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 事務所のドアを開けてくれながら、高杉さんがそうそう、と言った。 「エンシオのことは前から知ってたんですか?」 「はい。実はデビュー当時からのファンです。エンシオの歌のおかげで、夢を諦めずに頑張ろうと思いました」 「そうだったんだ。夢っていうのはドラマーになる夢のことかな?」 「そうです」 「ぜひ頑張って下さい」 「はい。ありがとうございます」  深々とお辞儀をしたその時、別の部屋の向こうから数人の声が聞こえた。 「歌維人、慎重に置いてくれよ」 「わぁってるって。どうしてハードケースで持って来なかったんだよ」 「だってここにドラムセット置けると思わなかったし。録音用のスペースしかないと思ってたから」 「珍しく響也がテンション上がってる」 「曲が出来ないとスタジオ通ってドラム叩いてるくらいだもんな」 「響也、まだブラックスワンのステッカー貼ってあるのか」 「うるさいな、奏」  ──エンシオだ。  胸がドキドキした。扉の向こうに彼らがいる。高杉さんが笑って言った。 「本当にうちはアーティストも働く職場なんですよ。人使い荒いでしょ」 「ええ、あ、はい。いえ」 「ははは。今日はご足労いただき、ありがとうございました」 「失礼します」  少し惜しむ気持ちを残しながら、下へ向かうエレベーターのボタンを押す。背中からは、メンバーが楽しそうに笑う声が聞こえた。  響也がドラムを叩くことは初めて知った。僕が通っているスタジオでアルバイトをしていたと聞いた。もしかしたら、僕と同じドラムを叩いていたかもしれない。そんなことを思えば、勝手に見えないつながりを感じて嬉しくなる。  ここでエンシオと一緒に働けたらどんなにいいだろう。思いの丈はすべて伝えた。あとは連絡を待つだけだ。  連絡を待つだけの数日は長かった。大学の授業も耳に入ってこないし、ドラムのレッスンもミスだらけだ。 「あれ、せっかく出来ていたのに今日はミスが多いね」 「すみません」 「集中集中」  レッスンを終えて家に帰っても、ご飯も大して食べずに部屋のベッドに何をするでもなく寝転ぶばかりだ。「和音、どこか具合悪いの?」となんて母さんに聞かれたけれど、悪いところはどこもない。連絡が気になって何も手につかないだけだ。  母さんにはアルバイトをしようと思っていることは伝えてあるけれど、音楽事務所とまでは言えていない。  そろそろ父さんのことは関係なく、自分の好きな世界を堂々と歩いてみたいという気持ちと、中学生の時から一人で育ててくれた母さんに悪いという気持ちがあって、採用であれ不採用であれ、結果をどんな風に受け止めたらいいのか自分でも分からないまま、中途半端な時間を過ごしていた。  大学を出てスマホの通知を見ると、高杉さんから着信があった。乾いた喉の筋肉が張り付く。飛び出しそうな心臓の鼓動を何とか飲み込んでから、その番号に折り返した。 「高杉です」 「もしもし、相枝です」 「相枝さん、折り返し電話もらってすみません。今いいですか?」 「はい」 「単刀直入に言うと、採用です」 「ありがとうございます」  受かった。面接に合格して、エンシオの事務所でアルバイトをする自分。想像が追いつかないほどの現実に、もやもやはあっという間に吹き飛んでしまう。 「で、あの通りすぐにでも人手が欲しいので、早めに来ていただけると助かるんですけど」 「明日からでも行けます。授業が終わったら向かいます」 「ありがたい。服装はそのままでいいですから。じゃあお待ちしてますね」 「はい。よろしくお願いします」  自分の好きな世界。自分で掴む世界。夢は見るものじゃなくて叶えるもの。その夢はだれのものだ?  ──僕のものだ。
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