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「日本で今何が起きているのでしょうか。」  博士の研究室のドアを叩いたのは、若い女性だった。その女性は文学部の二年生で瀬尾と名乗った。入室を許可した博士にも責任はあるのだが、女性の圧力はただならぬものだった。黒い長髪は一つ結びで首後ろに束ねられており、顔面から発せられる圧迫感を無視することはできなかった。ただ、彼女の顔は記憶になかったので、おそらく自分の受け持つ学生ではないのだろうと博士は思った。教養学部の授業を一コマ持っており、まれに文学部の生徒が受講することがあったため、博士はその類だろうと思った。 「私に話を聞きに来たということは現在日本で地質学的に何が起きているのか知りたいということかね。」 博士がそう質問すると、もちろんと瀬尾は即答した。 なぜ文学部の君が現在日本の地下で起きている現象に興味を持っているのかと、問いただしたい気持ちが博士にあったが、そうさせない有無を言わさぬ圧迫感が瀬尾の目にはあった。 博士は現在起きていることのメカニズムと、今後東日本は太平洋側にさらに移動し、その一方西日本は大陸にさらに近づいていくだろうということを話した。話始めると止まらなくなってしまった博士は時間を忘れて説明を続けた。それは瀬尾から感じる圧力に対峙するためのバリアーだったのかもしれない。一通りの話を聞いた瀬尾はありがとうございましたと言い、握手を求めて、研究室を去って行った。生暖かい手のぬくもりが博士には気色悪く感じた。瀬尾が立ち去ってから、瀬尾の奇妙な圧迫感の正体に気が付いたのはそれから数時間後だった。それは瀬尾が会話の最中に一度も瞬きをしなかったということである。             ✥ 博士の話によると、瀬尾はほとんど一日置きで博士の研究室にやってきては、現在日本列島はどのような状況なんだ、あれから変化はないかとしつこく聞いてきては入念にメモを取っていたという。瀬尾がほぼ毎日研究室にやってくることを聞くと、私はなぜか不愉快な気分になった。大学のベンチから見える銀杏が美しく黄色く色付いている。舞い落ちた黄色の葉はベンチの周りを取り囲んでいる。まだ掃除されていない早朝の大学にはおしゃべりをする学生も散歩する地域住民もおらず、しんとしている。鮮烈な色味だけがキャンパスを騒がしくしている。 「その瀬尾という学生は本当に文学部所属ですかね?歴史学というのは文学部の一部門ですが、そんな名前の学生を私は聞いたことがないですよ。先日先生からその学生の話を聞き、全学生データベースで調べたのですが、そんな学生はいなかったです。」  私がそう告げると、博士は驚いた顔を見せて、そうか調べてくれたのか、すると瀬尾という女性は誰なんだろう?学外の学生なのだろうか?と呟いている。 博士の長白髪は美しく謎めいて見えるのは事実だが、話をしてみると、その内面は非常にお人よしで少し惚けた性格なのを私は知っている。 「瀬尾という女性の目的はなんなのだろうね。」と博士は呆けた顔をしている。 「先生はお人よし過ぎですよ。他にその女性に何を話したのですか?」 再び私はとても不愉快な気分になり、つっけんどんに博士に詰め寄ると、博士は苦々しい顔をしながらこう続けた。 「君にこの前話したこととほぼ同じことを彼女にも説明しただけだよ。それと最近になってわかったことだけれど、この傾向がこのまま続けば、近いうちに東日本と西日本は糸魚川―静岡構造線を境にして完全に分断する。そして新たに生まれたフォッサマグナに沿って日本海の海水が流入してくるだろうということを話したよ。」  心地よい秋の風が一瞬で汗ばんだ肌を一瞬で冷やした。 「日本列島の分断はそんなにも間近に迫っているのですね。それに分断の結果、私達が住むこの場所にも海水がやってくるかもしれないということですか?」 「なんとも言えないけれども、我々が住むこの盆地はフォッサマグナの西縁だからね。日本列島分断の影響を直に受けるだろう。」  東西日本分断の話を聞いた時、それはいわば他人事のように私は聞いていた。