毬也の水揚げ

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「怖かった……」  襖を閉めながら膝が崩れる。  あのまま水揚げされていたら、明日は朝日を見ることができなかったかもしれない。  月華の気まぐれに救われた……月華は、ケダモノの僕を恥ずかしく思ってお客様に出したくなかったのだろうけれど。  とはいえ花になった僕には、蕾時代には割り当てられていた食事も日用品の支給もなくなった。お客様が付かなければ、これまで貯めてきたお給金で凌がなくちゃならない。いつまで持つだろう。    不安は当たり、その後ハイエナ獣人のお客様は月華の馴染みとなり、僕に新しいお客様が付くこともなく、貯金もすり減っていた。  助けてくれたのは十六夜と日向だ。二人は橘さんや他の花の目を盗んでは僕に食べ物などを分けてくれた。偶然にも僕の好きなものばかりで、今日は大好物の苺まである。 「いつも本当にありがとう。それに苺なんて、手に入れるのは難しいのに……僕の大好物だって憶えていてくれたの? 凄く嬉しい。この借りはいつかお返しするからね」 「お返しだなんて、これは僕たちからじゃなくて、げっ……む、むぐっ」  どうしたのか、まだ話している途中の十六夜の口を、日向が突然塞いだ。  日向は「おまえ、ひっかかれて噛みつかれたいのか」とか小さく言いながら十六夜を睨み、十六夜はぶるぶると横に首を振る。 「突然どうしたの? なんの話?」  聞くものの、二人は「なんでもないよ」と揃って苦笑いした。おかしな二人だ。 「俺たちにはこれくらいしかできないんだからお返しなんていいんだよって話! それよりほら、新しいうちに食べな」  日向が苺を勧めてくれる。僕は二人にも「どうぞ」とお皿を寄せたけれど、二人は「これは毬也だけのものだよ。大事に食べてあげて」と目を細めて微笑むと、部屋を出て行ってしまった。    皆で食べた方がおいしいし、「食べて」って変な言い方をするな、と思いつつ、ひとつを口に入れる。 「おいしい……」  久しぶりの苺は酸味と甘みのバランスが整ったとても新鮮なもので、口の中いっぱいに果汁が広がった。たまらずにもうひとつかじると、果汁が唇に滴ってしまい、ペロッと舌で拭う。  ──うん、こっちの方がおいしい。  不意に月華の顔が浮かんだ。東雲大輪がいた頃、ご褒美に苺を頂いたことがあった。あのとき月華は自分の苺も僕にくれて、僕の唇の端を舐めてそう言っていたっけ……。  懐かしいな。あの頃はまだ、月華は僕にくっつきっぱなしで、皆が呆れるほどだった。 「……っ、いけない」  月華とのことを思い出すとすぐに涙が滲んでしまう。  いつまでもこんなんじゃ駄目だ。月華も日向も十六夜も花として毎日頑張っている。僕だって、まだお客様はいないけど花になったんだ。過去のことよりも将来を見て頑張らなきゃ。  僕は橘さんのところに行き、なにか仕事をもらえるように頭を下げに行った。  橘さんは眉と唇をひん曲げて「この役立たずが、いっそ飢えて死ねばいい」と言ったけれど、僕が必死でお願いするものだから、これ以上ケダモノと同じ空気を吸いたくないと、仕置き部屋とその隣の物入れの掃除を与えてくれた。  
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