第1回 或るろくでなしの誕生

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第1回 或るろくでなしの誕生

 何もかもを吸い込んでしまいそうな青。  雲一つない。比喩表現(ひゆひょうげん)ではなく、なぜなら白い雲は、足元に果てしなく広がっていた。  猿と蛇が二匹並んで下界に釣り糸を垂れていた。ついっと竿を揺らしてみたものの、竿先は一向に微動だにしない。目を細めた猿が煙管をくゆらせると白い輪が、ぷかりと浮かぶ。また一つ輪を吐いて猿は呟いた。 「釣れないねぇ」  蛇は「ねぇ」と小さく答える。長い胴体でもって竿をまた揺らすと、蛇は退屈そうに天界の景色を眺めた。何処までも続く青と白。ため息が出る。  ふと、友を見ると、こつ然と彼の姿が無い。咄嗟に振り返り、蛇は声にならない悲鳴を上げた。後光を背負う御姿がそこに立って居られたからだ。玉皇大帝(ぎょくこうたいてい)様のお出ましだ。その御顔は血が吹き出んばかりに赤く、口鼻からは蒸気列車(じょうきれっしゃ)の如く、熱いが息吹が漏れ出ていた。蛇はというと、全身の体温を失ったように青くなり、白目が無くなるほど瞳孔が広がってガタガタと震えている。  玉皇大帝(ぎょくこうたいてい)とは、天界、下界の偉大(いだい)なる君主(くんしゅ)にして三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)の最上神。(かしこ)くも(まこと)御名(みな)こそは昊天金闕至尊玉皇上帝(こうてんきんけつしそんぎょくこうじょうてい)であるが、あまりにも長く難しい御名であるために、天界の誰もが記憶出来ないので、玉皇大帝(ぎょくこうたいてい)様と略して呼ばれている御方だ。 「次はないと申したぞ」  燃え盛る火炎のように吐き出された玉皇大帝様のお言葉は、蛇の全身を瞬く間にカサカサとささくれさせた。もはや呼吸すらままならぬ。   次とは何かと云われれば、それは奴だ。玉皇大帝様に見つからぬよう下界にちょっかいをかけていたのは猿の奴めだ。鼻くそなぞ落として下界で繁栄しつつあった爬虫類達を絶滅せしめたのも猿だし、立ち小便の大洪水でもって哺乳類どものささやかな文明を潰したのも猿だ。先刻だって、小さな南の島を釣り針で引っ掛けて何処かへ移動させたりもしていた。奴はなんだ。友である自分を盾にして、きっと奴は逃げおおせる気なのだ。だが、しかし。猿の誘いに乗ったのは、魔が差したとしか言う他ない。ただ悠久に続く退屈な日々がそうさせたとしか。  ううう、と、弁明なく、ただ呻くだけの縄と化した蛇は玉皇大帝様に首根っこを掴まれて何処かへと引き摺られて行ってしまった。  雲に潜りこんで様子を伺っていた猿は、ずりずりと匍匐したまま這い出すと、辺りを二、三度見回し、ふところから卵を取り出した。雲の隙間を覗き込み、下界の一際高く聳える山を見付けた。器用な足指で掴んだ卵をそっとその頂きに供える。暫く、卵が山の斜面から転げ落ちない事を確認して、猿はその場を一目散に逃げ出した。  さて、この物語の焦点は【卵】に移る。  山の上に置かれた卵は、さながら山の頭のように見えた。雨風に打たれた外殻は、じわりじわりと、その薄皮を削られてゆく。  悠久の時を経て、やがて、この山の恵みの下に人間達が集い、国が興った。その名を傲来国(ごうらいこく)という。花の蕾の様なぷっくりとした楕円を頂きに載せた山を傲来国の人々は花果山(かかざん)と名付け、霊山として崇めた。  眩しいほどの月光降り注ぐ晩のこと。山の精気を少しずつ戴き、卵は遂に孵化の時を迎える。巨大な岩と見間違う卵の肌にひびが入り、ポロリと小さな破片が剥がれ落ちた。外殻の隙間から這い出てきたのは、小さな子猿だった。碁石の如き艷やかな黒き体毛を全身に生やした小猿である。大きさは人の赤子と大差無い。  彼は誕生の喜び高らかに産声などは発しなかった。僅かに恐怖。戸惑いながら。やがて興味。山から下界を見下ろして、初めて見た得体の知れない光景が目に映る。  鼻をふんふんと嗅ぎならすと、胸から湧き出す好奇心に任せて、彼は歩きだした。 ←「To be continued(とぅびぃいこんてにゅうど)...」
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