コヒマ

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/56ページ

コヒマ

インパール作戦で、コヒマから撤退する時 宮城県の大和町の安居院さんは 色々体験していた。 その人の孫から話を聞いて 確かめに現地に行った。 師団少佐参謀の服装。 安居院少尉は、陸軍輜重兵部隊に所属していた。 物資の輸送が専門で 戦闘部隊ではない。 作戦が失敗して撤退途中に ある日本兵から 猿の肉を分けてもらった事が有る。 しかし、 後で。それが人肉だった事に 気がついた。 安居院小隊は、分隊規模まで数が減っていたが まだ、人数が多いので 襲われなかったが 人肉を食べる日本の遊兵達は 武器と弾薬を欲しがっていた様だ。 英印軍、現地人、日本兵に関係なく それらを殺して人肉を食べていた。 安居院小隊も食料不足で 飢えていたので 少ない銃弾と交換して 食べてしまった。 古い人肉は、酸味が有った様だ。 小隊員は、皆、骨と皮の痩せた身体。 栄養失調と風土病でフラフラだったが 気力だけで、武器を携帯していた。 自分は、その頃の安居院少尉に遭遇した。 彼は、自分を見つけて キチンと敬礼する。 彼の故郷の彼の知人の知り合いだ。 と説明すると、 青黒い彼の顔が笑顔になった。 あらかじめ作成しておいた 撤退命令書を渡した。 現在地からモールメン経由で ラングーンまで撤退せよ! 持ってきた乾パンと缶詰の袋を彼に渡す。 モールメンから鉄道線路沿いに 無蓋貨車に焼け残りの米俵を積んで 手で押しながら南下して 途中で見つけた放置トラックを修理して ラングーンにたどり着く。 途中、グルカ兵と交戦したり スピットフアィアー戦闘機の銃撃に会い 多少の戦死者を出したが 何とか日本に帰国している。 戦後は、戦争の話を誰にもしなかった。 ビルマの遊兵達は、誰も帰国していない様だった。 この時に回収してきた小物は 有蓋貨車に放置してあった 多数の歩兵砲の照準器を外して持ち帰る。また、 インド兵が捨てて逃げた ブレン軽機関銃の空弾倉を拾い ブレンから二脚とグリップとストックとキャリアハンドルとフラッシュハイダーを外して持ち帰る。全て合法的に 現代の日本で売れる物。 貴重なので、高く売れた。
/56ページ

最初のコメントを投稿しよう!