ただ、そうではなかった。  博士から日本海流入の可能性を聞いた数週間後、その言葉は現実のものとなった。東日本は太平洋プレートに乗って東へ進み、フォッサマグナの溝はさらに深化し、ついに博士の言った通りに糸魚川―静岡構造線に沿って日本海から海水が流入してきた。                        ✥  テレビのニュースでは時折、糸魚川の親不知の亀裂が深化していることが報道されたかと思うと、次の日には亀裂が新潟南西部の山々の麓を通っていた亀裂と繋がった。地面の分断と日本海からの海水の流入は同時に生じ、それはこれまで地続きだった土地が東西に分離することを示していた。  まだ大きな混乱は起きていないが、新潟の亀裂発生のニュースは私達の住む市内にも届いており、少なからず不安を憂う声は届いていた。私はいてもたってもいられず亀裂の最末端で何が起きているのか実際に現場で確認することにした。  私は休日を使って現場へ向かい車を走らせた。それは野次馬根性以外の何物でもないのだが、このタイミングを逃したら歴史上の大きな分岐を見逃してしまうのは明らかだった。それは歴史学者としての義務だと思った。市内の中心部から糸魚川街道を北上し、三十分程で大町に着くはずだ。それまで盆地の西側には延々と北アルプスの山並みが見える。燕岳、常念岳、その奥に大天井岳、そして特徴的なピークを持つ槍ヶ岳が連なっている。頂部にはそれぞれ白い初雪を蓄えている。されにその先に立山があるはずだが、盆地からはまだ見ることはできない。大町の道の駅で一息ついていると、数分前に見えていた常念岳や槍ヶ岳は視界の後方に小さくなり、前方には鹿島槍ヶ岳の稜線が小さく見え始めてきた。冷たく晴れた土曜日の早朝である。私は暖かい缶コーヒーを両手で包んだ。             ✥  父が消えたのは北アルプスの表側ではなく、いわば裏側ともいえる最深部の薬師岳、水晶岳のあたりだと思う。正確な場所が特定できなかったのは、父の遺体が見つかっていないためと、父の登山計画書が提出されていなかったためである。私の両親は市内中心から少し離れた山間部のりんご農家だった。『だった』という表現はおかしいかもしれない。私は今も母が祖父から引き継いだりんご畑にひっそりと建っている古い一軒家に住んでいるのだから。父が山に消えた後、母は気がふれたかのように父を探した。父も母も山を愛し、忙しい農家の仕事の合間を縫って、共に近くの里山へ山菜取りに行ったり、時には北アルプスの縦走を楽しんでいた。小さい頃は私もそれに連れられて、登山したが、中学生にもなると私は山に登るのをやめ、代わりに本を読むようになった。内向的な私の性格はその時に形成されたように思う。父がいなくなった後、狂ったように父を探す母の姿は居た堪れなかった。その姿を見て、父の失踪を悲しむ私の悲しみは母のそれに比べて些細なもののように感じた。それまできれいに整備されたりんご畑は数か月で朽ち、守り人を失った畑は荒れ放題となった。母は私に父を探しに行くと言い、北アルプスに入山し、水晶岳山頂直下の山小屋でアルバイトとして働きだした。それはアルバイトの合間を縫って父を探し続けるためだった。母がアルバイトを始めたとき、すでに五十歳近かった。私はすでに大学生だったので生活に困ることはなかった。冬季には母は山小屋を降り、麓の山荘旅館を手伝っていた。父を探し始めてから母は私と疎遠になったような気がする。母はただただ父を探し、私の事は眼中にないのは明らかだった。私はそんな母に失望した。父はいなくなってしまったけれど、私はまだここにいるのに、そんな思いがずっと心の中にあったのは確かである。大町道の駅から見た北アルプスはさらに雪深く見える。おそらくこの時期、母は水晶岳の山小屋から下山し、どこぞの山荘で住み込みで働いているのだろう。ただ私には興味のないことだった。              ✥  再び車に乗り込み、糸魚川街道を一時間程走ると街道は盆地の平坦な道から急峻な山道へと変わった。