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第7回 百里魔眼と蛇蝎姫①
狐の精、喬狐と狐阿は姉弟である。妖怪変化の類いではあるが、元々は森に生息していた狐なので間違いなく血は繋がっている。
彼女らは妖怪に変じる前から坎源山を住処にしていたが、突然現れた混世魔王とその配下に追い払われて以来、紆余曲折の果てに此処、花果山へと訪れた。水簾洞に身を潜めていたところに、石猿と遭遇し現在に至る。
狐阿にとって、姉の喬狐はたった一人の肉親であるとともに心の拠り所であり、精神的支柱と云えた。いわゆる依存体質。寄り縋らなければならない性分で、決断は一も二も無く、全てを姉に委ねていた。反面、依存先を護る為ならば彼は文字通り手段を選ばぬ強さも持っていた。それが自らを犠牲にする場合でも躊躇はなく、外敵に対し矢面に立つのも、いつも自分だった。
坎源山の偵察は狐阿自身の提案だった。混世魔王の配下の存在は姉が信奉する美猴王の為にならないものである事は明白で、速やかに奴らの動向は知っておく必要がある。喬狐は心配していたが、一度口に出したら引かない狐阿の頑固さを知る故に強く止めはしなかった。
宵闇の樹海を狐阿が疾走していた。牛平を背に載せ、地面を滑るように駆ける。
坎源山は花果山から樹海を繋いで、北へ夜中に五日程進むと、残丘の向こうから、やがて目指す山の姿が見えてくる。大樹を影に伺うと、牛平が背から降りて尻尾にへばりついた。
六百尺を越えようかという絶壁や奇岩、怪石からなる山容は、低山ながらも難攻不落の要塞の如き有り様であった。山の中腹には、松明の灯りが、ちらちらと光っているのが見えた。故郷を見下ろす山は、未だ妖怪変化どもの根城として囚われているのだ。
もう少し近付かねば。
せめて奴原の頭数だけでも。
ふと足元に視線を落とすと、牛平の姿が無かった。辺りにも居ない。音も無く姿が忽然と消えていた。
狐阿は直ぐ様に少年の姿に変化すると、右手で印を結び、周囲を冷気で囲んだ。僅かの間に気配もなく攻撃されたのか。眉間から鼻翼にかけて冷たい雫が伝う。妖術の類いでなければ、牛平が悲鳴をあげる間もなく襲うことなど出来はしないだろう。見極めなくては、二匹とも殺られる。
僅かな思考の果て、静寂は破られた。牛平の悲鳴が森の何処かで響いたのだ。反響で確かな場所が判らない。が、生きている。しかし、何故。
不意に足元が隆起した。土がほじくり返されたような音もなく、気配を隠すかのような緩やかな動きでもって、二又の隆起が足を挟むように現れた。
「なんだこれは」
咄嗟に隆起から躰を捩って躱すと、一転して素速い動きで、隆起が鋏のように閉まる。あれは吻だ。浅い川に潜む肉食獣、鰐の口先だ。閉じた吻が倒れると、爬虫類特有の縦に細い瞳が此方を捉えた。地面に背中を覆う鱗板骨のひだが浮いては沈んでいた。
鰐の全身が沈み、狐阿の顔面を目掛けて強靭な尻尾が薙ぎ払うように地面から飛び出してきた。身を竦めて躱すと、背後の櫟の樹に尻尾が激突する。強大な炸裂音とともに、樹の幹の半分以上が抉られた。
衝撃で、大樹の枝に出来ていた多数の鋭い氷柱が地面に降り注ぐ。狐阿が予め、冷気で樹液を凍らせて造っておいた氷柱の罠だった。地中の鰐の躰に何本か命中したが、硬い鰐の鱗を貫くほどの攻撃力は無いようだ。
「小僧のなりでよ。抜け目のねぇ真似するじゃあねぇかよ」
地中から這い出てきた鰐の躰は手脚が発達しており、異様であった。腕は牛平の丸い躰を小脇に抱える程に長く、脚は重厚な躰を容易に二足で支える事が可能な程に太い。
怪物の腕の中で牛平は、ぴくりとも動かず、目立って外傷もないようだが、生死も今や定かではない。
この時、狐阿は、鰐の怪物は実は追跡能力に乏しいのではないかと推察する。捕えた一方を活き餌にして、此方を誘っているのではないだろうか。と。そして、今一つ。地面から離れさえすれば。奴の目を盗んで身を潜めれば。強襲する機会が作れるかもしれない。
「企んでやがるな。面白れぇ。もうちょいと追い込んでやるよ。のっぴきならねぇ状況によぉ」
愉快そうに鰐の怪物が嗤う。
そして次の瞬間、牛平を放り投げた。着地点は、狐阿と鰐の中間の位置。既に鰐は地中に潜り込んでいる。
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