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「あれ……?」
たぬきの子がいる。なぜ戻ってきたんだろう。
「……仕事、戻ってきました」
「えっ? 突然どうしたの?」
「べ、別に。……それと、これ」
その子はきまり悪そうに目をそらしながら答えると、僕になにかを差し出した。
「これ、なぁに? ……あ」
それは、僕がいた世界でいうところのゴム手袋だった。彩里国は日本の明治時代に似た国なので、ゴム製品は高級品だ。
「これ、どうしたの?」
「お、お客様が……置いていってくださったそうです」
「それをどうして君が? それに僕に渡されても困るよ。橘さんに」
「──駄目! 駄目です。これは毬也さんのだそうです! 早く受け取って使って下さい。そうじゃないと、また僕が叱られてしまいますから!」
寒いのか、たぬきの子はガタガタと身を震わせながら僕に手袋を押し付けた。
たぬきのふんわり尻尾がぴぃんと立って逆毛だっている。
「また叱られる? どういうこと? 誰に?」
「~~もう聞かないでください。とにかく洗濯しちゃいましょう」
そう言いながら、急いで洗濯を再開する。
「……じゃあ、半分ずつにしよう」
あまりにその子が必死に洗濯するので、追求はやめにした。その代わり、冷えて赤くなっていく指が痛々しくて、手袋の片方を差し出す。
「……え、でも、これは毬也さんのだからって……」
「僕のなら、僕が使い方を決めてもいいでしょう? ね、寒いから、半分こしよう?」
その子の手を洗濯桶から出し、手ぬぐいで拭いてやって手袋をかぶせる。
「……ありがとうございます。それと……ごにょごにょ」
ふふふ。小さく「今までごめんなさい」だって。顔を赤くして、垂れ目をもっと垂らして言うの、かわいいな。今までのことなんてもう、過ぎたことは気にならなくなってしまう。
暖かい気持ちと一緒に手袋を片方はめた手も温かくなって、僕も洗濯を再開した。すると泡が額に飛んできて、少し顔を上に上げて腕で額を拭う。
「……あ」
月華がいる。
ちょうど顔を上げた先が月華の部屋で、月華は丸窓から顔を覗かせていた。けれど僕と視線がぶつかると、すぐに窓から姿を消してしまう。
夜通し褥仕事をする花が目を覚ますのは、ちょうど昼食前だ。月華も今目が覚めて、お天気でも見るために外を覗いたところだったのかもしれない。
……顔、見れて嬉しいな。
偶然が嬉しくて、洗濯の続きに気合いが入った────不思議なことに、この日以降、他の蕾からの嫌がらせがぴたりとなくなった。誰がくれたのかもわからない、裏面がふわふわした生地の暖かいこのゴム手袋に、おまじないでもかけてあったのかな。
僕は「誰だかわからないお客様」に感謝して、洗濯のときには毎回、当番の子と半分ずつ使うことにした。
なぜだかその子たちは皆、月華の部屋もある花たちの部屋のあたりをチラチラ見て気にしながら、手袋を使っているのだけれど。
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