街道の両側は高い山に覆われており、道は一車線の細い道となり、蛇行しながら高度を上げていく。まだ昼前のためなのか、雲は高く、空は広い。この街道を通る車両はほとんどおらず、大町の道の駅を出てから三十分もすると対向車はおろか後方からの車も一切いなくなってしまった。今日の目的地は日本海流入の現場を観察できるところと決めている。すでに一つ目の湖はとうに過ぎ、車のナビはまもなく二つ目の湖に着くことを示している。二つ目の湖を通過すると、五竜岳、白馬岳の巨大な山容が目の前に広がった。もちろん山頂には白雪が蓄えられている。市内を出発してからすでに二時間が経過した。山道をさらに登ると、聳え立つ巨大なロックフィル式のダムが見えてきたので、そこで二回目の休憩を取るため車を止めた。車外に出ると、先ほどの道の駅よりも少し肌寒かった。ここまでは杉などの高木に覆われた山道だったが、ダムに到着すると、ぱかっと景色が開けて、ぎょっとする景色が視界に入った。それはモーゼの十戒のようで、ダムから見えたのは遠くの日本海から海水が入り込んで来た様だった。海水はこれまでこの場所に存在しなかった干潟を作り上げた。東側には新たに発達した干潟が存在し、西側には以前と変わらず北アルプスの山並みがせり出していた。その景色はそこに明確な地形的な断絶が存在することを示していた。干潟に人影は見られない。ここを下って行った場所に日本列島の破断の起点がある。私は恐怖感と共に奇妙な高揚感を覚えた。 そんな気持ちもつかの間で、ふいに地面が大きく揺れたのを感じた。初めは自分がバランスを崩して倒れてしまったのではないかと思ったが、それは地面の大きな揺れであった。自分以外に回りに他人がいない時に、大きな地震に遭遇したことはかつて一度もなかったが、今絶望的な恐怖が押し寄せてきているのだと思った。揺れは一分程続き、やや弱くなったので私は再び新潟側の山裾の方へ身を乗り出し、下界の様子を視認しようとした。そこで見えたのは西側斜面がせり上がり、東側に向かって崩れて落ちていく景色だった。それは南極の氷床がその縁から崩れていくかのようであった。西側斜面がその高度を残したまま、片一方の東側が沈下していく様は異様で、干潟へと落下した岩塊は水しぶきと轟音を成した。地震と共に亀裂が進展していくことは明らかで、博士の言う通りこれが太平洋側まで伸展していくのだろう。あっけに取られている間にも微振動と遠くからは岩塊が崩れ落ちる音が止めどなく聞こえてくる。目の前のダムが、そしてすぐ横に露出している花崗岩の斜面が崩れ落ちるのも時間の問題だろう。私以外に誰もいない山中で地震と岩塊が崩れ落ちる音だけが響きわたっている。ここが切り返しの潮時だろうと私は思った。仮に今立っている場所がフォッサマグナの西側であるならば私は二度と自分の家に帰ることができないだろう。呆然と立ち尽くしている私の頭上をブーンという聞きなれた音が聞こえた。辺りを見渡すと、hIWaがホバリングで微動だにせず、空中に固定されたかのように浮遊していた。私はぎょっとした。 (あのhIWaは私を見ている?) かの国から飛んでくるということ以外、私達はhIWaについて何も知らない。だがこのhIWaは私を見ている気がした。hIWaと私のにらめっこはしばらく続いたがしびれを切らしたのかわからないが、hIWaは高度を上げ、数回ぐるりと回転を繰り返した。その時やっとhIWaのこの行動は、亀裂の最末端において、亀裂の伸展、東西の分断の様子を撮影しているのだと私は直観した。撮影した映像をどこに送信しているのか答えは明白だった。先程まで私の体を四指の末端まで支配した地震に対する恐怖という感情は身を潜め、このhIWaと山奥に二体で存在しているという恐怖に支配されてしまった。私は一定位置でホバリングを続けているhIWaが動かぬうちにそっと車へ戻った。エンジンをかけた時の音の大きさに私はぎょっとしたが、バックミラーに映るhIWaは微動だにせず、ずっと遠くの亀裂の起点を見つめ続けていた。
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