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博士が外出せずに一日中自室の奥に篭って出てこなかったので、夕方になって私は集中している博士の背後から近づき、博士が熱心に見つめているPC画面を覗き見た。それは長いメールだった。何のメールを書いているの?と私が質問すると博士はゆっくりと振り向いて手招きした。メールをゆっくりと読んでいくとそれは東日本側に新たに樹立された国家中枢のトップに対し博士が送ったメールだった。なぜ、博士がそんなメールを書いているのか国家中枢が現在も残っていることに私は驚いた。博士は続きを読んでみなよと言った。読み進めるとそれは博士がその国家中枢のトップに対して研究費の工面を申し入れているものだった。博士がそんなことをしているとは初めて知ったことだった。何のための研究費を工面してもらおうとしているのか、私の疑問に答えるように博士のメールは続いていた。 『フォッサマグナによって分断され、かの国に西日本が奪われてしまった今、国家としては新しい土地と人民が必要である。私達にはさらに北側に向かって新たな土地と人民を探していく必要がある。』  博士の目的がぱっと目前に現れた。黒太字のフォントに縁どられたメールのトップにはどうしてもこれをやり遂げる必要があるという博士の強い意志を感じた。こんなにも感情的な申請文書を私はこれまで見たことがない。ただこの思いに呼応したかのように、メールには『受理する』と国家中枢からの回答が短く記されていた。博士は私がPC画面から目を上げると、力強くこぶしを握っており、にこりと笑っていた。  次の日、私は博士に連れられてスクーターで北へと向かった。博士は新たな土地の調査を目的に、私は新たな土地に住む人民の調査を目的として。私達は新たに国土を広げる義務がある。この国の崩壊を防ぐ義務があると私達はその義務感にかられた。            ✥  博士が見せてくれた電子基準点データから解析された国土の最新地図は驚くべきものだった。それはこれまで本州と青函海峡で離れていたはずの北海道が本州とくっついていたのである。それは不思議な地図だった。本州と北海道の間のかつての海峡は不気味な形の湖となっており、北海道の星型の形状はぐにゃりと曲がり、潰れている。そしてなぜか北海道の北側は不自然に直線的になっていた。 「なんでこんなにも直線的になっているの?」 私が質問すると、博士は、「それは電子基準点上から見えなくなっているだけだよ。電子基準点のポイントは国内にしか存在しないし、そのデータを得ることができるのは国内にいるときだけだから。」と説明した。私の頭にははてなマークが浮かんだが、博士はそれを察したかのように説明を続けた。 「私達が認識できるのは日本国内だけでこんなふうに直線的な地形が実際に存在することはなく、新たな大陸が北東側から移動してきて北海道の北東部に衝突して固着したというのが真実だろう。つまりこの地図の直線部分は二つの大陸の接地面を表している。あそこには新しい沈み込み帯が急速に発生しているのだろう。」  博士は一息でそういうと嬉しそうにほほ笑んだ。あそこには新しい国土が生まれているのだと私はそう理解した。  私達は電子基準点の地図を目安にして、かつての北海道の最北端の町を目指した。スクーターで国道一号線を北上していくと、数日でかつての青函海峡に着いた。そこには、過去の青函海峡のような荒波吹きすさぶ海峡は存在せず、溶岩のようにガサガサに押し出されたような岩石だけが延々と点在していた。まさにオブダクション帯の地形そのものだった。そんな形状の大地が延々と続き、私達はスクーターを押しながら延々と徒歩で北上し続けた。やっとそのぼこぼことした大地を抜けるとかつての北海道の南端と思われる場所に着いた。私達はさらにその道を北上した。その最中にも一度もhIWaに遭遇することはなかった。また私達以外の人間に遭遇することもなかった。その二日後やっと舗装路を走る車とすれ違い、かつての最北端の町に到着した。私達はそこに着くと、やっとスクーターから降りた。そこは特に何もない町で、牧草地が延々と続き、その中にぽつんぽつんと家屋や、サイロが建っていた。私達はその町で唯一見つけた小さな商店に入った。