毬也の水揚げ

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毬也の水揚げ

「ほぉ、ケダモノにも衣装ですね」   滅多に(みせ)に現れない楼主様がキセルの先で僕の顎を上げ、細い狐目で舐め回すように見る。  僕は作り物の耳も尻尾もつけず、黒地に蹴毬の金彩加工が施された引き振袖の打ち掛けを着て、楼主様の前で正座をしていた。  月華から遅れること一年半後。僕は今日、今から水揚げに入るのだ。 「いいですか、毬也。ケダモノでもよいと言ってくださったお客様に感謝なさい」 「はい……」  僕の水揚げのお客様は、この一年で事業を成功させた若い実業家だそうだ。本来なら、そういったいわゆる成金は夢幻楼を利用できないのに、どうにか僕にお金を生ませようとしているのだろう。橘さんが見つけてきたようだった。 「毬也行くぞ」  ケダモノの僕には水揚げ日の廓での祝いはないし、花に上がっても敬意は払われない。橘さんに顎で促され、結って花かんざしを挿した頭を楼主様に下げて部屋を出る。  お客様をお迎えするためにお錠口(玄関)へ行くと、月華が馴染みの太客のお見送りをしているところだった。 「またすぐ来てよね。待ってるから」 「ああ、月華に会えないと寂しいし、他の客の相手をしていると思うと気が気でないからね」  今や月華は一・二を争う売れっ子で、大輪に上がるのも目前だと聞いている。  気さくで甘え上手。かと思えば気まぐれにつまらない顔をしてお客様をあしらう。猫族の性質とでもいうべきか、花の手練手管を地で行く月華には太客が何人も付いているらしい。 「らしい」というのは、僕は月華に近づかないよう、相変わらず橘さんに散々言われているから、月華のお座敷には入ったことがなく、お客様をもてなす姿を見たことがないためだ。もちろん、褥仕事の準備や片付けにも入らないし、仕事の様子を見たことだってない。  でも、それでよかったと思う。  なぜなら……。  お客様が月華の腰に手を回すと、月華はお客様の首に両手を回し、唇を重ねる。そして言うんだ。 「俺にはあなただけだよ。知ってるでしょ。好きだよ」  長い尻尾をゆらゆらと揺らし、名残惜しそうにお客様に体を寄せる。  お客様は月華を腕で包み、尻尾に触れる。  まるで恋人同士の惜別のようなやり取り。月華の僕への抱擁は単なる子供のじゃれ合いだったけれど、その場所は僕だけのものだったのにと、見えない針が胸を刺した。  月華に付いて褥の準備をしていたら、毎夜月華を引き留めて仕事の邪魔をしていたかもしれない。こんな、遊郭では決まり文句の言葉と抱擁でさえ、見るのは嫌なのに。  お見送りを終えた月華の目が弧を描くのをやめた。部屋に戻る方向に僕がいるのを見つけると、綺麗な形に整えられた眉を寄せて眉間に皺を作る。 「……まさか、水揚げ」  僕と橘さんとすれ違うときに、ボソリと声が聞こえた。直後、橘さんに声をかける。 「毬也を見世格子に出すつもりか?」 「まさか。ケダモノを出して夢幻楼の看板汚しをするわけないでしょう。毬也にはこちらでお客様を付けました。ああ、ほら、いらっしゃった」  橘さんがにやりといやらしく笑って、僕と月華はその視線の先を見る。 「あれって」  月華がそうつぶやいた気がしたのは、僕も同じ言葉を頭に浮かべたからだろうか。  廓に入ってきたお客様は、夢幻楼の馴染みのお客様では見ない、明らかにならず者といった風情のハイエナ獣人だった。
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