樽前山

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樽前山

昭和二十年七月十五日に、 米軍の艦載機が 北海道の各都市を空襲した。 その時の一機が 霧の中、視界を失い 樽前山の山頂に、 不時着する様にぶつかった。 二人乗りの カーチスヘルダイバー艦上爆撃機だった。 前席の操縦士は亡くなったが 後席の偵察員は助かった。 インディアンの血を継ぐ ラスムッセン軍曹だ。 彼に会いたくなって現地に 行ってみた。 当時の民間人の衣装で 棒に白旗を着け 袋に水と缶詰を入れて 彼の足跡を捜す。 苫小牧の近くの海岸線で 小屋に隠れていた彼を視認した。 彼は、小さな漁船を盗んで 沖合いに出ようと思ったらしい。 米軍の潜水艦の救助を期待したらしいが、 波が高くて断念した感じだ。 白旗を彼によく見える様に振りながら近くまで行った。 最初は、拳銃をかまえて居たが 英語で話しかけると 拳銃をショルダーホルスターにしまった。 自分は、安全であり 食料と水を持っている事を 彼に伝えて 仲良くなった。 後一月もすれば日本は負けるし 憲兵隊に尋問されても 適当に真実を話しておけば 殺されずに 札幌の捕虜収容場に行けるから、と、彼に投降を進めた。 彼は笑顔で了解した。 彼に飛行機が墜落した場所を 詳しく聞いて行ってみた。 現場は、山頂の火山灰と 樹木の生える場所との中間地帯。 機体はバラバラだが 後席から後ろの胴体は 形が残っていた。 故に、ラスムッセン軍曹は 助かったみたいだ。 操縦士の中尉は 座席に座ったまま即死していた。 彼の飛行帽と飛行眼鏡を外して持ち帰った。他に、壊れていない小物部品を拾う。 現代に帰ってから アメリカの亡くなった 操縦士の遺族に 回収した飛行帽と飛行眼鏡をプレゼントした。 英語の御礼状が後日届いた。 ヘルダイバーの部品は アメリカ人のレストアマニアに高く売れた。
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