コンビニすら存在しないこの町で唯一の商店だった。商店に入ると老女が一人でレジの前の小さな丸椅子に座っていた。その老女はちらりとこちらを一瞥すると、再びどこか虚空へ視点を移した。 「すみません。ここはかつての本州最北端の町ですか?」博士がそう聞くと、老女はやっと私達に目の焦点を合わせた。そして数秒後に「ああ。そうだよ。」と干からびた声を出した。 「ああ。やはりそうですか。ところでこれまでの最北の地はどこにあるのですか?周囲を見る限り、オホーツク海も見えないし、延々と牧草地が続いているように見えるのですが?」  そう博士が言うと、待ってましたと言わんばかりにその老女は口を開いた。 「そりゃ、ここは日本最北端の地で、目の前にはオホーツク海が広がっていたのさ。ずっと昔から。ただ半年前くらいから対岸にわずかに見えていた島がだんだん近づいてきてね。はじめは半信半疑だったけれど、近づいて来たのさ。それに気付いてから島がこの町に衝突するまで時間はかからなかったよ。そりゃ驚いたよ。こんなことが起きるなんて考えてもみなかったからね。」 「そういうことでしたか。」と博士は笑った。そして、この棚いっぱいのカップラーメンと菓子パンを下さいといい、老女に一万円札を渡すと、老女に島が新しく衝突して固着した場所へ案内してもらうように依頼した。 「ついてきなよ。」 そうやって老女は言い、商店のシャッターを閉めると、小さな車に乗り込んだ。私達は老女の運転する自動車の後ろをスクーターで追いかけた。十分程で奇妙な地形が見えてきた。遠浅の海岸のような平坦な地形が広がっており、その先にぐちゃぐちゃになった土砂の十数メートルの高まりがあった。老女はこの平坦な広がりは元々は海の底だったんだと話した。あの先に見えている高まりが対岸から近づいてきて、それにつれて、これまでは海だった場所から次第に海水が引いていったのだという。さらに干潟のような状態を経て、現在の平坦なだだっ広い地面になったのだという。博士はその老女に礼を言い、熱心にその地面の土を観察し始めた。私も老女に礼を言うと、老女は自動車に乗り込んだ。老女は帰り際に興味深い言葉を残した。こんな地形になってしまってから、これまで見たこともなかったような人間が現れるようになったということを伝えて、老女は去って行った。去り行く老女の後ろ姿を眺めながら私は『新しい人間が現れた』という言葉が脳裏にこびりついた。博士はまだ地面の土をいじっており、写真を撮ったりスコップで地面を掘ったりしたりしていた。               ✥  老女に別れを告げて、あの日、新しく地続きとなった大陸へと私達は立ち入った。しばらく新大陸の内地に入り、数㎞行ったところで、荒れた道が開け、再び整地された道路が広がった。 「なんだか開けた場所に来たね。」 私がそう言うと博士はその先を指さした。指さした先に一人の老人がたっていた。 「あの人は誰だろうか?」  色白の小さな老人だった。博士が指さした動きに反応したのか、ゆっくりとこちらに近づいてきた。それはとてもゆっくりとした動きだった。老人の顔の表情までも見えるくらいに近づいてくると、やっと私はその顔が何か私達とは異なる生き物に見えた。顔色は極めて白く、顔中には髭のようなものが伸びていた。よく見るとそれは根のように伸びた髭にも、髭のように伸びた根にも見え、私には理解できなかった。ただ私達とは異なるもののように見えた。近づいてきた老人は博士の前に手を差し出した。博士は拒否することなく、握手をして応えた。さらに老人は私の方を見て手を差し出したので、私はそれを拒否することなどできず、ちらりと博士の方を見たが、博士もただうなずいていたので私は握手に応じた。老人の手からも髭のような根のような毛が伸びており、握手した手には奇妙な感触があった。植物の根のような感触だった。 「初めまして。あなた達はここに住んでいる人ですか?」と博士が日本語で話かけた。するとその老人は何か小さな篭った声でもごもごとと言ったが、何を言っているのか聞き取れなかった。ただ、老人の身振り手振りは私達を歓迎しているようだった。そして何かを察した老人は博士の細い体を熱く抱擁した。 了
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