九五式軽戦車

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九五式軽戦車

現代において 九五式軽戦車をレストアし、 稼働させて走らせるには 部品が無い。 大砲や車載機関銃は モデルガンや無稼働実銃で足りる。 操縦席回りや軽くて小さな部品を中心に捜しに行く。 終戦直後の各地に行ってみた。 服装は、 米軍の日系整備将校。 もしもの時に備えて 武器ではなく、高級煙草を大量に。 先ずは、ビルマの首都ラングーンの郊外。 十台位の九五式が放置されていた。 バッテリーがダメだが 燃料を入れて、 新品のバッテリーを着けたら動く。見張りの元日本兵は誰もいない。 放置されている中から 一番程度の良い個体から部品を外した。 次は、ポナペ島に行く。 ここのも、バッテリーがダメだったが動く。 放置されてたが 現地人に見つかったので高級煙草で買収して何とかした。 次は、マーカス島に行く。 ここの九五式も放置されていた。 進駐米軍も完全無視。 一両しかなかったが 程度は良かった。 次は、神奈川県茅ヶ崎の米軍専用住宅地の藪の中。 程度は良くないが 稼働する部品が多かった。 白人の子供に見つかったが 英語で話して、お菓子で買収して仲良しになる。米兵の服装なのでOK。柳ジョージのフェンスの向こうのアメリカを口ずさんだ。 三浦半島のスクラップ置き場の 日本兵器類は、 破壊されていた。 しかし、 使える部品は、管理者に相談して 高級煙草と交換した。 激戦地の個体は 損傷が激しくて 戦車の中に、未だ 遺骨やミイラが残置されているので止めた。 硫黄島のは、 土から掘り出して 米軍が回収していた。 珍しい一式砲戦車は、なかった。 フィリピンの一式砲戦車も損傷が激しくてダメだった。 九州の御池に沈められた九五式は 確認出来なかった。 北海道の道東の海岸沖に 撃沈されて浅瀬に擱座して、 日本の輸送船の甲板に乗っていた 九五式は、 程度が良かった。 ついでに、輸送船のブリッジから部品を外した。スマホで撮影。 上部は、浸水してない。 救命カッターの中から 非常用食料の箱を持ち帰る。 当時物は貴重品。
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