第5回 I'm the one standing on the moon④

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第5回 I'm the one standing on the moon④

 凄惨な光景だった。  石猿の躰が、まるで軟体動物のように混世魔王の躰に絡み付き、徐々に侵食してゆく。必死に抗う混世魔王の視界の端に美猴王の姿が映った。 「ぐずぐずと!何をしている!早くこの石の猿を私の躰から引き剥がすのだ!早くやれッ!」  突き出された右の手首を美猴王が掴む。が、美猴王は即座に万力の如き握力で混世魔王の手首を圧し折った。樹海に高らかに響き渡る喫驚と恐怖を綯い交ぜにした絶叫。混世魔王は妖術を解いてはいない。斬り殺した際に施した刃の呪いは絶対であり、己の意思を取り戻し自由に動き出すことなど有り得ない。  膝を落とすと美猴王は、さながら切り倒された大木のように、ゆっくりと崩れ落ち、大地に伏した。最後の最後に息を吹き返して死の妖術に打ち勝ったのだろうか。果たして真実は知れない。だが、その死に顔は、かつての暴虐の魔王らしからぬ穏やかさがあった。  遂に全身を飲み込まれ、一晩をかけて石猿と混世魔王は、一つの球体となった。  脈動している。孕んだものの不吉さを象徴しているのか球体の表面は清らかな水面に臭水を一滴垂らしたかのような禍々しい美しさを湛えて脈動し続けていた。一日、また一日と過ぎても依然として変化はない。  やがて、生き残った樹海の猿の群れが、球体の元に集まってきた。  もし、産まれたものがこの場の全てを喰らい飲み尽くしても構わない程の覚悟が、其処にはあった。蜘蛛の糸ほどのか細い予感の糸に皆が寄り添っていた。  祈りの時。それは気が遠くなる程に長い。既に朝日が登っている。  誰ともなく、球体を触れる掌。  やがてそれは次々と増えて、高く掲げ上げられ、必然的に岩壁の頂きへと運ばれた。  予兆、予感は既に確たるものへと変わっていた。今宵、何かが産まれるのだ。水簾洞の三匹と猿達は頭を垂れて、ただ、その瞬間を待ち焦がれる。  仰ぎ見る闇の中に無数の白銀の穴が散り、星の雫を見守る三日月が岩壁の頂きに差し掛かった時だった。  乾いた枯れ木が折れるような音。球体にひびが入り、中心から二つに引き裂かれた。現れた背中に石猿の体毛はない。それは立ち上がり振り返ると、猿の群れを見た。  憎き魔王の顔が其処にはあった。しかし、人間の女性に変化した四又尻尾の獣が、恭しげに手に持った毛皮の衣を魔王の肩に掛けた。 「なぁ、俺どうしたんだっけ。これ今どういう状況なんだ」 「皆、貴方をお待ちしておりました」  ふふふ、と女性が微笑む。そして、跪くと、声を高らかに上げた。 「我は坎源山の妖狐。名は喬狐(きょうこ)」  その声に、二又の尻尾を持った獣が続く。 「同じく、坎源山の妖狐。名は狐阿(こあ)と申します」  水簾洞をころころと転がっていた小さく丸い獣が立ち上がる。膝の高さ程の体躯だが、その顔は鼻輪をした仔牛だった。珍妙な生き物が童のような声を精一杯に張り上げる。 「おいらは牛平(ぎゅうひれ)って呼ばれてますだ。兄貴」 「我ら三匹、今この時をもって、大恩ある貴方様にお仕えいたします事をお赦し下さい」  魔王の顔をした者は、呆然と三匹の口上を聴いていたが、やがて首を傾げた。この三匹の事は、覚えている。水簾洞で見た奴らだ。後ろの猿達も良く覚えている。なんなら一緒に遊んでいた時の事も鮮明に。  しかし自分自身のことがよく判らない。  初めに自分は猿だと思っていたが、躰に猿の毛が生えていない。在るべきものがない事は気味が悪い。そして名前だ。自分が、何者かと問われれば、思い浮かぶ名前は一つのみ。 「御名をお聞かせ下さい。主様」 「我らの主様をどうお呼びいたしましょうや」  状況を察したのか、喬狐と狐阿が言葉を促した。  夜空を見上げる。頭上にかかる三日月が微かに頷いた。 「俺の名は美猴王(びこうおう)」 「親父から受け継いだ俺の名は美猴王だ」 ←「To be continued...」
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