座から、神々の姿が消えた。
敏感な者なら感じただろう、この国から、神の徴も、余韻まで消えた瞬間だ。
「あぁ、薄情な奴らだね。……で、どうする?」
そう悪魔は数歩、踊るようなステップを踏み、面々を見渡すようにして微笑んだ。
悪魔の問いかけに、一様に皆が口を閉ざし長考していた。
が、末っ子姫のキューコが口を開く。
「本当に、この国を助けてくれるなら、アタシはこの魂を差しだすわ」
そう言って、キューコは怖気ることなく一歩踏み出した。
「キューコ!」
「おい、キューコ!」
「キューちゃん!」
最初は長兄のイッロが、そして兄弟姉妹たちも次々と名を呼んだ。
タッロも慌てたように駆け寄ろうとした瞬間、悪魔が人差し指を立てた。
「黙って。ボクは最初に口を開いた彼女と話すんだ」
父の、兄姉たちの声が消えた。
確かに口は動いているが、その声が何かに遮られている。
しかも、兄姉たちを阻むように、見えない壁があるかのごとく一歩も前に進めない。
「兄様! 姉様!」
「大丈夫だよ。それよりお嬢さん、お名前は?」
「……キューコ……です」
「君は、父親から、そして兄姉たちから、いっぱい愛情を受けて育ったんだろうね。その顔を見ればよくわかる。それに可憐で、とても美しいね。末は至宝とさえ呼ばれる美女に育つだろう。だから魂の他に、その美をボクにくれるなら」
悪魔は近寄り、自分より少し目線の高い少女の頬を、人差し指で触れる。
「あげたなら……?」
「うん、くれたなら、君に、女神を、女神の軍勢を退ける力を授けよう」
「本当に?」
「ああ、本当だよ。少しだけ苦しい思いをさせてしまうかもしれないけど、それでもかまわないよね?」
「ええ、構わないわ」
強い決意が、キューコのまだ幼く険しい表情からにじみ出る。
むしろ世間を知らない、初心な少女だからこその決断だったかもしれない。
兄姉たちが、タッロが、見えない壁を叩き何かを叫ぶが、それは全くキューコには届かない。
そんな親族たちを後目に、悪魔が笑った。
「よろしい成立だ。……汝、キューコの願いは、この第四階位悪魔ルイ・フェッゴール伯爵が叶えよう」
そして悪魔は、足元の闇から、一振りの、薄紫の鞘に収まった刀を持ち上げ、キューコへと差し出した。
「それは……?」
キューコは両手のひらをそろえて問う。
「これが、君の力だよ」
悪魔が、キューコの手に刀を載せた。
「アタシの力……」
「そう、君の力だ。詳しくはまた後日話そうじゃないか。わかったかい? 悪魔憑きの姫様」
悪魔が指を鳴らすと、見えない壁は消えた。
すると飛び出すように、タッロと兄姉たちがキューコを囲む。
「キューコ、大丈夫か⁉」
タッロはキューコの肩を両手でつかみながら問いかけた。
するとキューコは小さく頷いて見せる、と同時に自分の異変に気が付いた。
「お父様、背中が熱い……。それとお腹が……、凄くすいて、……眠いで……Zzzz」
そう言いながら、かくりと父に寄りかかる様にキューコは眠ってしまった。
「悪魔め、一体何をしたんだ!」
キューコを抱く父に代わり、長兄イッロが怒りの剣幕で悪魔のいた場所に視線を向ける。
だが、悪魔の姿は既になかった。
――こうして悪魔の力を手に入れたキューコ。
そして、【女神ウェヌース】との戦いが始まったのさ。
と、この辺りが区切りにいいだろう。
今回はここまで。
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