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僕がこの獣人の世界、日本の明治時代によく似た彩里国に来たのは二年前、十五歳のときだ。
その日僕は第一志望の高校に落ち、絶望感に襲われながら帰路についていた。
僕は小さな頃から人よりもペースが遅く、得意なこともなかったから、医者の両親と医学生の兄につまはじきにされていた。
結果を伝えたらどんな厳しい叱責を受けるだろう。きっと父さんはまた僕をひどくぶつ。
怖い。帰りたくない。どこか遠いところへ逃げたい。誰も僕を知らない場所へ……!
駅のホームで立ち止まってそう思ったとき、誰かの体がぶつかった。
「あ」と口を開いた時にはもう、僕の体は線路に投げ出され、ホームに入って来る電車のトップライトの眩い光に照らされて────
気づいたらここ、彩里国の男色向け遊郭「夢幻楼」の庭園に倒れていた。
電車に轢かれかけたと思ったのに、なぜか、老舗の旅館みたいな木造建築の建物の中の庭にいる。
驚くばかりの僕を初めに見つけてくれたのは月華で、彼の姿にも二重の驚きだった。
僕と年が同じくらいの男の子でとても綺麗な顔立ちをしているとはいえ、大きな前結びの赤い帯が付いた、桃色の木綿の着物を着て、巧妙な猫のコスプレをしているんだもの。
それがコスプレではなく、獣人の世界だから本物の耳と尻尾なのだと後に知るのだけれど、このときの僕にはわからなかった。
それに「ここはどこ?」と聞くと丁寧に答えてくれた月華の言葉は聞き慣れない単語ばかりで、ここが遊郭だなんて思いもしなかった────今も現実感はないけれど。
それでも知らない場所に来てしまったらしいことだけはわかって、どうやって帰ればいいのかと考え込んだ。
家に帰りたくないと確かに思った。でも帰らなければ、受験に失敗して謝りもせずに逃げたともっと怒りをかうだろう。
もうこれ以上家族から嫌われたくない。
「家に帰らないと、今度こそ居場所がなくなっちゃう」
ぽろりと涙がこぼれた。すると。
「ここにいなよ」
月華の顔が近付いて、ざらざらした温かいぬめりが僕の頬を撫でた。
「わっ!」
月華が舌で僕の涙を拭ったのだ。
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